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千早赤阪村 PAGE5

東阪墓地の五輪塔

はじめに

東阪墓地は千早小学校の南東側の山頂にあります。千早川を挟んだ向こう側に不本見神社を望むことができる、見晴らしのよい場所です。今回は東阪墓地の大型五輪塔と五輪塔を建立した人々や理由について紹介します。

東阪墓地の惣供養塔(そうくようとう)

この塔は墓地北側の高いところにあります。高さ182.6cmの大型の石造五輪塔です。石材は角閃石黒雲母石英閃緑岩(かくせんせきくろうんもせきえいせんりょくがん)を使用しています。五輪塔の下には反花基壇(かえりばなきだん)と延石基壇(えんせききだん)を備えています。延石基壇も当初に造られたものです。墓地全体を供養する惣供養塔と考えられます。造立時期は、南北朝時代と考えられます。

逆修供養(ぎゃくしゅくよう)の五輪塔

惣供養塔の北側に弘治2年(1556)五輪塔があります。現在、塔身(水輪)を欠いています。基礎(地輪)には(写真)のような銘文があります(註1)。内容からは弘治2年4月に東上東坂に住む21人が僧侶の祐賢(ゆうけん)に頼んで逆修のための法要を行い、五輪塔を建立したことが判ります。上・下東阪は現在でも使用されている地区分けです。東上東坂は上東阪の東側の山のなかになります。そこには阪の垣外(さかのがいと)といいう小字の場所があります。垣外とは家のあることを示す字名です。ここからは鎌倉時代の土器が多く表採することができます。これから、阪の垣外には鎌倉時代ごろから集落があり、室町時代までは集落が続いて存在し、住民によってこの五輪塔が建立されたと考えられます。

逆修とは何か

では、建立の動機となった「逆修」とは何でしょう。逆修とは生前に自分の死後の冥福を願って行う法要のことです。平安時代から盛んに行われるようになりました。極楽へ行くためには善行を多く行わなければなりません。仏教的な寺・五輪塔の建立、仏や僧への供養、写経をすることだけではなく、病人や貧しい人を救済する社会的・世俗的なことも善行になります。
逆修は、死者のために供養を行うのが追善供養(ついぜんくよう)なので、生きている間に自分自身で追善供養をすることになります。供養自体はする者・される者の二者に分けることができますが、供養される者は一分、供養する者は六分の善行が得られるといわれています。自分で自分の供養をすると七分すべてが自分の善行(七分全徳)になり、さらに効果的です。
このようなことから、自分がよりが極楽へ行けるよう逆修供養を行いました。方法は死者への供養と同じように初七日から三十三回忌までの法事を行います。短いものでは1ヶ月で三十三回忌まで行った例があります。この五輪塔は、このような逆修供養を祈念して建立したものなのです。
本村では、逆修供養が盛んに行われており、一つの石材で造られた小型の五輪塔(一石五輪塔)に「逆修」の文字がよくみられます。水分では戦前まで逆修を行う集団(「ぎゃし講」といわれていた)があり、供養を行っていたことが確認されています。

(千早赤阪村教育委員会 西山昌孝)

※註記1:この画像はまだ収録していない。(おがみ大五郎)


※上記の文章は、執筆者である千早赤阪村教育委員会 西山昌孝氏のご厚意により、下記の文献より転載したものである。
「千早赤阪の文化財5 東阪墓地の五輪塔」『広報ちはやあかさか』10月号 No.303 1997.10.1

※なお、転載に際して、文字コードに存在しない漢字はカタカナ表記し、ルビは括弧内表記した。原文は縦書文であるため、必要に応じて、漢数字を算用数字に、計量単位を英数字に置換した。






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