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320 よくわかりました。ありがとうございます。
2006/3/26(日)20:30 - ひぐちたかし - flt-209-033.kyoto-inet.or.jp - 21280 hit(s)

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 あむろ様、ありがとうございました。韓国の遺跡は知らないので、シンポジウムで夢村土城(ムンチョンドソン)と聞かされても、どこかわからなかったのだと思います。
さきほど図録のスキマから折りたたまれたシンポジウム当日のメモが出てきました。
『木下 ムソンドジョウ TK23(T―4) 475年』と書いてあるので間違いないでしょう。
 夢村土城についてはGogle検索ですぐ出てきたので理解できました。『乙卯の変(475)』という古代史上の出来事を基準にしているようですね。ただ『考古学のおやつ/夢村土城』の論文1992を見ても、編年に絶対年代を用いていませんね。年号のわかる武寧王陵や年輪年代法ほど確定的な事でも無いようなので、475年だ、ではなく475年より古いだろうという事で納得しました。
 今回の近つ飛鳥博物館の催しは中村編年と田辺編年が併記される、望ましい内容でした。
すでにご存じかと思われますが新聞各紙で宇治市市街遺跡から大庭寺遺跡に近い須恵器が出土し、年輪年代法にて389年という時期がでております。新聞の白石氏のコメントとして「古墳時代中期が4世紀後半にさかのぼると想定される」としておりますが、私は古墳時代前期に須恵器生産がさかのぼる、でいいと思っております。古くは森浩一氏が4世紀に須恵器生産がさかのぼる可能性を述べ、埼玉稲荷山古墳礫郭主体部を「鉄剣471年説に汚染されない6世紀前半」(「考古学ノート」1981)としていた見解などが、現在それぞれ当たっていたという事も評価すべきと思いますし、『年代のものさし』図録の白石氏の文は今城塚古墳と岩戸山古墳が共にTK10(U-2)型式であるとの整合性を主張していますが、岩戸山古墳の須恵器が発掘調査によるものではない事、今城塚古墳埴輪窯が新池遺跡の調査段階でMT15型式の須恵器に併行し、今城塚古墳からはTK10型式とともにMT15型式の須恵器が出土していることなどが記されていません。
 中村浩先生の講演の際に、陶邑の年代論に「岩戸山より新池をお願いします」と述べたところ、新池は豊中市(吹田市)の千里窯の須恵器との検討余地が残されているとのこと。
 他にも色々須恵器については疑問がありますが、今回はこのくらいで。


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