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第5章 考察

第1節 窯跡資料に基づく編年の補強作業方法

近年、陶邑窯跡群東端をなす大阪狭山市域内の窯跡群における発掘調査が増加しており窯跡の破壊と引換えに、はからずも須恵器編年を補強しうる窯跡資料が充実しつつある。
その資料をもとに、これらの杯身の法量と形態を陶邑窯跡群の代表的な窯跡資料と比較し、主としてTK43型式〜TK209型式の杯身の生産状況をあきらかにして、陶邑の須恵器編年を補強すべく検討を行なってきた註1)
今もって期待される床式編年を指向しつつも、結果として緻密な型式編年を提示するにとどまり、各段階間の時間差を明確に追確認することが難しい中村編年に依拠することができず、あえて1窯跡1型式に留める田辺編年を用いる研究者が多いことからも、須恵器編年の補強作業が急務であると理解される。
TK43号窯資料註2)中には、各研究者がそれぞれ設定する概念的な形態に照合するならばTK43型式に判断される須恵器と、ともすればTK209型式に峻別しうる須恵器が混在している。よって、どのような窯跡資料をもってTK43型式と認知すればよいかを具体的に提示するために、TK43型式の杯身と判断しうる形態・法量の限界値をTK43号窯資料に基づいて設定し、TK43型式・TK209型式の須恵器を生産したと考えられる各窯跡の資料がこの限界値に対応するか否かを確認する作業を以前に行なった註3)
その結果、TK118ISSSI3が概ねこの限界値内におさまり、TK312TK230-IISI2TMSTMNは形態・法量の両方、もしくはそのどちらか一方が、限界値内におさまらなかった(本市域内の窯跡略号は第6表を参照されたい)。
典型的なTK209型式の法量・形態を有する杯身のみを産出する須恵器窯は、現段階において調査例がなく、それのみが検出される焼成床面の存在もいまだ実証されていない。ゆえに、このような状況下における窯跡資料において、層序的に分離不可能な一括遺物をその形態もしくは法量をもって分類し、分類された遺物間に時期差を考えることには首肯しがたい。この理由から、上記の限界値内のみにおさまる一括の窯跡資料をもってTK43型式とするならば、限界値内のみにとどまらない上記の一括の窯跡資料をTK209型式と理解すべきである。つまり、TK209型式とすべき段階に生産された杯身はTK43型式の杯身と異なった法量・形態を採るのではなく、TK43型式的な形態・法量を有する杯身とともに、法量の縮小化・たちあがりの内傾化と低化が進行したTK209型式的な形態・法量を有する杯身が生産されていた窯跡から検出される一括資料をもって、TK209型式と捉まえるべきであろう。
標式とすべき窯跡資料の本来の取扱われ方は、ある型式を表象するに好都合な、一括遺物の内の一部の資料をもって、その標式遺物群を理解するのではなく、型式差を内包するようにうけとれたとしても、その層序的一括性を最重要視して「一括遺物=標式遺物」と理解せねばならない。
たとえば、消費遺跡において検出された遺物のうちの多くがTK43型式的な法量・形態を有していたとしても、即、その遺構をTK43型式に該当する時期に比定することは不可能である。なぜならば、TK209型式とすべき段階にもTK43型式的な法量と形態をもつ杯身は多量に生産されていると、生産地での一括資料から判断されるからである。
逆に、消費遺跡において検出された遺物のうちの多くがTK209型式的な法量・形態を有していた場合は、その遺構をTK209型式に該当する時期に比定することは可能であると考えられる。なぜならば、TK43型式とすべき段階にはTK209型式的な法量と形態の杯身は全く生産されておらず、TK217型式とすべき段階ではHI1のような、TK217型式的な(飛鳥I的な)法量と形態をもつ杯身のみを生産する窯が存在し、その一括遺物中にはTK209型式的な法量と形態の杯身は含まれていないからである註4)
このような状況を検証するために次節においては、TK217型式的な杯身を産出した窯跡資料の比較検討を行うと同時に、その細分が可能であるかを考察する。

