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千早赤阪村 PAGE3

千早城跡五輪塔

はじめに

今回は、千早城跡五輪塔を紹介します。別名「楠木正儀の塔」といわれていますが、なぜか「楠木正成の塔」とする古絵図が存在してます。この塔は府道富田林五条線から金剛登山道(風呂ノ谷)を登った尾根の上、石棚で囲まれたなかにあります。

ピンク色の五輪塔

千早城跡五輪塔は、総高137.3cmの石造五輪塔です。五輪塔の下には反花(かえりばな)基壇を設けています。石材は淡いピンク色をした黒雲母花崗岩を使用しています。一般的に花崗岩のことをすべて「御影石(みかげいし)」というのは間違いで、このように淡いピンク色の花崗岩のことをいいます。反花基壇の反花は蓮の花を逆さまにかたどったものです。平面的な身方塚に対して、巻込んだ立体的な形をしています。塔身(水輪)には金剛界大日如来を表す梵字「バン」が薬研彫されています。梵字から五輪塔自体が大日如来を表していることがよく判ります。紀年銘はありませんが、建立時期は南北朝時代の終わりごろと考えられています。
この塔の周辺は、江戸時代に下館藩主(しもだてはんしゅ)石川総長(ふさなが)の子・総良(ふさよし)、孫・総重(ふさしげ)が整備したといわれ、安山岩製の総良の碑が残っています。

正成の塔? 正儀の塔?

ところで、現在の地図には千早城跡五輪塔は「楠木正儀の塔」と書かれています。しかし、江戸時代に書かれた『河内名所図絵』では「楠石塔」、『河内鑑名所鑑記』では「楠正成石塔身」と書かれているのです。地元ではこの塔を「首塚さん」と呼んでいます。これから推測すると、江戸時代の時点では千早城跡五輪塔は楠木正成か楠木一族を供養するために建立されたと考えられていたのが、ある時点で正儀の塔に変化したようです。
正成の塔は羽曳野市杜本神社や河内長野市観心寺などにもあります。正儀の塔は奈良県十津川村にもあり、去年本村の塔との関係の問い合わせがありました。個人に複数の供養塔が建立されることは、珍しいことではありません。有名な僧侶はよく複数の供養塔が建てられます。正成・正儀の塔が複数あることは、真贋は別にしても、それだけ人々に親しまれていたことを示しています。千早城跡五輪塔のある地元では、『太平記』にも記述があるように湊川から正成の首が送られてきたとの伝承もあり、今でも正成の塔と考えられています。
各地の城跡では、よく供養塔を見つけます。千早城跡五輪塔も争いの時代のなかで死んでいった正成・正儀や戦死した人たちのいずれかの供養塔であることには間違いはないでしょう。

(千早赤阪村教育委員会 西山昌孝)



※上記の文章は、執筆者である千早赤阪村教育委員会 西山昌孝氏のご厚意により、下記の文献より転載したものである。
「千早赤阪の文化財3 千早城五輪塔」『広報ちはやあかさか』7月号 No.300 1997.7.1

※なお、転載に際して、文字コードに存在しない漢字はカタカナ表記し、ルビは括弧内表記した。原文は縦書文であるため、必要に応じて、漢数字を算用数字に、計量単位を英数字に置換した。






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