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覚書11. 20世紀末の胎動

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萌芽と胎動

1996年11月10日にWebサイト南河内考古学研究所を開設し、もう4年以上が経過した。1996年当時、いくつかの個人系考古学Webサイトが既に存在していたが、掲示板やチャットを常備したものはあまり無かった。南河内の考古・文化財関連情報を紹介するのはもちろんのこと、研究者や考古学・文化財に関心のある人々が自由に話し合えるようなWebサイトを作りたい。HTMLやCGIもいじり出すとなかなか面白く、没頭すると左右も見えなくなる性格が功を奏したのか災いしたのか、とりあえず、南河内考古学研究所という名称でサイトを公開しはじめた。1997年1月までに広報用掲示板[情報掲示板]と考古学専用会議室[喫茶室]を開設し、同年9月にチャット[待合室]を設置した。これで粗末ながらも、考古学研究者や考古学に興味をもつ人々がオンライン上で自由に議論できる基本形は提示できたと考えていた。

ところが、これらの情報交換コンテンツを準備し終えても、考古学および関連諸科学の研究者のかたがたによる参加は、なかなか得られない状態が長く続いた。サイト閲覧者のかたに記帳をお願いしている[芳名録]をみると、サイト立ち上げ後のかなり早い段階から、国立研究機関や大学などの研究者、都道府県市町村などの行政内研究者から閲覧いただいていることがわかる。また、アクセスログを参照してみれば、もっと広範な関連機関のサーバからアクセスを受けていることもわかっていた。だが、積極的に掲示板やチャットへの自主参加をいただけた研究者は非常に限定されていた。考古学研究者の多くはまだインターネットを積極的に活用せず、関心のある研究者のみがWebサイトを閲覧し、さらにその中でも限られた研究者だけがWebサイト上で発言をおこなっていたこの段階は、日本考古学研究のオンライン化の度合いを表現すれば萌芽期とでもいえようか。

その後、考古学研究者や埋蔵文化財担当者の個人系Webサイトの数も増え始め、地方公共団体や研究機関や博物館などの法人系考古学Webサイトも急速に増加した。それでもまだ、多くの考古学研究者はWebサイトでの積極的な活動を開始していなかった。しかし、2000年11月、状況は劇的に変化し始める。例の石器捏造検出事件以後、個人系サイトの掲示板などに多くのかたからの記事投稿が相次ぎ、考古学研究者の有志達がこれらの投稿に応じる形で各掲示板に寄稿をおこなって来られた。結果、従来は1日のアクセス数が多くても数10〜100カウント程度にすぎなかった個人系考古学Webサイトのアクセス数は、最高時には日に1,000カウント前後のアクセス数に達した。現在はアクセス数こそ落ち着いた感があるものの、徐々に増えつつある考古学研究者有志と考古学に関心を示す人々との意見交換は、引き続き活発に継続中である。また、こうしたオンライン上における議論に参加しないまでも、自宅や職場のパソコン画面で注視している研究者やマスコミ関係者、および考古学に関心のある人々の総数は、事件以前と比べれば格段に増加したものと思われる。昨今、考古学系サイトのこのような情報交換機能に期待されている役割は大きなものとなりつつあり、その影響力も増大化している。日本考古学研究のオンライン化萌芽期と比較して、考古学研究者がインターネットを積極的に活用しはじめた20世紀末年以後の状況は、まさにオンライン化胎動期と呼ぶにふさわしい。

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 21世紀初頭の課題

日本考古学の危機的局面ともいえる昨年の事件を契機として、インターネットを活用した情報交換行動が活発化したわけであるが、では、このままオンライン上における議論や研究活動などが、日本国内の考古学研究者全般に広く普及していき、従来の印刷刊行物である学術雑誌や、討論会などと同様に、業界標準的な発表媒体もしくは討論の場として認知されていくことになるのであろうか。昨年末の混乱状態ともいえるサイト運営のなかで、オンライン情報非活用者である何人かの研究者のかたと話をする機会があり、このような問題について深く考える必要が生じた。

現在、Webサイト上のページや掲示板などにおいて、特定の問題について議論をおこなったり、批判をおこなった場合、その記述内容の改変を受けずに固定化された文章として記録公開が保証されたとしても、国内の研究者全般がその一文の存在を認知・共有し、さらなる批判・議論の対象として取り扱うとは必ずしも言い難い状況にある。たとえば、ある研究者の研究成果について、オンライン上で議論や意見交換(その研究に対して肯定的であろうと否定的であろうと)がなされた場合、俎上に上がっている研究者がオンライン環境を有効かつ積極的に活用していない状態にあるならば、実質上においてその研究者は無人裁判にかけられているようなものである。議論の中心に置かれている当人が、その議論の存在すら知らず、反論の手段すら分からず、その必要性すら認識していないような状態では、いくらオンライン上において討論を盛り上げたとしてもほとんど得られるものはないだろう。大抵の場合は討論に参加した者の自己満足だけで終わってしまうであろう。もちろん、オンライン上での議論とほぼ同時に、従来の手法によって当人に分かる形で問題点を呈示した場合はその限りではないが。

