Index
前の画面〕 〔クリックポイント〕 〔最新の一覧〕 〔終了

322 re(1):考古学と他分野の意見交流の場(難波氏論文に関連して)
2006/3/28(火)20:30 - 埋文担当者S - adsl-738.smn.enjoy.ne.jp - 13644 hit(s)

現在のパスワード


難波先生については、過去に考古学を「全否定」=「科学的でない」とした意の発言がありましたので、考古学関係者は引いてしまうのではないでしょうか?
方法論的に限界があるのは、どの学問も同じであることを、わきまえるべきと思います。その点で難波先生は損をしたと感じます。

考古学が自然科学に寄せる期待は、大きなものがあると思います。文字がない時代の年代測定などは、その最たるものでしょう。
でも、私たちはこれまでに土器をはじめとして、遺物・遺構の編年作業を長年実施してきました。これとの整合性がなければ、「どちらか」を疑わざるをえないのは理解頂けることと思います。(土器編年とAMSとの整合性はとれつつあると聞きましたので、これはあくまでも例えです)

互いの分野からの分析結果に齟齬があれば、その解決に時間がかかるのは当然ではないでしょうか?
ある論文に即反応がないからといって、無視しているとは限らないのです。

池橋先生の著作については、「籾の圧痕」とされた事例が、実はイネではないんだ、という主張だったかと
思います。
圧痕がイネかどうか、考古学では判断できません。圧痕の土器がいつの土器かを判断するのは、考古学の分野です。岡山県南溝手遺跡の籾痕土器の時期が、縄文後期末と言えないのではないか、という意見も複数聞きます。
それはともかく、圧痕がイネかどうかは、むしろ植物学(あるいは農学)のほうの問題ではないかと思います。
考古学では、「専門家」の判断に基づいて、歴史的解釈をすることが筋でしょう。

異分野の交流は、時間をかけてじっくり行うべきではないでしょうか?

蛇足ですが、私が調べた限りでは、イネ遺存体が出土したのは縄文時代後期末(青森県風張遺跡−混入の可能性も疑われている)、熊本県上の原遺跡(同晩期初頭)を最古に、多くは九州で「弥生早期」とされる突帯文土器期のようです(本州では突帯文期は「縄文時代晩期後半」とされることに注意ください)。


〔ツリー構成〕