狭山池では、現在、農業用水の溜池から洪水調節機能を有するダム化への大改修工事がすすめられています。この工事に先立ち、狭山池が大阪府の「史蹟名勝」に指定されているところから、市内在住の考古学者末永雅雄博士のご提唱により、大阪府土木部のご理解とご協力のもとに狭山池調査事務所を設立し、文化財の調査事業にあたってきました。
狭山池調査事務所では平成元年度以来、発掘調査を中心とした調査をおこなってまいりましたが、検出された北堤断面や樋の遺構については、調査時から大きな話題となりました。
またその他の分野についても、関係する地域の古文書や絵図などの文献史料の調査や、築造技術や災害の痕跡などについての科学的調査を総合的におこなってまいりました。その成果の報告としてすでに『絵図に描かれた狭山池』や『ふるさとの風景』を、また正式な報告書の第1冊として『狭山池』史料編を刊行しております。本報告書は狭山池調査の第2冊目の報告書として、埋蔵文化財調査の成果を掲載しております。この報告書が今後、狭山池をはじめとする溜池研究に役立つことを念願してやみません。
最後になりましたが、発掘調査時にご指導、ご協力を頂いた皆様に厚くお礼を申し上げます。 平成10年3月
狭山池調査事務所 理事長 岡本修一
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本書は3章より成り、第1章を序章とする。
狭山池調査事務所においては、1987年の創設以来、狭山池および周辺の発掘調査に務めてきた。遺跡遺構のもつ情報量は大きく価値高いものがある。
さきに『狭山池』史料編を刊行し、本書は狭山池の埋蔵文化財編として発掘調査の経過および調査結果を報告する。本書以外の研究諸調査は第3冊として報告が次に出版される。序説につづく第2章は多くの遺構の発掘調査の経過とその結果等を述べているが、具体例の二、三を示す。その一は樋についてである。北堤付近で中樋・東樋・西樋の遺構が見出されたが、中樋において石棺が鎌倉時代以来使用されたようである。重源狭山池改修碑を残した重源による改修が有名である。東樋遺構は上下2本あるが、下層遺構によって狭山池築造の時期が推知され7世紀初頭とされる。中樋遺構は西樋遺構と同様に慶長13年(1608)の改修工事の時築造されている。東樋上層も同年築造されたらしい。これらの築造には樋本体に木材使用が著しいが、船材が利用されており、近世初頭の造船技術を伝えて応用したことが考えられる。
狭山池周辺部の例として東岸部の発掘調査がある。これによると古墳時代の大溝や建物跡が確認された。建物跡は大阪狭山市において古墳時代のはじめての建物跡である。
次に狭山池および近辺における須恵器窯跡発掘調査により出土した須恵器が注意される。狭山池はもっとも主要な須恵器の生産地域である。狭山池1号より4号、東池尻1号の窯と名つけている。1号窯灰原より出土した遺物により狭山池築造時期の上限と下限が特定され、7世紀初期以後の年代が与えられている。池尻遺跡(2)において、南側に古墳時代の水田の上に須恵器窯の灰原などの間層があり、その上にまた水田中心の遺構が出土している。
第3章は考察と題している。第1・2節は池尻遺跡において発掘した花粉および珪藻などの分析調査により堆積年代を推定し、池の築造との関連を考え、第3節は狭山池出土の東樋・中樋の遺構の木樋の年輪年代を明らかにする。第4節狭山池および近辺の多数の窯跡より資料を採取して、その形式の確認に務める。第5・6節は発掘成果より考えて築造以前より鎌倉時代また慶長の改修さらにそれ以降の狭山池の規模構成等を検討する。全体的には樋や須恵器の諸地域にわたり多数の発掘調査の総括的記述を意図したものがあると考える。
以上は恣意的に若干の項目記述を紹介したに過ぎぬ。その発掘調査は綿密周到に企画し準備して行われている。その成果はわが国における土木技術・農業技術の歴史資料としても価値高いものがある。しかし狭山池調査はこれで完了したわけではない。
さて、発掘調査の主要な対象となる取水部・樋管・排水部等についての形式面・構造面・技術面において、地域や時期によって差のあるを検討する。他方において農業用溜池の灌漑機能を調査してその関連を追及する。狭山池が溜池としてわが国において最も古く築造され、大規模であったことは疑いない。
ところで近代には洪水調節目的の治水ダム工事が進展し、農業用水の貯水量を常時確保するとともに、池底を掘り下げ堤防をかさ上げして、洪水調節容量を具えるダム本体工事が諸地に見られる。利水用の溜池工事とともに治水用ダム工事について、今日までの経過を狭山池として対応し比較するはいかがであろう。これにより狭山池の歴史上の位置、文化的技術的地位が知られるであろう。 平成10年3月
小葉田 淳
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題字 小葉田 淳