「それはおかしい。既に職場や自宅にインターネット接続環境が整備されつつある今、頻繁に考古学に関連したWebサイトを自主的に閲覧し、そういった議論がオンライン上に存在することを認知できないのはその当人の責任だ。そういった議論を発見したならば、自ら積極的に参加して反論をおこなえばよいのだ」と、この文章を閲覧されておられるオンライン情報活用者の多くのかたはお考えになるであろう。実は、かくいう私も数ヶ月前までは全くそのように考えていた。だが、それは現段階においては妥当な意見とは断定できない。たとえ、インターネット上の情報がオンライン環境にあるすべての人間にとって完全に公開されたものであると主張しても、現段階においては必ずしもすべての人に首肯される意見ではないのだ。これは近い将来において、もう少しオンライン接続環境がハード面において改善され、考古学研究者のほぼすべてがネットに常時接続したとしても、研究者自身の意識を変革しないかぎりは同様であろう。

なにゆえ、Webサイト上における議論や研究発表などの行動が、国内の研究者全般に受け入れられているといえないのか。それは、日本の考古学研究者の過半数がWebサイトをそうした信頼の置ける媒体として未だ認識していないからに他ならないのではなかろうか。では、なぜにWebサイトは研究者の信頼を得ることができないのだろう。それはWebサイトの媒体としての特性に起因する。たとえば、学術雑誌ならば編集者側の査読を経た論文等のみが掲載され、学術討論会ならば場内参加者の質問も概ね上質なものだけが選択される。対して、個人系Webサイトにて公開される論文の選択はサイト管理者の随意のままであるし、個人系Webサイトの掲示板に投稿される文章は基本的にフィルタリングを受けない自由掲載式のシステムである。掲示板の記事内容は投稿者の自由意志に任せられており、掲示板管理者はよほどのことがないかぎり、投稿記事の削除をおこなわない。サイト管理者の認識の違いにもよるが、これが、開かれた自由社会であるインターネット上に開設する多方向性情報交換コンテンツである掲示板の基本理念であろう。そのような方針のもとで運営される掲示板であるから、寄稿される情報には当然ながら上質なものもあればそうでないものも含まれる。インターネットならではの自由な気風が、研究に供する媒体として確立するのをかえって阻害しているのかもしれない。

ならば、研究者全般に受け入れられるオンライン上の議論や研究発表の場として、どのようなWebサイトが運営される必要があるのだろうか。上記の事項を勘案すると、おそらく、個人系サイトでは広範な研究者からの信頼を獲得するのは困難であろう。提出論文を印刷刊行物と同様に査読した後にHTML・PDF化して掲載し、掲示板での議論も司会進行役と管理者を兼務する人物が徹底的に管理し、議論を一定方向に収束させ、不適当と思われる投稿記事を躊躇無く削除する。そういった権威あるWebサイトが望まれているのかも知れない。自由な雰囲気は微塵もないが、現段階における日本の考古学研究者の過半数がWebサイトを信頼するに足る媒体として認識するためには、そういったサイトしか考えられない。こういったサイトを運営する主体としては、しかるべき団体が適当であろう。たとえば、会員数が非常に多く著名な研究会や、強力なリーダーシップを発揮する専任教授が率いる大学の研究室などが想起される。行政組織やその外郭団体等にその役割を求めるのは無理であろう。しかし、ここで想像したような権威あるWebサイトが存在しなければならない必然性は本当にあるのだろうか。そのような経緯でWeb上に論文を掲載したとしても、それはいままでのように印刷刊行されてきた学術雑誌の代替物でしかないし、そのような掲示板での議論などインターネットを使ってことさらにおこなう必要はなかろう。オフラインでの学術討論会の発言記録をHTML化して掲載するほうがよっぽど有益である。

日本の考古学研究がオンライン環境を有効に活用してさらに発展するためには、研究者個々の研究姿勢が自己完結的なものではなく、一般社会に広く開かれたものとなって行かねばならない。それは自己の研究成果を広報可能である利点がある反面、自己の研究成果が常に見知らぬ第三者からの批判にさらされる可能性があることを意味する。見知らぬ第三者は、必ずしも紳士的であるとは限らないし、誹謗中傷に類するような批判がいつ展開されるかも知れない。それらに理をもって適宜反論し、自らの研究成果を守り続けることが出来てこそ、その研究成果は次世代へと継承されていくのであろう。大した研究成果もいまだ残していない私であるが、以上のようなことをここ最近思い悩んでいた次第である。

[登録:2001年01月09日]
おがみ大五郎


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