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第6表 大阪狭山市域の須恵器窯跡略号対照表(既調査分)

窯跡名・層名略号
山本1号窯MT252
太満池南窯灰原TMS
太満池北窯TMN
太満池北窯燃焼部第1次床面TMN-1
太満池北窯燃焼部第2次床面TMN-2
池尻新池南窯ISS
池尻新池南窯下層灰原ISS-1
池尻新池南窯上層灰原ISS-2
池尻新池南窯下部灰原層ISS-B
今熊1号窯IK1
今熊1号窯第1次焼成床面IK1-1
今熊1号窯第2次焼成床面IK1-2
今熊1号窯第3次焼成床面IK1-3
狭山池3号窯SI3
狭山池3号窯下層灰原SI3-1
狭山池3号窯上層灰原SI3-2
狭山池2号窯SI2
狭山池2号窯下層灰原SI2-1
狭山池2号窯中層灰原SI2-2
狭山池2号窯上層灰原SI2-3
狭山池北堤窯SIN
狭山池北堤窯下層灰原SIN-1
狭山池北堤窯中層灰原SIN-2
狭山池北堤窯上層灰原SIN-3
東池尻1号窯HI1
東池尻1号窯第1次焼成床面HI1-1
東池尻1号窯第2次焼成床面HI1-2
東池尻1号窯第3次焼成床面HI1-3
東池尻1号窯灰原HI1-B
ひつ池西窯HTW
ひつ池西窯上部下層灰原HTW-A1
ひつ池西窯上部上層灰原HTW-A2
ひつ池西窯下部下層灰原HTW-B1
ひつ池西窯下部上層灰原HTW-B2
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第2節 蓋身逆転期の窯跡資料の比較

陶邑窯跡群内における、数量が比較的豊富な当該期の窯跡資料としては、TG10-ITG32TG11-IITG206TG61の各窯跡から出土した資料がある註5)陶邑窯跡群東端に位置する大阪狭山市域の窯跡群では、HTWHI1SINの窯跡資料があるが現在までに整理作業が完了したHTWHI1の2基の資料が有用である。
これらの資料で杯Hの杯身の形態と法量を比較し、当該期の窯跡資料が消費地における編年とどのように対応しているかを考えてみたい。
なお、杯身の形態比較はたちあがりの角度と高さを比較要素とした。たちあがり高は、たちあがり外面基部からその端部までの鉛直方向の距離を計測して、図中の縦軸とした。たちあがり角度は、たちあがり外面基部を中心点として鉛直方向を0°とし、この鉛直軸から、たちあがり外面基部とその端部を結んだ直線までの角度を計測して、これを図中の横軸とした。また、1個体中において、たちあがり高もしくは、たちあがり角度にバラツキが認められる場合はその平均値を採った。
また、杯身の法量は口径・器高ともに完全な計測が可能なもののみに限定して、図中にドットした。

