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![]() | 覚書8 報告書電子化に関する個人的見解 | ![]() |
『考古学研究』第46巻第3号(1999.12)に掲載された大工原豊氏の「発掘調査報告書の電子情報化について -フロッピーディスクからCD-ROMへ-」を興味深く拝見した。『考古学研究』といったメジャーな学術雑誌において、デジタルデータ化に関する論考が発表されることは、報告書の電子化など全然関心がなく、日々の雑務に追われ、発掘調査を終えてなんとかかんとか報告書を発刊すればそれでよしと考える保守的な文化財担当者や研究者に対しても注意を喚起する良い機会である。これを機に、報告書の電子化を進めようと考えている人達の間でその方向性について議論が活発になり、各調査機関内の担当者の意識もさらに深化していくことを期待したい。
僕が作成したHTML版報告書についても、下記引用のようにご紹介をいただき、一定の評価を与えていただいたのは感謝の極みである。いままでにこのHTML化作業についてはあまり肯定的な評価をいただけなかったような気もしていて、初めて肯定的評価をいただいたことを心から感謝している。ありがとうございましたm(^ ^)m>大工原さん。ただ、既に他サイトでも指摘されているようにこの一文には明かな事実誤認が含まれているようである。当該HTML版報告書における僕の記述が至らなかったために、大工原氏には結果としてご迷惑をお掛けしてしまった。申し訳ございませんでした。m(_ _)m
<以下、大工原豊氏「発掘調査報告書の電子情報化について」からの引用(前略)>また、こうした流れとは別に,1994年には植田隆司氏によって『大阪狭山市内遺跡群発掘調査概要報告書4』(大阪狭山市教育委員会)の中から陶邑窯跡群今熊1号窯の部分を抽出したものをHTML(Hyper Text Markup Language)化し,インターネットのホームページ「南河内考古學研究所」(http://plaza7.mbn.or.jp/%7Eogami/)で公開・配布されている。部分的ではあるが、報告書を電子情報化した先駆的なものと言えよう。
<以上引用>
上記HTML版報告書を公開・配布したのは、1994年と氏は記述されているが、明らかに1997年の誤りである。これは、僕が[書庫]に登録している同報告書の冒頭部分http://www.skao.net/rack/rack/ik1a.htmlにて、HTML版の公開年月日を明記していなかったことに起因する誤認であろう。[書庫]には同書の説明書http://www.skao.net/rack/rack/ik1reade.txtも同時に登録しており、こちらには「(Mar.30,1997)」と日付を記しておいたのだが、HTML版の公開年月日が読み取りにくかったものと思われる。
こうした公開年月日に関するデータの混乱をある程度予期したためかどうかは忘れたが、次に公開したHTML版報告書『ひつ池西窯 -陶邑窯跡群の調査-』の旧版(LHA圧縮ファイル)では、冒頭部分にHTML版の公開年月日に関するデータを「配布年月日:1997年6月27日、修正第2版配布年月日:1997年11月12日」と明記していた。今となっては、「今熊1号窯」のほうにもHTML版配布年月日を追記処理しておけばよかったと悔やまれる。
ところでどうでもいいことだが、1994年頃といえば、僕はまだほとんどパソコンというものに親しんでいなかった。業務終了後にときどき、仕事場にあったNEC PC9801でDOSで動くゲームを稀にやるくらいか、本庁の職場にあったマックのクラシック2かなんかでエクセルの表をいじらされた記憶があるぐらいのものだ。報告書の執筆編集や、論文作成なんかはもっぱらNEC 文豪ミニ7。文献データやら住所録やらは全部「パーソナルカード機能」に頼っていた(笑)。パソコンを購入したのは、ご想像通りWindows95発売直後である1996年1月頃。購入直後にわけもわからずいじりまくって、システムファイルを無茶苦茶に削除し、DOS使いの職場の先輩の家へ真夜中に電話をかけて泣きついて指導を仰いだものだ(笑)(先輩の奥様、すみませんでしたm(_ _)m)。インターネットに接続したのは1996年春頃で、当サイト「南河内考古学研究所」を開設したのは1996年11月10日([宿直日誌1]参照)。そんな僕なので、1994年にHTMLで報告書を編集して公開するなど到底不可能なわけだ。(^^;
ちなみに、[宿直日誌1]をご参照いただければ、1997年3月10日以後におけるHTML版報告書の公開過程も検証可能なのでよろしく。
ところで、大工原豊氏の「発掘調査報告書の電子情報化について -フロッピーディスクからCD-ROMへ-」の内容に関しては、「Digital Archaeology Resources in Japan」にて「『考古学研究』46-3へのリプライ」と題する批評文が掲載された。その批評文にて指摘されている主なポイントは次の5点と判断される。
この指摘点のうち、<1>については、先駆的かつ完成度の極めて高い『岡本前耕地遺跡』の実例が記載されなかったことは、確かに残念である。ただ、その他の諸例の記載がないことについては、大工原氏のこの論文の主目的が報告書電子化の実例すべてを網羅することにはなく、その概ねの流れを記述して、報告書電子化の現状に未だ疎い研究者にも理解を深めてもらおうといったあたりにあるものと推察されるため、無理からぬことであろう。<2>については前述したように、事実誤認であろう。<3>については僕の知識が乏しいのでよく分からないが、「『考古学研究』46-3へのリプライ」でなされている解説は詳細かつ正確である。<5>については、たしかに実現するには財政的にも困難が多いように思う。
<4>の指摘については、首肯するところも非常に多いのだが、僕はちょっと違う考えだ。むろん、今後において発刊が予定されている発掘調査報告書では、「Digital Archaeology Resources in Japan」にて以前から提示されているように、印刷業者に発注する段階で仕様にDTP方式での製版とPDF変換・CD-ROM等の媒体での納入を組み込み、一般には印刷本にCD-ROMを添付したり、各調査機関等のサーバ上にPDFファイルを登録してオンライン配布したりすべきだろう。その場合、新たにHTML版の報告書を編集するのは、テキストラインのみで構わないだろう。僕も埋蔵文化財担当に復帰すれば、当然ながらその方法で発掘調査報告書の編集・発行をおこないたいと考えている。
しかしながら、これができないケースはどうしたら良いのだろうか。DTPには広範で正確な知識を必要とする。上記のような制作方式にのせられない場合は、DTPもできず、PDF化もできないではないか。次のような場合には容易にPDF化することが事実上困難と思われる。
報告書編集担当者個々の環境で、上記以外にもさまざまな障害があってPDF化が不可能な場合も予想される。高品位なPDF版の報告書が作成できないのなら、デジタル化はまったく諦めるべきなのだろうか。そうではないはずだ。埋蔵文化財データをデジタル化する必要性に目覚めた者は、何らかの行動をすぐにとるべきである。「『考古学研究』46-3へのリプライ」で「報告書・研究誌等がドキュメントとして電子化され、蓄積・流通すること、それが考古学の情報化のスタートラインである」と述べられているように、紙の上に文字が並んだままではデジタル化の端緒にもつくことができない。今すぐに可能な方法で出来ることからでもデジタル化作業を開始すべきなのだ。そして、少しでも閲覧者の側に立ったデジタル化を指向したいと考えるならば、PDF化が不可能な場合は、現状ではHTML化するのがやはり最も妥当であろう。標準となるスタイルや品質を策定していくことも重要だが、デジタル化をともかくも進めていくことこそが何にもまして大事ではなかろうか。