ひつ池西窯 Page4
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第4章 遺物

第1節 上部上層灰原出土遺物[HTW-A2]

上部上層灰原[HTW-A2]から検出された遺物では、須恵器の杯H註1)杯蓋6点・杯身6点、蓋身逆転後の杯G註2)杯蓋8点・杯身2点、長頸壺1点、ハソウ1点、1点の計25点を図化しえた(第6図第11図図版7第1表)。
杯Hの杯身は、その口径の計測値が9.4cm〜9.9cmであり、6点とも近似した値を示している。器高は、10のみが2.2cmと低いほかは、いずれも3cm前後の値である。よって、A2杯Hはいずれも同程度の法量を有しているといえよう。
杯Hの杯蓋は、口径が10.1cm〜10.8cmを、器高が3.1cm〜4.6cmを測り、その口径は杯身に対応してバラツキのない数値を示している。
杯Gの杯身は、23が口径9.2cm・器高3.6cm、24が口径8.0cm・器高3.2cmを測る。
杯Gの杯蓋は、その口径の計測値が9.8cm〜11.9cmであり、やや大小がある。その頂部に付されるつまみは17がやや扁平な形態をとるが、その他は宝珠形の形態を保っている。
14のハソウは、底体部外面の調整にヘラ削りを用いず、不整方向のナデ調整で代用しておりその調整は底部中央に未調整部分を残す不完全なものである。調整の簡略化が著しい。

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第2節 上部下層灰原出土遺物[HTW-A1]

上部下層灰原[HTW-A1]で出土した遺物のうち、須恵器の杯Hの杯蓋30点・杯身35点、杯Gの杯蓋14点・杯身15点、平瓶4点、壺蓋1点、短頸壺1点、長頸壺3点、1点、6点を図化することができた(第6図第7図第8図第9図第11図図版8図版9図版10図版11第2表)。
杯Hの杯身は、その口径が7.3cm〜11.1cmを器高が2.0cm〜3.7cmを測り、その法量にはやや大小がある。
杯Hの杯蓋は、口径が8.7cm〜11.2cmを、器高が2.7cm〜4.9cmを計測する。明らかに口径の数値は杯身のそれにほぼ対応した幅を有している。
杯Gの杯身は、口径が8.9cm〜10.9cmを、器高が3.1cm〜4.6cmを測る。10.9cmの口径を有する115と、口径が9.0cmに達しない122を除外すれば、他の杯身の口径はいずれも10.0cm前後である。
杯Gの杯蓋は、その口径の計測値が9.9cm〜11.8cmであり、ほぼ杯身の口径に適合したものである。頂部に付されているつまみは 105のそれがやや扁平な感を受けるが、その他は宝珠形の形態を保っている。
平瓶は26が口頸部と体部上面を遺し、27が全体の2/3を残存する。25・28は口頸部のみ図化できた。26は比較的に平らかな体部上面の中央軸上に、偏円形の粘土粒を1個のみ貼付する。27は、体部上面を含めて全体に丸みを帯びた形態で、体部上面には粘土粒等は付さない。
長頸壺95は口頸部のみの残存である。口頸部がラッパ状に外反してその器壁は薄いため底部に短い脚部が接合されるタイプの長頸壺であろう。
174・175には、頸部に沈線がめぐっているが、この沈線はいずれも鈍いものである。また、175の頸部には、沈線をめぐらす前に波状文を施文しているが、この波状文はやや変調気味であり、粗雑な感を受ける。176は主要部を復元しえない小片であるが、肩部外面に付された把手を遺していたので、あえて図化した。この把手は、肩部の4方向もしくは2方向に取付けられたものの一つであろう。

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第3節 下部上層灰原出土遺物[HTW-B2]

下部上層灰原[HTW-B2]で出土した遺物中では、須恵器の杯Hの杯蓋4点・杯身7点、杯Gの杯蓋2点・杯身1点、高杯1点、2点を図化しえた(第10図第12図図版12第3表)。
杯Hの杯身は、その口径が8.7cm〜9.6cmを、器高が2.5cm〜3.2cmを測り、個体数が少ないこともあって、その法量は比較的まとまった数値を示している。
杯Hの杯蓋は、口径が9.7cm〜11.0cmを測り、器高はいずれも3.0cm前後である。
杯Gの杯身142は、口径9.1cm・器高3.6cmを測る。この数値はA1A2杯Gのそれと差異を有するものではない。
杯Gの杯蓋140は口径10.0cmを、141は口径10.8cmを測る。その頂部に付されたつまみの形状も宝珠形が崩れておらず、形態および法量においてA1A2杯G蓋と差異を有する点は認められない。
高杯143は長脚2段の無蓋高杯である。脚部上下段にスカシはなく、中位にめぐる2条の沈線は非常に鈍い。
178は、その頸部上方に2条の鈍い沈線をめぐらし、その上下に波状文を施文するがそれはとくに乱調なものであり、粗雑である。

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第4節 下部下層灰原出土遺物[HTW-B1]

下部下層灰原[HTW-B1]から検出した遺物では、須恵器の杯Hの杯蓋9点・杯身9点、杯Gの杯蓋5点・杯身2点、短頸壺1点、3点を図化できた(第10図第12図図版12第4表)。
杯Hの杯身は、その口径が9.0cm〜10.1cmを、器高が2.6cm〜3.3cmを測り、A2B2と相似した値にまとまっている。
杯Hの杯蓋は、口径が9.8cm〜11.3cmを測り、器高はいずれも3.0cm前後である。
杯Gの杯身167は口径9.7cm・器高3.7cmを計測し、168は口径9.3cm・器高3.7cmを測る。この2点の杯GA1A2B2のそれと同様の法量を有しているといえよう。
杯Gの杯蓋は、口径が10.4cm〜11.2cmを測り、162・163のつまみは宝珠形を呈し、164のつまみはやや扁平な形状である。
は3点とも同じような形態の口頸部をもつ。頸部外面にめぐる沈線はいずれも鈍く、181の沈線は乱れており、179の沈線などは全周しないものを含む。

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第5節 試掘溝内出土遺物

事前の範囲確認調査と本調査において、試掘溝内から出土した遺物のうち、その層序の帰属が明らかでないものを一括してここに掲載した。図化しえたのは、杯Hの杯蓋6点・杯身11点、杯Gの杯蓋7点・杯身1点、1点である(第13図図版13第5表)。
杯Hの杯身は、その口径が8.7cm〜10.5cmを、器高が2.1cm〜3.3cmを測る。
杯Hの杯蓋は、口径9.3cm〜10.6cm・器高2.6cm〜3.3cmを計測する。
杯Gの杯身205は口径9.6cm・残存高3.7cmを測る。
杯Gの杯蓋は、口径が10.0cm〜11.3cmを測る。199・200・202はつまみを遺存し、その形状はいずれも宝珠形である。
207は口頸部のみの残存で、頸部外面中位上方にめぐる2条の沈線は鈍い。

註記
1)西弘海「七世紀の土器の時期区分と型式変化」『土器様式の成立とその背景』,1986年
2)前出註文献1
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第6図 ひつ池西窯灰原出土遺物(1)
(1〜24:上部上層灰原[HTW-A2] 25〜28:上部下層灰原[HTW-A1])
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第7図 ひつ池西窯灰原出土遺物(2)
(29〜75:上部下層灰原[HTW-A1])
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※当文書は大阪狭山市教育委員会が編集・刊行した発掘調査報告書「ひつ池西窯 -陶邑窯跡群の調査-」『大阪狭山市文化財報告書』10(1993年3月31日発行)をHTMLファイル化したものである。
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