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2006/4/23(日)22:03 - ひぐちたかし - 020118.173202.kyoto-inetbb.jp - 20142 hit(s)
白井さま。我田引水な事を行って申し訳ありません。
さらなる恥の上塗りになりますが、前回の私の勇み足を補足しておきます。
※古墳時代中期を引き上げる必要について、大庭寺式併行の年輪年代判明から
そうした見解が出たものと判断しておりましたが、実際はTK73式併行の年輪年代と
合わせて、TK73型式出現以前に相当する古墳時代中期前半が必然的に古くなってしまう
という基本条件を理解できておりませんでした。
当方はアマチュアというか趣味の延長で古墳時代を検討しているだけなので、
専門文献等を自由に入手できる立場ではありません。
従って、白井様の書籍を入手できる立場にありませんが、木下先生は橿原考古学研究所
付属博物館の方なのでなんとか断片的な資料を得られるかもしれません。
木下先生の見解を直接伺うまで、夢村土城の年代論は保留しておきます。
2003年の白井様の日韓の暦年代観を参照いたしましたが、一件だけ私の前回の記述とも
ども補足訂正する部分がありました。
埼玉稲荷山古墳出土の須恵器についてですが、平成9年度の調査ではっきりとTK23
型式のものが出土しているそうです(「ワカタケル大王とその時代−埼玉稲荷山古墳」
山川出版社2003)。橋本博文先生の記述では新たに出土した須恵器はTK23型式で、
従来知られた物より古相であるそうで、「既出の資料はTK47型式古段階でとらえられ
る」とあります。しかし、問題はその既出の資料で、中村浩氏の「古墳時代須恵器の生産
と流通」1999では、細かい検討のもとT型式4段階と5段階が両方ふくまれるとしております。
「年代のものさし」図録は稲荷山古墳の編年について文章(白石氏)はTK47(T−5)、
年表の作成者はTK23(T−4)のつもりで書かれたのではないでしょうか。
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