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(1)HTWの杯身法量とたちあがり

HTW資料は、A1A2B1B2の4層の灰原層に包含されていた資料である。杯身の法量とたちあがりの形態を灰原ごとに確認するために、グラフ中ではそれぞれ異なったマークでドットした(第14図第15図)。
HTW杯身法量は、口径が7.3cm〜10.5cm、器高が2.0cm〜3.7cmを測る。このためTG10-I集中域(器高3.0cm/口径9.4cm、器高3.6cm/口径9.4cm、器高3.6cm/口径11.1cm、器高3.0cm/口径10.7cmの各点を結んだライン内)とTG11-II・TG206集中域(器高2.6cm/口径7.4cm、器高3.3cm/口径7.8cm、器高3.8cm/口径8.2cm、器高3.6cm/口径8.8cm、器高3.0cm/口径9.5cm、器高2.7cm/口径10.4cm、器高2.3cm/口径9.7cm、器高2.2cm/口径8.1cmの各点を結んだライン内)の両方の集中域にまたがった分布を示している。このようにHTW杯身法量は、TG11-II・TG206集中域からTG10-I集中域にわたる範囲に分布し、その最大と最小には幅があるものの、多くの資料は口径約8cm〜10.5cm・器高2.5cm〜3.5cmの帯域に最も集中している。すなわち、HTW杯身の法量は、TG10-I集中域とTG11-II・TG 206集中域の端境付近に中心をもつ分布を示しているといえよう。なお、HTW-A1の法量に比して、HTW-A2B1B2のそれは、この集中域の端境にまとまった分布となっている。
HTW杯身のたちあがり形態は、たちあがり高が0.2cm〜0.7cmを測り、たちあがり角度が 9°30’〜66°30’を計測する。よって、たちあがり高が10°前後を示すA1の2点とB1の1点を除けば、HI1分布域(たちあがり高0.4cm〜0.8cm/たちあがり角度24°30’〜52°00’)・TG10-I分布域(同高0.4cm〜0.9cm/同角度33°00’〜59°30’)とTG11-II・TG206分布域(同高0.1cm〜0.4cm/同角度27°00’〜63°30’)にまたがった分布を示している。とくにたちあがり高は、TG10-I分布域の上半部分にはドットがなく、TG11-II・TG 206分布域との端境付近を中心とした分布となっている。

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第14図 ひつ池西窯(HTW)出土の杯身の法量
第14図
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第15図 ひつ池西窯(HTW)出土の杯身のたちあがり
第15図
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(2)HI1の杯身法量とたちあがり

HI1資料には、各焼成床面上検出資料のHI1-1HI1-2HI1-3と、灰原資料のHI1-Bがあり、層序的に先後関係を確認しうる窯体資料である。ゆえに、図中では異なったマークでドットをした(第16図第17図)。
HI1-12杯身法量は、ほぼTG10-I集中域内におさまる。これに対して、最終ベースであるHI1-3から検出される杯身の法量は、TG10-I集中域とTG11-II・TG206集中域に広がっている。これは、HI1-3焼成段階の生産時には、杯身法量が縮小化の傾向にあったことを示している。
HI1杯身のたちあがり形態は、たちあがり高が0.4cm〜0.8cmを測り、たちあがり角度が24°30’〜52°00’を測る。HI1杯身にはTG11-II・TG206分布域に入るようなたちあがり高が低いものがなく、TG10-Iの分布に近似したたちあがり形態といえるが、TG10-Iに較べてたちあがり角度がややきつい傾向にあるため、便宜上、このたちあがり形態の分布をHI1分布域として設定した註6)

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第16図 東池尻1号窯(HI1)出土の杯身の法量
第16図
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第17図 東池尻1号窯(HI1)出土の杯身のたちあがり
第17図
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(3)TG10-Iの杯身法量とたちあがり

TG10-I資料は、焼成床面を含む窯体内と灰原から検出された資料である。しかし、報告書ではこれらが一括して扱われているために、各焼成床面ごとに杯身法量と形態を追確認することはできない。よって、図中では単一マークを用いた(第18図第19図)。
TG10-I杯身法量は、その計測値が使用可能な18点のうちの4点がTK43集中域(器高3.4cm/口径11.3cm、器高3.0cm/口径13.4cm、器高4.6cm/口径14.2cm、器高4.6cm/口径13.2cmの各点を結んだライン内)にあり、1点がTG11-II・TG206集中域内にある他は、ほぼ近似した値を示してTG10-I集中域を形成する。
TG10-Iの杯身のたちあがりは、たちあがり高が0.4cm〜0.9cmを、たちあがり角度が33°00’〜59°30’を計測する。TG11-II・TG 206分布域に入るような退化しきったたちあがりをもつ杯身はTG10-Iにはなく、このたちあがり形態の限界値内をもって、TG10-I分布域と認知しえよう。

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第18図 TG10-I号窯出土の杯身の法量
第18図
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第19図 TG10-I号窯出土の杯身のたちあがり
第19図
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(4)TG32の杯身法量とたちあがり

