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南河考研 大阪狭山市文化財情報

狭山池東樋下層遺構

大阪狭山市の中心に位置する”狭山池”は、『日本書紀』と『古事記』に築造やそれに類する記述がみられる古代からのダムである。従来は、これらの記述を重視するとともに、古市古墳群の形成と合わせて、5世紀代における南河内の大開発の中に狭山池の築造を位置づける考え方が主流を占めていた。
ところが、1995年の発掘調査で姿をあらわした、狭山池東樋遺構の樋管(池の水を下流に配水する埋設管)の使用木材はコウヤマキで、その伐採年代は年輪年代測定法によってA.D.616年と判明した(奈良国立文化財研究所 光谷拓実氏測定)。この東樋遺構のすぐ上を最初の堤の盛土が被覆しているため、この樋を埋設した時期が狭山池の築造時期と理解できる。すなわち、狭山池の築造時期は5世紀代ではなく、7世紀前葉(飛鳥時代)であると、年輪年代測定データと考古学的データから判明したのである。
東樋下層樋管は全長約70mに達する長大なものであり、古代の土木技術を考える上でも興味深い資料である。

(東樋下層遺構の画像をクリックすると、この遺構の画像集がご覧になれます。







狭山池東樋上層遺構



東樋下層遺構の樋管の直上には、ヒノキ板材を鉄釘でとめて組み合わせた東樋上層以降の樋管が遺存していた。上層の樋管は下層のそれとほぼ同軸で埋設されており、全長は約75mを測る。池側先端部分に箱形の取水施設をもつ、1段構造の樋である。
使用木材のヒノキは、A.D.1,600年以降に伐採されたことが年輪年代測定法によって判明している(奈良国立文化財研究所 光谷拓実氏測定)。また、中世以前の堤体盛土を開削して設置されていること、江戸時代の絵図や文書等に正確な記録がないことから、慶長13年(1608年)の改修の際に埋設されたのち、短期間で使用不能になったと考えられる。
なお、接続部位の水密処理は、マキナワ技法で念入りにおこなわれており、船大工の技術が用いられているようである。
近世の絵図では伝承に基づいて「鉄樋(カナヒ)」とこの位置に記されていたため、故 末永雅雄博士が『池の文化』でもそれが存在する可能性を指摘されていた。
我々の前に姿をあらわした幻のカナヒは、現在、下層樋管とともに保存処理中である。


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