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千早赤阪村 PAGE1

不本見神社の層塔
(ふもとみじんじゃのそうとう)

はじめに

わたしたちの千早赤阪村にはいろいろな文化財があります。そのなかでも、もっとも有名なものは楠木正成が築城したといわれている千早城跡・上赤坂城跡・下赤坂城跡です。しかし、これだけが文化財ではありません。道のかたわらに立つ石仏、かやぶきの家や古くから行われている行事なども文化財のひとつです。これから発掘情報・文化財全般にわたり、紹介していきます。今回は不本見神社の層塔です。

不本見神社の層塔

不本見神社は、東阪の不本見山山頂にあります。千早川から眺める不本見山は、鉢を伏せたような美しい姿をしており「一夜のうちにできあがった山」の言い伝えがあります。秋祭り宵宮の夜には「ヤーホ相撲」の行事が行われています。不本見神社への階段を上がり、境内左側の一段下がった場所に層塔があります。不本見神社の層塔は、現在は上部を欠失して四重塔ですが、本来は五重塔だったと考えられます。現在の高さは195.7cmで塔身には仏像の姿と仏を表す梵字(種子:じゅじ)が彫られています。「梵字」は古代インドで使用された文字です。梵字は仏を表すこともできます。梵字「ウーン」は宝生如来(ほうしょうにょらい)、「キリーク」は阿弥陀如来、「タラーン」は阿シュ如来(本来はタラーク)を表しています。仏像は何を表しているかの判別は難しいですが、ほかの種子が「金剛界の四仏」を表していることから、釈迦を表す不空成就(ふくうじょうじゅ)と考えられます。紀年銘はありませんが、鎌倉時代中期に造られたものと考えがえられます。不本見神社の層塔と同じ大きさの層塔は太子町にあり「蘇我馬子の墓」と呼ばれていますが、仏像や梵字はありません。

層塔とは何か

層塔とは寺で建立されている五重塔や三重塔のことです。なぜ、寺に塔を建てるのでしょうか。塔は釈迦の存在を示す大事な施設だからです。塔の最初は釈迦の死後、インドで建立されました。塔は舎利(釈迦の遺骨)を納めた上に饅頭状に土を盛ったものです。インドは暑いところなので土饅頭の上に日除けの傘を立てました。わたしたちの知っている塔とはだいぶ違った形をしています。
日本には、中国や朝鮮半島を経由して仏教が伝来しました。6世紀末には飛鳥寺が造営され、伽藍の中心建物として木造の層塔が建立されています。
石造の層塔は、奈良時代から建立され、この時代の層塔と考えられているものに、二上山山麓をくりぬいて造られた鹿谷寺(ろくたにじ)十三重塔が太子町にあります。二上山の石材は凝灰岩で、古墳時代から石棺に使用されてきました。鹿谷寺の周辺は石切場で、層塔などの石造物に使用するほか、建築資材として使われています。不本見神社の層塔も、ここから切りだされた石材(流紋岩質凝灰角礫岩)を使用しています。
木造の層塔を建立するには、多額の費用が必要です。そのため、中世になると木造層塔より安く建立できる石造層塔を建立したといわれています。使用のされかたも貴い僧侶の供養のためや、墓地全体の供養塔(惣供養塔)として建立されたほか、なぜか神社でも建立されています。

(千早赤阪村教育委員会 西山昌孝)



※上記の文章は、執筆者である千早赤阪村教育委員会 西山昌孝氏のご厚意により、下記の文献より転載したものである。
「千早赤阪の文化財1 不本見神社の層塔」『広報ちはやあかさか』5月号 No.298 1997.5.1

※なお、転載に際して、文字コードに存在しない漢字はカタカナ表記し、ルビは括弧内表記した。原文は縦書文であるため、必要に応じて、漢数字を算用数字に、計量単位を英数字に置換した。






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