ひつ池西窯 Page11
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調査と整理を終えて

ここに、ようやくにして本報告書の完成をみるに至った。本書を隅々までご検索いただければおわかりになると思うが、ひつ池西窯の報告書作成作業はやや遅滞気味なものとなり、不本意ながらも本書の発刊は本来の期日を過ぎて行わざるをえなかった。本窯の調査終了後に大規模な発掘調査が続き、それらの整理・報告を並行して進めねばならなかったとはいえ、本報告書作成の遅滞は間違いなく許されることではない。ひとえに、担当者の能力の限界に起因するものであると自戒する。
しかしながら、寒風吹きすさぶ中で発掘調査に参加していただきた方々や、整理作業にひたすら打込んでくれた調査員・調査補助員達の努力、数々のご協力とご助言を下さった多くの方々のおかげをもって、学術的資料としてほぼ使用に耐えうる記録と報告ができたと考える。あらためて、感謝の意を表したい。
ところで、本窯の灰原を発掘する際にもっとも注意を払ったことは、その分層と層序毎の遺物の検出であった。部位によっては比較的厚い堆積がみられるものの、B1の上方やB2などの灰土層の厚みはきわめて薄く、層序ごとの掘削はなんとかできたものの、その微細な標高差をあらわす等高線図は作成しえなかった。ご容赦いただきたい。
現在までに各地で行われた窯跡の発掘調査では、灰原の分層はなされても、その層ごとの遺物検出はほとんど報告されていない。本窯の灰原も、通常であれば一括して掘削し、各層ごとに報告を行なった遺物もまとめて“灰原出土”と報告を行なったとしても、何ら指摘を受けることはないであろう。
しかし、その層がいかなる意味をもつものかを現段階において調査担当者が判断しえなくとも、本来は、各層ごとの検出をこころみ、各層毎に出土遺物を報告するべきであると確信する。それは、窯体内の焼成床面についても同様であるべきで、たとえ、部分補修にともなう焼成床面の追加にとどまっていようとも、床面の違いがあきらかに認められるのであれば、各々の焼成床面ごとに遺物を検出し、そのまま遺物の報告を分けて行うべきであろう。焼成床面ごと・灰原の灰土層ごとの遺物の型式差が看取されないようであってもやはりそうするべきであろう。窯跡資料として、各層序ごとに遺物を分割して扱うか否かはその資料を利用する者が判断すれば良いことである。ちなみに、本窯の資料も、本書の考察の段階では、灰土層ごとの杯身の法量・形態差を認めえなかったために、最終的には一括して扱っている。
今後、窯跡の発掘調査を担当される方へ、検出位置・検出層位ごとに可能なかぎり明示した遺物報告をお願いして本書の結びとしたい。

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第8表 報告書抄録

ふりがなひついけにしがま
書名ひつ池西窯
副書名陶邑窯跡群の調査
シリ−ズ名大阪狭山市文化財報告書
シリ−ズ番号10
編著者名植田隆司
編集機関大阪狭山市教育委員会
所在地ZIP 589 大阪府大阪狭山市狭山1丁目2384-1
TEL.0723-66-0011
発行年月日西暦1993年3月31日
所収遺跡
(ふりがな)
所在地
(ふりがな)
市町村No.北緯東経調査期間調査
面積
m2
調査原因
陶邑窯跡群ひつ池西窯(すえむらようせきぐんひついけにしがま)大阪府大阪狭山市金剛(おおさかふおおさかさやましこんごう)2723134度29分47秒135度33分40秒範囲確認
19910214〜19910221
本調査
19911118〜19920114
3


130
池岸護岸改修工事に伴う事前調査
所収遺跡種別主な時代主な遺構主な遺物特記事項
陶邑窯跡群 ひつ池西窯生産遺跡古墳時代終末期
(7世紀前葉〜中葉)
須恵器窯灰原:4層、溝:2条須恵器:杯H(蓋・身)杯G(蓋・身)ハソウ長頸壺短頸壺壺蓋平瓶高杯4層からなる灰原を検出。杯蓋身逆転期の良好な窯跡資料をえる。
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※当文書は大阪狭山市教育委員会が編集・刊行した発掘調査報告書「ひつ池西窯 -陶邑窯跡群の調査-」『大阪狭山市文化財報告書』10(1993年3月31日発行)をHTMLファイル化したものである。
※当文書のテキスト・画像等を他の出版物や Web Page へ無断転載することを禁止する。転載の際は必ず発行者・著作者の許可を得ること。
配布WebSite:南河内考古学研究所