Back
千早赤阪村 PAGE8

桐山の石仏と十三仏


はじめに

私たちが石造物でいちばん親しみを持っているのは石仏でしょう。石仏にも大きく威厳のあるものから小さく素朴なものまで、いろいろな種類があります。今回は、小さな石仏と10月号で紹介しました逆修(ぎゃくしゅ)の一つの例について紹介します。

桐山老人憩の家の天文4年(1535)石仏

桐山老人憩の家の前に祠(ほこら)があります。このなかには石仏が祀られています。高さ50cmの小型の石仏です。石材は緑色をした緑色点紋片岩(りょくしょくてんもんへんがん)です。一般的には緑泥片岩(りょくでいへんがん)といわれています。和歌山県の紀ノ川流域付近で産出する石材で、よく見ると緑色の石のなかに小さな白い長石の粒が観察できます。これを点紋といいます。この特徴は奈良県五條市産出する石材にあるので、水越峠や伏見峠を越えて運ばれてきたと考えられます。
石仏は右手に剣、左手に羂索(縄)を持った不動尊が彫られています。不動尊の左右には「奉為宗久逆修天文二二年/二月十五日」(註1)の銘文があります。「二二」は4の数字(2+2=4)を表しています。4は死と読みが同じのため、使用を避けたものと考えられます。

桐山墓地の石仏

桐山墓地にも緑色点紋片岩製の石仏があります。とくに、桐山墓地はほかの墓地と比べても、多くの石仏が建立されています。錫杖(しゃくじょう)を持つ地蔵菩薩・頭の上に宝冠を戴く勢至菩薩(せしぼさつ)・阿弥陀如来を彫った石仏など、いろいろな種類の石仏があります。
そのなかから、桐山老人憩いの家前の祠の不動石仏と同じ銘文の石仏が8体確認されました。これらは、4体分の石仏が不足していますが、別々の石仏で表された十三仏であると考えられます。

十三仏とは何か

ただ単に13体の石仏を造ったわけではありません。では、なぜ十三仏を造ったのでしょう。この十三仏はそれぞれ初七日から三十三回忌までの13回の法要に関係があります。仏教では、人は死んでから次の生まれ変わりまでに時間がかかるとされています。うまくいけば、そのまま極楽へ行けるかもしれません。そのためには、13回の裁判を受けなければなりません。5回目(35日)には閻魔王(えんまおう)が裁判を行います。閻魔さんは裁判官ですが、同時に地蔵尊の顔を持ち地蔵の姿で人々を救います。だから、救済してもらうために地蔵を頼ります。このようなことが13回あり、それぞれの仏(十三仏)を拝むのです。
桐山の十三仏の場合は、逆修です。逆修は生前に自分の菩薩をともらうために行う法要です。「宗久」は逆修の一つの方法として、13の仏を表す13体の石仏を建立したのです。
現在、この十三仏は大阪府内でもっとも古い十三仏です。


(註1)天文4年の表記方法

石仏銘文抜粋
十三仏

(千早赤阪村教育委員会 西山昌孝)


※上記の文章および画像は、執筆者である千早赤阪村教育委員会 西山昌孝氏のご厚意により、下記の文献より転載したものである。
「千早赤阪の文化財8 桐山の石仏と十三仏」『広報ちはやあかさか』1月号 No.306 1998.1.1

※なお、転載に際して、文字コードに存在しない漢字はカタカナ表記し、ルビは括弧内表記した。原文は縦書文であるため、必要に応じて、漢数字を算用数字に、計量単位を英数字に置換した。また、(註1)とその画像は、横書きの本文中では説明不可能であったため、転載に際して付加したものである。レイアウトも便宜上変更した。





top of this page

back home