TG32資料は、窯体内と灰原から検出された資料であるが、そのほとんどは灰原検出であるとされている。この資料も検出箇所および層序による分割が不可能であるため、図中では単一マークを用いてドットした(第20図第21図)。
TG32杯身法量は、13点のうちの2点がTK43集中域付近にある他は、TG10-I集中域とTG11-II・TG206集中域の両集中域にわたって分布する。
TG32杯身のたちあがり形態は、HI1分布域とTG10-I分布域からTG11-II・TG206分布域にかけて分布し、資料点数が14点と少ないために厳密に確認はしえないがHTWと同様に両分布域の端境付近を中心とする分布であると考えられる。

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第20図 TG32号窯出土の杯身の法量
第20図
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第21図 TG32号窯出土の杯身のたちあがり
第21図
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(5)TG11-IIの杯身法量とたちあがり

TG11-II資料は、窯体内と灰原から出土した須恵器のうち、報告が行われた窯体内の焼成部燃焼部検出資料に限定されてしまい、灰原出土資料はTG11-I灰原との分割・分層がなされなかったことにより使用不可能となっている。また、焼成床面は全く撹乱をうけていない床面が2枚検出されているが、残念ながら報告された出土遺物にその明示がなく有効に活用しえない。よって、TG11-II資料を層序ごとに分割できず、図中においては単一マークでドットすることとした(第22図第23図)。
TG11-II杯身法量は、器高3.6cm/口径12.7cmを測る1点がTK43集中域内にあり器高3.6cm/口径10.6cmを測る1点がTG10-I集中域内にあり、器高2.2cm/口径6.8cmを測る1点が全く域外にあるほかは、いずれも器高2.3cm〜3.8cmで口径7.4cm〜10.4cmを測るTG11-II・TG206集中域の内にあり、これを形成する。
TG11-II杯身のたちあがり形態は、TK43集中域内におさまる法量をもった1点が0.7cmを測るたちあがり高を有し、法量計測不可能な1点が0.9cmを測るたちあがり高を有するほかは、いずれも0.4cm以下を計測し、TG11-II・TG 206分布域内にある。
発掘調査時にその完存が確認されている2枚の焼成床面のうち、第1次焼成床面上にわずかに片付け残されていた遺物が法量・形態ともにTK43集中域・分布域におさまる先の2点であり、最終ベースである第2次焼成床面上において徹底的な片付けが行われなかった結果、そこに多量に遺存した遺物がその2点以外の資料であると推定するならば非常に理解しやすい。報告からは追確認しえないことであるが、仮にそうであるならば、法量・形態ともに一定のまとまりをもつ後者の資料の一括性は高く評価できよう。

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第22図 TG11-II号窯出土の杯身の法量
第22図
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第23図 TG11-II号窯出土の杯身のたちあがり
第23図
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(6)TG206の杯身法量とたちあがり

TG206資料は、燃焼部灰原から検出された資料である。この資料も報告書では一括して扱われているので、図中では単一マークを用いてドットした(第24図第25図)。
TG206杯身法量は、器高2.4cm〜3.2cm・口径7.4cm〜9.9cmを測り、TG11-IIと似通った分布を示している。このため、TG11-IITG206の両資料をもって、TG11-II・TG206集中域を設定した。
TG206杯身のたちあがり形態は、そのいずれもが、たちあがり高0.4cm以下を計測する。この資料とTG11-II資料をあわせてTG11-II・TG206分布域(たちあがり高0.1cm〜0.4cm/たちあがり角度27°00’〜63°30’)を設定した。

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第24図 TG206号窯出土の杯身の法量
第24図
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第25図 TG206号窯出土の杯身のたちあがり
第25図
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(7)TG61の杯身法量とたちあがり

