狭山池 埋蔵文化財編page45 [第3章]
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第4節 TK217型式の類型化および他型式との相対評価
-狭山池1号窯およびその近辺の窯跡資料の評価-

狭山池調査事務所 植田隆司

[はじめに][比較基準の設定][陶邑窯跡群資料のTK217型式に至るまでの変遷過程]
[TK217型式に分類される窯跡資料の細分類][狭山池およびその近辺の窯跡資料][まとめ]

1 はじめに

本節では、狭山池およびその近辺における一連の須恵器窯跡発掘調査で出土した須恵器について考察をおこなう。特に出土した須恵器の器種の中でも多くの数量を占める蓋杯の身の形態および法量の計測データーを、陶邑窯跡群中の標式とされる窯跡資料と比較検討することで、それぞれの窯跡資料の陶邑須恵器編年における有用性を確認したい。

ここで取り上げる資料は、狭山池1号窯[SI1]狭山池2号窯[SI2]狭山池3号窯[SI3]狭山池4号窯[SI4]東池尻1号窯[HI1]の各窯から出土した須恵器である。従来の概括的な編年観をもって各資料の型式を述べると、狭山池2号窯狭山池3号窯はTK43型式〜TK209型式、狭山池1号窯狭山池4号窯東池尻1号窯はTK209型式〜TK217型式という幅の中におさまる。

ただし、ここで問題となるのは、須恵器型式に対して研究者が各々設定している概念的な判断基準の妥当性についてである。特に古墳時代後期以後においては、他の器種から得られる編年観も存在するとはいえ、やはり多くの研究者が須恵器編年の基軸としているのは杯であろう。杯の個体情報のうちで特に重視されてきたのは、杯Hの場合、杯身のたちあがりと法量に関するデーターである。たとえば、1個体の杯Hに対して、TK10型式かTK43型式かTK209型式かTK217型式かを判断するとき、最重要視されるのはその個体の法量とたちあがり形状である。その個体に施されている調整の様子は、二次的な着目点として扱われているように思われる。各研究者が既定事項のように行っている峻別作業は、一見正確なもののようにみえる。この峻別作業は、編年基準とされている資料に従って、各々の研究者が個別に把握している各型式に対する概念的な形態が存在するゆえに可能となる。須恵器1個体をTK43型式かTK209型式かと判断するに際しては、この概念的な形態を基準に据えて観察すれば問題がない。しかし、その際に基準に据えられた概念的な形態は、編年基準とされている資料から得られていることを忘れてはならない。主に用いられている古墳時代の須恵器編年は、窯跡資料をもって作成されている。周知のとおり、一つの窯から出土する須恵器の同一器種には、個体間において形態・法量の差異が存在するのが普通である。こうした個体間の差異には、層序的に先後関係を確認できるものとそうでないものとの両方が存在する。たとえば、窯体内の焼成床面ごとに出土した資料と灰原出土資料をクロスチェックして、灰原出土資料の型式学的分類を行う床式編年の事例が存在するならば、その窯跡資料に含まれる個体間の差異は層序的な先後関係を確認できるといえよう。ただし、こうした例を確認することはむつかしく、実際に行われた床式編年の過程を追確認することもできない。このような状況をふまえると、一つの窯での資料中の個体間における差異は、窯の操業期間も考慮する必要があるが、その窯跡資料の幅として捉えるのが妥当であろう。

よって、本稿では、狭山池およびその近辺における一連の須恵器窯跡の資料と、基準資料として適当な陶邑窯跡群中の窯跡の資料を取り上げ、杯H身の形態と法量の幅を比較し、標式とすべき各型式の幅を抽出する作業に重点を置いた。

図297-図299・図303 陶邑窯跡群主要窯跡の杯身法量(1)〜(4), 図300-図302・図304-図305 陶邑窯跡群主要窯跡の杯身たちあがり(1)〜(5),図306-図308 狭山池1号窯の杯身法量, 図309-図311 狭山池1号窯の杯身たちあがり, 図312 狭山池2号窯の杯身法量, 図313 狭山池3号窯の杯身法量, 図314 東池尻1号窯の杯身法量, 図315 狭山池2号窯・3号窯の杯身たちあがり, 図316 東池尻1号窯の杯身たちあがり, 図317 狭山池4号窯の杯身法量, 図318 狭山池4号窯の杯身たちあがりtk217-gl.pdf (PDFファイル 864KB)

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2 比較基準の設定

杯身の形態比較については、たちあがりの角度と高さを比較要素とした。たちあがり高は、たちあがり基部外面から口縁端部までの鉛直方向の距離を計測し、図中の縦軸とした。たちあがり角度は、たちあがり基部外面を中心点として鉛直方向を0°とし、これから、たちあがり基部外面と口縁端部を結んだ直線までの角度を計測した。これを図中では横軸とした。なお、個体中において、たちあがり高・たちあがり角度にバラツキがある場合はその平均値をとった。従来、たちあがりの形状を観察する際に、たちあがり高は数値的に把握されていたが、たちあがりの内傾度合いは数値的に把握されておらず、客観的な形態比較の要素とは言い難かった。ここで行っている一連の作業は、たちあがり形状をより客観的に評価しようとする試みである。

杯身の法量については、口径を図中の横軸に、器高を図中の縦軸にして、その数値分布を表した。そして、窯跡資料の比較対照を行う基準として、陶邑田辺編年の基準資料となっている窯跡資料註1)を採用した。

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3 陶邑窯跡群資料のTK217型式に至るまでの変遷過程

図297に示しているようにTK208号窯TK23号窯TK47号窯の杯身は、口径9cm〜10cm・器高5cm前後の値を示している。MT15号窯の杯身は、口径12cm前後・器高5cm前後の値を示している。TK10号窯の杯身は、11.8cm〜12.8cm・器高4.4cm〜4.8cmを測る。これらの杯身法量数値分布から、TK47型式以前の法量はあまり変化しておらず、MT15型式から口径の拡大が進行し、TK10型式で口径の拡大傾向をもっとも顕著に認めることができる。

