狭山池 埋蔵文化財編page3 [第1章]
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第2節 狭山池周辺の自然環境

1 位置

狭山池は大阪府南部に位置する大阪狭山市のほぼ中央部に所在する人工の溜池で、溜池水面および堤防が埋蔵文化財包蔵地および大阪府の史跡名勝となっている。池の中心部は北緯34度30分、東経135度33分20秒であり、池の南北の長さは最大で約960m、東西の長さは560mである。池の外周の長さは約3.8kmである。後にも述べるように狭山池は谷地形を、磁北に対して約70度の角度をもつ北西-南東方向の堤防によって締め切って作られているが、現在の堤防の長さは直線部分が約490mである。

2 地形環境

大阪府南部の地形は、和歌山県との府県境を形成する和泉山脈と、そこから緩やかに下降して北上および西進する複数の尾根と丘陵を特色とする。このうち北上する尾根のひとつは羽曳野丘陵を、別の先端は陶器山丘陵などの高位段丘を形成している。狭山池は中央に西除川(旧天野川)を配し、羽曳野丘陵と陶器山丘陵に挟まれた扇状地を刻む谷の一部を堤で締切って築造されている。狭山池から北側に広がる扇状地形の表面はおおむね起伏の少ない平坦な台地(丘陵)であるが、細部には南北方向を基調とした開析谷や旧河道がみられる。これらの谷地形のうち最も規模の大きなものが、現在の西除川の氾濫原および谷底平野である。当初その経路は広域に及んでいたが、下方浸食によって中位段丘崖を形成したと思われる。その後中位段丘の間にできた谷を埋めて、西除川の右岸に沖積段丘が、やがて氾濫原・谷底平野・自然堤防などの形成が進んだと考えられる。

狭山池をとりまく広域の地形環境は以上の通りである。次に狭山池周辺の微細な地形環境について日下雅義氏の研究によりながら述べてゆきたい註1)狭山池東側の羽曳野丘陵は、東寄りに分水界を持ち、尾根線の標高は160mから130mで、北へ向かって高度を下げていく。また狭山池の西側に位置する陶器山丘陵も標高153mの最高点から北に少しづつ低くなっていく。両丘陵ともに深い開析谷を持ち、特に陶器山丘陵に深く入り組んだ三本の谷は狭山池のかつての湖岸線にも影響を与えていた。狭山池はこのような二つの丘陵の間に発達した段丘の崖を利用して築造された溜池である。段丘は旧天野川の浸食作用によって形成されたものであるが、築造当初の狭山池の東岸となったのは北堤付近において高さ80m程度の中位段丘であり、西岸は標高75m程度の低位段丘を利用している。狭山池に流入するもっとも大きな河川はもちろん西除川(旧天野川)であるが、さらに狭山池の西南の大阪狭山市今熊に源流をもつ三津屋川も北東に向かって流れて旧天野川と合流していた。二つの河川は狭山池の拡大によって直接狭山池に流入することとなったが、その流入地点付近には土砂が堆積してデルタ状の地形が形成されている。この部分については江戸時代中期以降新田開発が行われている。

図3 狭山池周辺地形分類図(日下雅義『歴史時代の地形環境』より引用), 図4 狭山池周辺等高線図shize-zu.pdf (PDFファイル 1.25MB)

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3 気象

狭山池周辺の気象は、温暖少雨で積雪もほとんどない瀬戸内海式気候に含まれる。灌漑用溜池である狭山池が古代に築かれ、以後現在にいたるまでその機能を果たし続けてきたのも、狭山池をとりまくこのような気象条件があったからである。表2狭山池の北側にあたる堺と、南側の河内長野観測所の気候データであるが、山間部の河内長野の降水量が堺よりも一割ほど多いことに気付く。この中間に位置する狭山池は、やや豊富な南側の雨を一旦貯水し、水の乏しい北側の平野の灌漑に利用する機能をもっている。

表2 堺・河内長野の年間降水量
123456789101112合計
32538811713520611611014910662401,214
河内長野39619311713821313111115211786471,304
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4 植生

狭山池周辺の植生については、今回のダム化工事に先立って(財)大阪府緑化・環境協会によって詳細な調査が行われている註2)。その結果によると狭山池の東北部、西北部の斜面においてはクヌギ・コナラなどの落葉広葉樹林の群落がみられ、また池の東および西側には帯状にヌルデ・タラノキなどの好陽性の落葉低木の群落がみられた。このほか南側の道など草刈りなどの人為的干渉の著しい箇所においてはシロツメクサ・ギョウギシバなどの低茎草本群落がみられた。また池の内部においては、南岸部分においてヨシの群落がみられ、西除川流入口付近においてはキュウシュウスズメノヒエ群落、セイコノヨシ群落がみられた。そのほか池の西部においてはマコモ群落がみられ、南側の広い範囲でヒシ群落がみられた。これらの植生はもちろん狭山池の築造以後形成された二次的なものであるが、これも今回のダム工事によって大きな変化を受けている。

写真3 工事前の狭山池内
(1987年冬)
写真4 工事前の狭山池
(1985年 北側上空から)
工事前の狭山池内(1987年冬)工事前の狭山池(1985年 北側上空から)


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※当文書は狭山池調査事務所が編集・刊行した発掘調査報告書『狭山池 埋蔵文化財編』(1998年3月31日発行)をHTMLファイル化したものである。
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南河内考古学研究所