TG61資料は、窯体内と灰原から検出された資料で、大半が窯体内検出とされている。焼成床面は部分的に2枚の重なりが認められている。この資料も他と同様に、各焼成床面燃焼部灰原と、それぞれ検出部位・検出層位が明示されていないために、一括して取扱わざるをえない。よって、図中では杯身の法量と形態の値を単一マークで記した(第26図第27図)。
TG61杯身法量は、器高2.6cm〜3.6cm・口径8.2cm〜9.8cmを測り、TG10-I集中域に3点がかろうじて入り、11点がTG11-II・TG 206集中域にある。
TG61杯身のたちあがり形態は、1点がたちあがり高0.6cmを測り、12点がたちあがり高0.4cm以下を計測し、このうち11点がTG11-II・TG206分布域内にある。

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第26図 TG61号窯出土の杯身の法量
第26図
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第27図 TG61号窯出土の杯身のたちあがり
第27図
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以上のように、杯身の形態と法量を数値化し、各窯跡資料ごとにその傾向を確認した。その結果、これらの窯跡資料を概ね次の3つのグル-プに分類することができると考えられる。

  1. 法量がTG10-I集中域に集中し、たちあがり形態がTG10-I分布域・HI1分布域内に分布する資料。
  2. 法量がTG10-I集中域とTG11-II・TG 206集中域との端境付近を中心として、その両集中域にかけて集中し、たちあがり形態がTG10-I分布域・HI1分布域とTG11-II・TG 206分布域との端境付近を中心として、両分布域にかけて分布する資料。
  3. 法量がTG11-II・TG206集中域に集中し、たちあがり形態がTG11-II・TG206分布域内に分布する資料。
この3グル-プには、<1>にTG10-IHI1が、<2>にHTWTG32が、<3>にTG11-IITG206TG61がそれぞれ分類される。これを順に第1類・第2類・第3類と仮に呼称する。
蓋身逆転期の杯Hの法量・形態は、その前段階と比して著しい縮小・退化の傾向にありその器形の矮小化は、杯Hの生産が完全に行われなくなる段階に至るまでの間、継続的に進行したと理解されよう。この型式変化を、時間軸上において把握することが容認されるのであれば、先の窯跡資料の分類は、法量とたちあがり形態の数値の集中・分布傾向から「第1類→第2類→第3類」の順に先後関係を与えることが可能であろう。

