狭山池 埋蔵文化財編page41 [第2章]
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第6節 出土遺物・遺構の保存処理

[はじめに][木製枠工][中樋遺構本体等][中樋遺構出土石棺][中樋遺構出土重源狭山池改修碑]
[東樋遺構][西樋遺構][西樋遺構出土鉄製品][北堤敷葉工法][小結]
1 はじめに

狭山池からは多くの遺構が出土しているが、ダム工事に伴う池底の掘削や、堤防の盛りたてによって現位置での保存はきわめて困難であり、もちろんダム完成後、貯水が開始されれば遺構を見学することもできないために、遺構については遺物同様、取り上げて保存し、将来的な展示に備えるという方針を採った。調査が進行するうちに大阪府土木部によって(仮称)狭山池ダム資料館の建設計画が具体化してきたため、資料館内での展示を具体的な目標としてさまざまな遺構の保存を進めることとなった。保存処理は遺物が巨大で運搬が困難なこともあり、業者に依頼せず、狭山池の内外において保存処理施設を設け、直接狭山池調査事務所が実施することとなった。以下、遺構ごとに保存処理の方法と成果について報告する。なお保存処理については、奈良国立文化財研究所の沢田正昭氏に全面的にご指導いただいた。記して感謝する次第である。

図281 木製枠工ウレタン梱包状況, 図282 木製枠工PEG液散布状況, 図283 東樋遺構含浸状況hozonzu.pdf (PDFファイル 685KB)

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2 木製枠工

木製枠工の発掘調査は1993年4月より調査を開始して、翌年3月に終了した。木製枠工は木材を組み合わせて、中に土を充填し、表面に竹や石を並べた構造であり、この構造を保ったまま取り上げや保存処理を進めることは非常に困難であった。検討の結果遺構の全長28.8mのうち、2区画分、幅8.3m・奥行2.5m・高さ2.5mについて取り上げ、材木と土が一体のまま保存処理を実施することとなった。取り上げのための方法は次の通り。まず木製枠工の背後、側面を機械で掘削して側面、上面をウレタンで梱包した。この際前面についてはもちろん検出面をウレタン梱包したが、側面は外側の柱にそった土の断面を垂直に近い角度で掘削して、それが崩れないようにウレタンを吹き付けた。また背後はなるべく遺構の重量を小さくするため可能なかぎり掘削を行った。したがって一部では内面をえぐるような掘り方をして崩れる前に急いでウレタンを吹き付けるという状況にもなっている。なるべく土の部分を薄くすべく作業を進めたので、遺構の上部では30〜50cm程度の土の厚さとなっているが、下部においては土の掘削は困難であり、厚さは80cm程度と思われる。また上面は発掘調査の一過程での任意の面であり、また背後の土を掘削することもあって、柱の部分以外の土は残していない。このようにして土を掘削しながら全体的にウレタン吹き付けの作業を進めた。底部にはオーガーで横方向の穴をあけH鋼を差し込み、穴の余白を埋めるために隙間にウレタンを充填した。次にH鋼の下部に沿って鉄板を差し込み、遺構と地面を縁切りし、鉄板の下にはさらに径30cmの大きなH鋼を入れた。これは吊り上げ作業を考慮しての措置であった。これによってH鋼の上に鉄板が載り、その上に木製枠工が載る状態となったが、土が残されている前面部や側面部などについては底に鋼管を打ち込んでいる部分もある。また吊り上げ作業などによる全体的なきしみなどを防ぐために3ヶ所で鋼管による補強を行った。このように遺構の地面との縁切りおよびウレタンによる梱包を行った上で、大型のクレーンによって遺構を吊り上げ、狭山池北東角の旧体育館の敷地内に搬送した。池内の搬送は工事用の通路を利用し大型のトレーラーによって行い、池内部から体育館敷地への移動や、敷地内での移動はクレーンを移動させて、何度か釣りながら少しずつ移動させた。この時点では遺構全体をウレタンで梱包しただけであり、将来の展示にむけてどのような処理の方法を採用するのかは未定であった。取り上げられた木製枠工は、約4年間体育館の敷地内に仮置きをした。

