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344 木下亘さんに話を聞いてきました。
2006/7/3(月)16:17 - ひぐちたかし - i220-109-123-36.s02.a026.ap.plala.or.jp - 14782 hit(s)

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 以前、こちらで、
「  『乙卯の変(475)』という古代史上の出来事を基準にしているようですね。
 ただ『考古学のおやつ/ 夢 村土城』の論文1992を見ても、編年に絶対年代を用いていませんね。
 年号のわかる武寧王陵や年輪年代法ほど確定的な事でも無いようなので、475年だ、ではなく4
 75年より古いだろうという事で納得しました。 」

 といった事を書きましたが、白井氏の指摘のように、土器の編年法のついての論文参照については、
古い論文であった事は事実ですが、木下氏に伺ったところ、
「韓半島出土の須恵器および須恵器系土器について」はソウル大学のハングル文字の論文だと聞かされ、
 メモ帳に書いておいた「高句麗・長寿王の南征、漢城の陥落と百済・蓋歯(すいません字間違ってます)
王殺害、百済文周王の熊津遷都という一連の乙卯の変(475)と対応するのかもしれない」
 という文をみせると納得され、そういった事情から、
「高句麗でなく、倭国と百済との交流を示すTK23を下限とする時期であろう」とおっしゃられました。
 まぁおおよそ当たっていたわけです。


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