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第3節 まとめ

今回は主として、蓋身逆転期のいわゆるTK217型式的な窯跡資料の杯Hを、その法量とたちあがり形態から比較した。その結果、前述のような3グル-プに分類され、第1類から第2類へ、さらに第3類へと、各類間で認められる一定幅を有する型式変化は、そのまま、時間軸上に置換されるであろうと思量する。
ゆえに、杯Hの縮小化と退化が当該期に極端に進行した結果、最終的には杯Hが消滅し杯G等のたちあがりのない杯類のみの生産へと移行したとするならば、その経過は「第1類:TG10-IHI1「第2類:HTWTG32「第3類:TG11-IITG206TG61」と、窯跡資料において表出していると考えるのである。しかしながら、この窯跡資料の先後関係が認められたとしても、いわゆる窯式編年の範疇を脱せず、層序的な確証を得た床式編年にはなりえていない。良好な遺存状態の窯跡を、細心をはらって綿密に調査し、そのありのままが報告された資料が待たれるところである。
ところで、先の窯跡資料における杯Hと他の器種の伴出状況を確認すると、以下のようである。
第1類のTG10-IHI1では、無蓋高杯には長脚2段のものと短脚のものとがともに出土している。このうち長脚2段の無蓋高杯は、脚底径15cm前後の比較的大型のものは脚部に長方形スカシもしくはスリット状スカシがあけられている。長脚2段の脚底径10cm前後の比較的小型のものは、TG10-Iではスカシがなく、HI1ではスカシのあるものとないものとに分かれる。
第2類のHTWでは長脚2段の脚部をもつ小型の無蓋高杯のみが出土し、これにはスカシがない。TG32では短脚の無蓋高杯のみが出土し、長脚2段の高杯はみられない。
第3類のTG206TG61では、長脚2段の無蓋高杯はみられず、短脚の高杯のみが出土している。なお、TG11-IIには高杯の出土が報告されていない。
このように、長脚2段と短脚の無蓋高杯が共伴して生産される第1類の段階から、短脚の無蓋高杯のみを生産する第3類の段階への移行が認められる。その間に移行期として、第2類の段階が存在している。
つぎに、これらの資料の杯H杯Gとの伴出状況を確認しておきたい。
第1類のTG10-Iでは、杯Gの出土が報告されておらず、杯Hのみを生産したと考えられる。HI1では杯H杯Gが少量伴出する。HI1杯Gは器高3.4cm〜4.0cm/口径8.7cm〜10.8cmを測る。なお、杯G蓋HI1からは検出されていない。
第2類のHTWでは、杯H蓋55点/杯H身66点に対して、杯G蓋36点/杯G身23点を数えることができ、その最大点数をとれば杯H杯Gの生産比率はほぼ2:1となる。第1類の段階に比べて第2類の段階では杯Gの増産が行われ、この状況が遺棄製品の個体数の比率に反映したものと解される。HTW杯Gは器高3.1cm〜4.6cm/口径 8.0cm〜10.9cmを計測し、法量の全体の傾向においてはHI1とそれほど差異は認められず、その内に縮小化した法量をもつものが含まれることがわずかに指摘されるにとどまる。HTW杯G蓋の天井部に付されるツマミは、若干扁平ぎみのものも少量含まれるものの、概ね宝珠形を呈しているといえよう。
杯Hが第2類に分類されるTG32の資料には、杯Gは含まれていない。
第3類のTG11-IIでは窯体内検出資料の、杯H蓋7点/杯H身14点と杯G蓋4点/杯G身3点が報告されている。TG11-IIには2枚の焼成床面が検出されており、明瞭にTK43集中域・分布域におさまる数値を計測する杯蓋2点/杯身2点が、報告に記述はないものの、第1次焼成床面上検出資料である可能性が高い。よって、この各2点を除いて、最終ベース上における杯H杯Gの最大点数を比較すると3:1となり、第2類に比しての顕著な増産傾向は確認できない。TG11-II杯Gは器高3.5cm〜3.6cm/口径10.2cm〜10.6cmを測り、とくに口径において、その拡大化傾向が看取される。つまり、第1類・第2類が9cm以下の口径の杯G身を含むのに対して、第3類のTG11-IIではその口径が10cm前後の計測値に安定しているといえる。また、TG11-II杯G蓋の天井頂部に付されるツマミはHTWとくらべて、やや扁平にくずれた宝珠形を呈している。
TG206では、杯H蓋8点/杯H身12点に対して、杯G蓋8点/杯G身4点がそれぞれ報告されている。報告された資料が検出遺物全体の比率を反映しているならば、杯H杯Gの生産比率は3:2となる。第1類・第2類と比して、杯Gの増産傾向が当該資料には認められる。TG206杯Gは器高3.1cm〜3.6cm/口径8.5cm〜9.3cmを測り、TG11-IIのような口径拡大安定化の傾向はみてとれない。杯G蓋の天井頂部に付されたツマミは、TG11-IIのそれよりもさらに扁平な宝珠形を呈している。
なお、杯Hが第3類に分類されるTG61には、杯Gは報告されていない。
以上のように、杯H杯Gの双方を生産する窯での杯Gが占める比率は、第1類→第2類→第3類と徐々に大きくなっていく。またこの順に、杯G蓋のツマミは宝珠形の扁平化が進行しているようである。この状況は、消費地遺跡における編年にほぼ合致するものである。つまり、第1類=飛鳥I・第2類=飛鳥II・第3類=飛鳥IIIというように、杯Hから導き出した各3分類に属する資料の杯Gが、その出土数量・法量・形態において、消費地遺跡での編年観註7)とほぼ等しい変化をみせているのである。
[飛鳥I:10cm〜11cm・飛鳥II:9cm前後・飛鳥III:10cm前後]といった、小墾田宮推定地等の消費地から出土した資料にみられる杯Gの口径の変化註8)は、本稿で検討を行なった窯跡資料中では、第1類・第2類・第3類の各類間において顕著に認めることができなかった。
しかしながら、従来TK217型式に一括して把握されてきた、あるいはII型式6段階・III型式1段階・III型式2段階の各段階に形態をもってのみしか把握できなかった、蓋身逆転期の窯跡資料を、本稿では杯Hの法量・形態をもって分類し、稚拙ながらも実際の窯の操業に即した編年試案を提示するにいたった。当該期の杯H杯Gの各々のみを産した、それぞれの焼成床面が明瞭に分層された例を知りえないために、杯Hのみを産出する窯・杯H杯Gが産出する窯・杯Gのみを産出する窯が、ある程度の重複する期間をもって併存したと理解してこの拙い考察を進めてきたが、いかがであろうか。ご批判を仰ぎたい。
なお、本稿の作業を進めるに際して、藤田和尊氏、尼子奈美枝氏、渡辺邦雄氏、濱口芳郎氏、木許守氏、冨田尚夫氏、永井正浩氏、梅本康広氏の諸氏から貴重なご助言をいただいた。文末ながら記して深謝いたします。

