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千早赤阪村 PAGE11

南水分の地蔵石仏と地蔵信仰


はじめに

日ごろ、車の通行量が多い国道309号線の傍らに祠(ほこら)があります。なかには大きなお地蔵さんが祀(まつ)られています。祠の横にも小さな地蔵石仏が祀られています。だれがこのような大きなお地蔵さんを建立したのでしょうか。今回は、水分にある地蔵石仏を紹介します。

永禄13年(1570)地蔵石仏

高さ121.3cmの地蔵立像です。石材は金剛・葛城山で産出する角閃石黒雲母石英閃緑岩(かくせんせきくろうんもせきえいせんりょくがん)を使用しています。地蔵の像容の左右には「・・・永禄十三庚午二月十五日/行観法師・・・/・・・法界等南畑逆修講衆造立之」と刻まれています。逆修とは、生きている間に自分自身で追善供養をすることです。銘文から行観法師の導きによって逆修講が行われていたことがわかります。また、現在この場所は南水分の「南端」と呼ばれており、銘文にある「南畑」の地名(文字は違う)は、約430年間使われてきた地名だということが分かります。石仏は建立された当時の位置から移動していません。
地元では、2体の地蔵石仏にあわせて、旧暦の地蔵盆と新暦の地蔵盆の2回にわけて祀っています。

地蔵信仰

このような地蔵を建立するのは、どのような意味があるのでしょう。地蔵信仰は、インドで行われていた農耕の神とされていた地の神を信仰することが始まりとされています。日本には奈良時代に伝わりましたが、鎌倉時代以降に盛んになります。
仏教では、釈迦が入滅した後は弥勒菩薩が出現するまで仏教の教えがだんだん伝わらなくなり、極楽浄土へ救済されなくなるという考えがあります(末法思想)。弥勒菩薩は釈迦入滅の次に現れる仏で、56億7千万年後に現れ、一切の人々・神まで救済してくれます。しかし、出現までの長い間、救済を待たなければなりません。その間に、地蔵は地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・阿修羅(あしゅら)・人間・天上の6つの世界(六道)を巡り、姿を変えて亡者を救うことを任されていました。地獄で死者の審判を行う「閻魔(えんま)さん」は、本来の姿(本地)は地蔵だと考えられています。地蔵が閻魔の姿を借りて救済してくれていたのです。
地蔵などの世界に行く人々は、生前に善根を積んでいない人々です。善根とは寺や仏像を建立したり仏や僧への供養や写経などを行う仏教的な善行をいいます。このようなことは貴族や裕福な人にしか行えません。そのため地蔵は善根が積めない民衆から信仰されました。
このようなことから、昔の人は地獄へ落ちることを恐れ、現世とあの世をつなぐ墓地に、具体的に6つの地蔵に表して石仏を建立し、救済されることを祈りました。

(千早赤阪村教育委員会 西山昌孝)


※上記の文章は、執筆者である千早赤阪村教育委員会 西山昌孝氏のご厚意により、下記の文献より転載したものである。
「千早赤阪の文化財11 南水分の地蔵石仏と地蔵信仰」『広報ちはやあかさか』5月号 No.310 1998.5.1

※なお、転載に際して、文字コードに存在しない漢字はカタカナ表記し、ルビは括弧内表記した。原文は縦書文であるため、必要に応じて、漢数字を算用数字に、計量単位を英数字に置換した。





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