1997年に入って、仮置場の近くでもダム化工事が始まり、またダム資料館の建築も開始されたこともあり、本格的な保存工事を開始した。保存処理の方法については、基本的にはPEG水溶液によって保存をはかるものの、木製枠工は高さ2m以上もあり、それを含浸させるプールを作ることは不可能であるうえ、木や土や竹を一体として保存する必要があるために、シャワー方式による含浸を行うこととなった。ベタ基礎の上に鉄板で深さ20cmの浅いプールを作り、その上に遺構を設置し、全体をテントに入れた上で、遺構の上方や側面にパイプを設置し、ノズルによってシャワー状に液を散布する方法である。この方法によれば漬け込むことによる、土の大規模な溶解や崩壊は防げるものの、流水が発生するために土が液中に溶けだすことが予想される。そこでプールの横には濾過装置を設置し、液を濾過した上でポンプによって循環させるシステムを採用した。PEG水溶液の濃度は当初39%で開始し、徐々に濃度をあげて最終的には45%となった。

含浸施設の基礎およびプールを作り、その上にウレタンで梱包した遺構をクレーンで吊って移動したが、その際の重量は26トンであった。その後ウレタンを人力除去したが、やはり取り上げ後4年近い年月を経ていることもあり、前面の一部で直径約1m、深さは最大で25cmほどの大きなへこみがみられた。その影響を受けて横方向の梁材も下方にずり落ちていた。このへこみの原因は乾燥による土の収縮であると考えられる。しかしそれ以外は、遺構はほぼ発掘当初の姿を保っていた。そこでへこみ部分によく似た土を池内で探して入れ、また各所みられたクラックについてもそれ以上広がることを避けるために土を詰め込んだ。またPEG水溶液を散布すると遺構の土の強度が落ちて、遺構全体が前方に滑りだすのを防ぐために前方の鉄板の上にモルタルを混ぜた改良土を貼りつけて、遺構の滑りを防いだ。土自体が多少下方向に流れだすことは当初より予想していた。また大規模な崩壊を防ぐためには土を外側から力を加えて押さえる必要があった。そのため土の表面に不織布、メッシュ材、クッション材を順に敷設し、そのうえに鉄のアングルを載せた。アングルは横方向の材によって押さえる方法を採った。この緩衝材の選定や、敷設する順番、量などは現地で何度か実験をし、土の表面にある程度PEG水溶液が留まり、しかも激しく流れないということを目的として決定した。シャワー散布は1997年の7月より開始し、1998年の3月初旬で終わった。これは遺構を資料館内部に搬入する日程が、資料館の建築工程との関係で決定しており、それに向けて一定の乾燥期間を確保する必要があったからである。乾燥のために表面のアングルをはずし、緩衝材を撤去したが、ただ土の壁が自立している状態の両側面については急速に乾燥することによってクラックが入ることを恐れてアングル材を外さなかった。約1ヶ月の乾燥によって、材木は相当に強度が生じ、また土も表面は固化した状態となった。1998年の4月には資料館への搬入時期も迫ったために、再度全体をウレタン樹脂で梱包し、館内に搬入する予定である。資料館の工事が完成した後、遺構の表面部分のウレタン樹脂は再び撤去され、乾燥および展示に向けた遺構表面の仕上げの作業をすることとなる。

また木製枠工のうち、ウレタン梱包をして取り上げた以外の部分については、同じ敷地内において鉄の水槽にPEG水溶液を入れ、そこに漬け込んで保存処理を行った。PEG水溶液は濃度39%で、1994年4月から含浸を開始し、1997年6月までの約3年間含浸処理を行った。その後現在にいたるまで大阪狭山市立総合体育館駐車場に建てた倉庫において乾燥処理を行っている。

※Web註:木製枠工のうちウレタン梱包をおこなって取り上げた部分については、1998年4月、建設途中であった大阪府立狭山池博物館常設展示室内へ搬入した(大阪府立狭山池博物館の開設準備段階における仮称は、「狭山池ダム資料館」であった)。博物館建設完了後、ウレタン除去を行い、大阪府土木部が展示工事を実施したのち、2001年3月より展示公開している。空調機器によって館内温湿度を一定に保ち、必要に応じてPEGを塗布する等の保存処理を継続している。また木製枠工のそれ以外の部材は、同館の外部収蔵庫内に保管している。

写真103 木製枠工の梱包作業写真104 木製枠工の吊り上げ作業
木製枠工の梱包作業木製枠工の吊り上げ作業

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3 中樋遺構本体等

中樋遺構の調査は1993年10月より開始し、翌年3月に終了した。調査終了後、石棺重源狭山池改修碑などを取り上げ、ついで樋本体など木材部分の取り上げ作業を実施した。樋本体については樋管および上部構造を解体せずそのままクレーンで吊り上げ、鉄製水槽に入れPEG水溶液によって含浸処理を行った。また両側の扇板、それをとめるなどについては取り上げ時に1点ずつばらばらに取り上げ同じ水槽に入れた。水槽には屋根をかけたものの、野外での処理であったためにPEG水溶液の濃度は39%とした。処理用水槽は当初狭山池の南側に設置していたが、工事の関係で池の西側に移動した。含浸処理は1994年3月に開始し、1998年3月現在でも実施している。今後資料館への搬入時期を考慮に入れながら、資料館周辺において乾燥処理の過程に移る予定である。