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註記
1)a:植田隆司「池尻新池南窯出土須恵器の基準資料との比較」「池尻新池南窯発掘調査報告書-陶邑窯跡群の調査-」『大阪狭山市文化財報告書』7,1992年
1)b:同「狭山池2号窯・狭山池3号窯・東池尻1号窯・狭山池北堤窯出土須恵器の基準資料との形態・法量比較」「狭山池2号窯・3号窯出土遺物整理報告」『狭山池調査事務所平成4年度調査報告書』,1993年
1)c:「今熊1号窯(IK1号窯)発掘調査報告」「大阪狭山市内遺跡群発掘調査概要報告書4」『大阪狭山市文化財報告書』12,1994年
2)a:田辺昭三「陶邑古窯址群I」『平安学園考古学クラブ研究論集』第10号,1968年
2)b:『須恵器大成』,1981年
2)c:野上丈助「陶邑V」『大阪府文化財調査報告書』第33輯,1982年
3)前出註文献1-a・b
4)前出註文献1-b
4)b:植田隆司「東池尻1号窯発掘調査報告」『狭山池調査事務所平成4年度調査報告書』,1993年
5)中村浩「陶邑II」『大阪府文化財調査報告書』第29輯,1979年
6)前出註文献1-b
7)西弘海「七世紀の土器の時期区分と型式変化」『土器様式の成立とその背景』,1986年
8)前出註文献7
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第7表 蓋身逆転期の窯跡資料分類表


窯跡名杯Hたちあがり高杯H法量杯G無蓋高杯備考

1
TG10-I
HI1
0.4cm〜0.9cmTG10-I集中域内
  • なし
  • あり(少数)
    ツマミ宝珠形
  • 長脚2段
    スカシ有
    スカシ無
  • 短脚
飛鳥I併行

2
HTW
(TG32)
0.9cm以下TG10-I集中域内〜TG11-II・TG206集中域内
  • なし
  • あり
    (杯H:杯G=2:1)
    ツマミ宝珠形
    やや扁平な宝珠形のもの有
  • 長脚2段
    スカシ無
  • 短脚
飛鳥II併行

3
TG11-II
TG206
(TG61)
0.4cm以下TG11-II・TG206集中域内
  • なし
  • あり
    (杯H:杯G=3:2〜3:1)
    ツマミは扁平な宝珠形
  • 短脚のみ
飛鳥III併行

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※当文書は大阪狭山市教育委員会が編集・刊行した発掘調査報告書「ひつ池西窯 -陶邑窯跡群の調査-」『大阪狭山市文化財報告書』10(1993年3月31日発行)をHTMLファイル化したものである。
※当文書のテキスト・画像等を他の出版物や Web Page へ無断転載することを禁止する。転載の際は必ず発行者・著作者の許可を得ること。
配布WebSite:南河内考古学研究所