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千早赤阪村 PAGE17

大廻遺跡の発掘


はじめに

今年度、公共事業に先立って試掘調査を行ったところ、新しく2カ所の遺跡が発見されました。
今回は、そのうち大廻(おおまわり)遺跡を紹介します。

大廻遺跡

この遺跡は、府道富田林五条線から新しいバイパスに分れるところにあります。消防庁舎の建設に伴って発見された遺跡です。2月に発掘調査を行いました。
調査では、柱穴や溝を検出しました。現在、この周辺は棚田ですが、もともとは入組んだ尾根と谷で、近世・近代に棚田を開いて行ったと思われます。溝の中からは、13世紀ごろの瓦器椀や縄文時代の土器片・石器が出土しています。
土器は小片で摩滅しており、縄文(縄目の文様)は見ることができませんでした。しかし、破片の中に1mm程の小石が多く入っており、ひとめで縄文土器ということがわかります。
石器は二上山から産出するサヌカイトという硬い石を使った石鏃(せきぞく)(鏃:やじり)です。時期は、縄文時代後期か晩期ごろと思われます。
この調査から、周辺には中世の遺跡だけではなく、縄文遺跡のあることが分かりました。

縄文時代の千早赤阪

村では、いままで縄文時代の建物などは確認されていませんが、土器片や石器は確認されています。そのひとつに誕生地遺跡があります。
誕生地遺跡は、楠木正成(くすのきまさしげ)の時代に城館があったところです。しかし、出土した遺物のなかには鎌倉時代や南北朝時代だけではなく、奈良時代の遺物や縄文時代の遺物も含まれていました。
縄文土器には、この時代の土器の特徴である「縄文」が残っていました。この土器片は深鉢(ふかばち)の一部で、縄文時代後期か晩期に作られたものと考えられます。
石器は、二上山のサヌカイトを使った石鏃と石匙(いしさじ)です。石匙は、石の剥片に柄がついた石器です。江戸時代にこれを発見した人が、その不思議な形から「天狗の使った石製の匙(さじ)」と考えたところから、この名前がつきました。柄の部分に紐を結んで、携帯用に使ったとされています。
これらのことから、誕生地遺跡周辺に縄文遺跡があると考えられます。
ほかに、御旅所・金峯山神社遺跡からも縄文時代の石鏃が出土しています。
また、河南町の神山(こうやま)遺跡でも縄文時代中期の土器が多く出土しており、千早谷では縄文時代に人が住んでいたことがわかります。

(千早赤阪村教育委員会 西山昌孝)


※上記の文章は、執筆者である千早赤阪村教育委員会 西山昌孝氏のご厚意により、下記の文献より転載したものである。
「千早赤阪の文化財20 国史跡 赤阪城跡」『広報ちはやあかさか』4月号 No.321 1999.4.1

※なお、転載に際して、文字コードに存在しない漢字はカタカナ表記し、ルビは括弧内表記した。原文は縦書文であるため、必要に応じて、漢数字を算用数字に、計量単位を英数字に置換した。







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