※Web註:1999年1月以後、狭山池の北西側に仮設した乾燥ヤード内へ移送し、乾燥・清掃作業を行った。その後、大阪府土木部が大阪府立狭山池博物館常設展示室内へ搬入し、2000年10月までに移築展示工事が完了、2001年3月より展示公開している。空調機器によって館内温湿度を一定に保ち、必要に応じてPEGを塗布する等の保存処理を継続している。
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4 中樋遺構出土石棺

中樋遺構からは計10点の家形石棺が出土している。これらについては現地よりクレーンによって取り上げ、石材の専門業者によって土台に載せて移動し、大阪狭山市立郷土資料館の駐車場敷地内に屋根をかぶせた状態で仮置した。しかしながら石棺のうち1点のみは内面に朱を施しており、また非常に石が柔らかく痛みやすい状態(二上山牡丹洞付近産凝灰岩)であったため、業者に委託して樹脂による強化処理を実施した。エポキシ樹脂を人力によって塗布し、その後、石棺を真空タンクの中にいれて気圧を下げ、石棺内の水分を飛ばし、代わりに樹脂の浸透をはかるという作業を3回実施した。この作業は1994年度に実施している。

※Web註:これらの石棺のうち、中樋石組の上段に使用されていたもの等については、博物館で中樋を移築展示するため、レプリカを作成する必要があった。このため、大阪府土木部は、1997年度に計6点の石棺・石槨材を仮置場から搬出してレプリカを作成し、その後、仮置場に再度仮置きした。2000年度になって、狭山池北西側に仮設した乾燥ヤード内へ移送し、清掃作業等を行った。その後、大阪府立狭山池博物館常設展示室内へ搬入し、2000年10月までに移築展示工事が完了、2001年3月より展示公開している。なお、石棺材1点は、同館の一般収蔵庫内に保管している。
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5 中樋遺構出土重源狭山池改修碑

中樋遺構より出土した重源改修碑は和泉砂岩製で非常に剥離しやすくまたすでに剥離した痕跡もあったので、取り上げ作業直後に業者に委託し樹脂による保存処理を実施した。処理方法は先の石棺とほぼ同じであるが、樹脂はエポキシ樹脂を使用した。この処理は1994年度に実施している。

※Web註:重源狭山池改修碑は、中樋で石組材として再利用されていた。博物館では中樋を移築展示するため、これに使用する重源狭山池改修碑のレプリカを作成する必要があった。このため、大阪府土木部は、1997年度に移築展示用と調査・展示用のレプリカを作成した。重源狭山池改修碑は保存処理後、大阪狭山市教育委員会にて保管していたが、2000年に大阪府立狭山池博物館常設展示室内へ搬入し、2001年3月より展示公開している。なお、重源狭山池改修碑のレプリカは、大阪府立狭山池博物館の中樋の移築展示にて使用しているもの1点のほかに、同館の調査・研究・展示資料として作成したもの1点、発掘調査後に狭山池調査事務所が作成したもの1点があり、この2点は同館の一般収蔵庫にて保管している。
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6 東樋遺構

東樋遺構は上下2本の樋管からなるが、ともに全長約70mという長大なものであった。下層遺構は材木を組み合わせてとめてあるだけの構造で、複雑な部分でもほぞ穴にもう一方の材を差し込みくさびで固定したものであるために解体は容易であった。番号を付して取り上げ作業を実施した。これに対して上層遺構を打って固定してあり、左右の側板も切れ目の場所が異なっており、たとえを抜いても解体は困難な状況であった。そこで墨書やのない場所を選んで10m程度の長さで切断した。鋸による目減りはそれぞれ2mm程度であった。解体あるいは切断によって上下とも移動可能な状態となったが、運搬・保存時の補強のために遺構のまわりに角材で枠を作り、吊り上げ作業はその枠にロープをかけて実施した。遺構はその規模があまりに大きかったために業者委託は不可能であり、場内にプールを作り、そこでPEG水溶液による含浸処理を行うこととした。処理場所は狭山池の南側で、プールの規模は6m×60m、深さは1mという大きなものとなった。このプールの中にまず遺構を固定して、その後に深さが90cmになるまで39%PEG水溶液を満たした。浮力を押さえるためにプールの上面にはH鋼を横方向にはり、遺構の浮上を押さえた。またPEG水溶液の腐敗や滴出を防止するためにポンプをプールの端に設置して液を循環させた。このプールの上にはビニール製のテントをはって雨水などの侵入を押さえた。遺物が巨大であり、保存に必要なPEG水溶液の量も膨大であったので、保存処理は中樋遺構同様常温で実施せざるをえなかった。含浸処理は1995年の6月より開始し1999年1月ごろまで実施する予定である。その後資料館への搬入時期を考慮しながら乾燥処理作業に移ることとなる。

※Web註:1999年1月以後、狭山池の北西側に仮設した乾燥ヤード内へ移送し、乾燥・清掃作業を行った。その後、大阪府土木部が、移築展示のための調査・清掃をおこなったのち、大阪府立狭山池博物館常設展示室内へ搬入し、2000年10月までに移築展示工事が完了、2001年3月より展示公開している。下層東樋のうち飛鳥時代の樋管は、全長約60mの長大なエアタイトケース内に移築展示し、空調機器によってケース内の温湿度を一定に保っている。下層東樋のうち奈良時代の延長部については、常設展示室内に移築展示し、上層東樋は、飛鳥時代の下層東樋のケース上部に設けた架台に移築展示している。展示室も温湿度を一定に保ち、必要に応じてPEGを塗布する等の保存処理を継続している。また、上層東樋と飛鳥時代の下層東樋を移築展示した展示室には、狭山池北堤断面土層も移築展示されている。この北堤断面と下層東樋・上層東樋は、巨大なコンクリート製の免震台の上に展示されており、万一の地震災害に備えている。また、飛鳥時代の下層東樋のうち、放水部にあたる樋管については、大阪府土木部がレプリカを作成し、調査・研究・展示のための資料として大阪府立狭山池博物館の一般収蔵庫にて保管している。

写真105 東樋遺構のプールへの搬入
東樋遺構のプールへの搬入

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7 西樋遺構

西樋遺構1993年にその存在を確認し、翌1994年に本格的な発掘調査を実施した。調査終了後、解体して遺構を構成していた材木を取り上げ、実測や写真撮影などの作業を実施し、翌1995年6月に東樋と同じプールに入れ、PEG水溶液による含浸処理を開始した。条件などはまったく東樋遺構と同様である。

※Web註:1999年1月以後、狭山池の北西側に仮設した乾燥ヤード内へ移送し、乾燥作業を行った。その後、大阪府土木部が、展示・保存のための調査・清掃をおこなったのち、大阪府立狭山池博物館内へ搬入し、常設展示を行う部材以外は一般収蔵庫内に保管した。
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8 西樋遺構出土鉄製品

西樋遺構からは多くの鉄釘カスガイなどが出土しているが、そのうち残存状況の良好なもの30点は、1996年に(財)大阪府文化財調査研究センターに委託して保存処理を実施している。処理方法は最初にX線検査によって劣化状況を把握したのち、クリーニング作業を行い、アクリル樹脂(パラロイドNAD-10)による含浸補強処理を実施した。最後に防錆処理を実施している。

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9 北堤敷葉工

北堤の断面については大阪府の堤体保存工事によって断面調査を実施し、平面的な調査は実施しなかったが、掘削の過程で第10層の敷葉が多くみられた部分において遺構を切り取りウレタン樹脂で梱包して取り上げ作業を実施した。取り上げ後、敷葉を平面的に見せるために雛壇式に掘削、整形をおこない、その後PEG水溶液を塗布し、再びウレタンで梱包、上下逆にして裏面を雛壇状に掘削した。これは処理する土の量を最小限にするための措置である。裏面の掘削した部分にもウレタンを吹き付けて間隙を充填し、再び上下を反転して元の位置に戻した。この状態で数年間放置しておいたが、ダム資料館の展示計画も固まってきたので、1998年に再びPEG水溶液の塗布および乾燥処理を行う予定である。

※Web註:その後、大阪府土木部が展示のための加工とPEG水溶液の塗布等の保存処理をおこない、大阪府立狭山池博物館常設展示室にて2001年3月より展示公開している。また、調査・研究等の目的のため、一部は一般収蔵庫にて保管している。
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10 小結

以上述べてきたように狭山池からは多くの貴重な遺物、遺構が出土しており、狭山池調査事務所はその保存処理にも全力をあげて取り組んできた。これらの遺物、遺構は処理完了後、(仮称)狭山池ダム資料館内に展示される予定である。

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※当文書は狭山池調査事務所が編集・刊行した発掘調査報告書『狭山池 埋蔵文化財編』(1998年3月31日発行)をHTMLファイル化したものである。
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南河内考古学研究所