図300に示しているように、MT15型式以前の杯身のたちあがりは、たちあがり高1.3cm〜2.0cm・たちあがり角度20°〜35°の値を示している。これに対して、TK10号窯の杯身のたちあがり高は1.2cm〜1.4cmを測り、TK10型式ではたちあがりの高さが低下傾向にあることが確認できる。

さらに、杯身の法量とたちあがり形状は、次のような変遷をたどる。TK43号窯の杯身の口径は11.3cm〜16.0cm、器高は3.0cm〜4.6cmを測り、図298に示したような数値分布域を示している。この数値分布状況から、TK43型式の杯身はTK10型式のそれと口径はさほど異ならないが、器高が相対的に低いことが理解できる。TK43号窯の杯身のたちあがり角度は、20°〜35°の範囲に集中し、図301のような数値分布域を示している。この数値分布状況は、すでに低下傾向にあったTK10型式の杯身たちあがりの数値分布域を内包するものであるが、MT15型式以前のそれと比較すると、たちあがり角度の値はさほど変わらずに、主としてたちあがり高の数値分布域が下方へ移行していることがわかる。以後、TK43号窯資料の数値分布範囲を「TK43集中域」と呼ぶ。

TK43号窯と同様の杯身形態・法量の数値分布を示している窯跡資料にTK118号窯資料がある。TK118号窯の杯身のたちあがり角度は2点を除いて20°〜35°の範囲に集中し、たちあがり高もほぼTK43号窯資料の分布域におさまり、本窯の杯身は、そのたちあがり角度と高さにおいてTK43号窯資料と近似したものであるといえる。

TK209号窯資料の杯身の報告点数は非常に少ないため、たちあがり・法量の数値分布を設定することが困難である。よって、TK209型式併行期の窯と考えられているTK230-II号窯の資料を参考として取り上げた。TK230-II号窯の杯身のたちあがりは、その半数以上の資料がTK43号窯資料の分布域の外にあって35°以上の内傾を示し、最も内傾するもので59°に至る。その法量は、TK43号窯資料の分布域から左外側へかけて分布している。TK43型式の杯身法量とTK209型式の杯身法量との差異は、口径の縮小化に求められる。ただし、その分布域はTK43集中域から大きくはずれたものではなく、TK43集中域に含まれる個体と口径の縮小化した個体の両方が存在しているようである。

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4 TK217型式に分類される窯跡資料の細分類

TK217号窯資料の杯身の報告点数は非常に少ないため、たちあがり・法量の数値分布を設定することが難しい。このため、TK217型式古段階の窯と考えられるTG10-I号窯の資料を参考として扱った。TG10-I号窯の杯身のたちあがりは、たちあがり高0.4cm〜0.9cmを測り、たちあがり角度33°〜60°を測る。この数値分布域は、TK43分布域とほぼ重複せず、たちあがり高の低い数値に限定して、なおかつ、より内傾したたちあがり角度を示すものである。これを「TG10-I分布域」と呼ぶ。また、その法量は、口径9.4cm〜11.1cm・器高3.0cm〜3.6cmの範囲に集中した分布を示している。この数値分布範囲を「TG10-I集中域」と呼称する。TG10-I集中域は、TK43集中域よりも口径が縮小化した値を示しており、その集中域は重複していない。このことから、TK217型式古段階の杯身法量と、TK43型式・TK209型式の杯身法量との差異は、口径の縮小化において明確に認められるといえよう。

つぎに、TK217型式新段階の窯と考えられるTG11-II号窯の資料をみてみたい。TG11-II号窯の杯身のたちあがりは、たちあがり高0.1cm〜0.4cmを測り、たちあがり角度26°〜64°を測る。この数値分布域はTG10-I分布域の下側にあり、明瞭なたちあがり高の低下が確認できる。これを「TG11-II分布域」と呼ぶ。また、その法量は、口径7.4cm〜10.4cm・器高2.3cm〜3.8cmの範囲に集中した分布を示している。この数値分布範囲を「TG11-II集中域」と呼称する。

TG10-I号窯資料とTG11-II号窯資料との中間的な経過型の法量・たちあがり数値分布を示す窯跡資料として、ひつ池西窯[HTW]があげられる註2)ひつ池西窯の杯身法量の数値分布は、TG10-I集中域とTG11-II集中域の境界を中心にして両方の集中域にまたがった分布を示している。たちあがりの数値分布も同様に両方の分布域にまたがった分布である。

ところで、TG10-I号窯資料には杯Gが含まれていない。この資料と同様の杯身法量・形態の数値分布を示す窯跡資料でも、杯Gを含まないかもしくは少数にとどまる例が多いようである。これに対して、ひつ池西窯およびそれと同様の法量・数値分布を示す窯跡資料では、杯Gを含む場合は杯Hに匹敵する数量の杯Gが出土する例が多い。蓋身逆転期の杯Hの法量・形態は、その前段階と比べて著しい縮小・退化傾向にあり、その器形の矮小化は、杯Hの生産が完全に停止する段階に至るまでの間、継続的に進行していったと理解される。

これらの窯跡資料から、TK217型式は、TG10-I→HTW→TG11-IIといった変遷過程を内包していると理解されよう。この型式内の細分類を便宜上、TK217型式第1類→TK217型式第2類→TK217型式第3類と考えたい。

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5 狭山池およびその近辺の窯跡資料

狭山池とその周辺における発掘調査で確認された窯跡には、狭山池1号窯狭山池2号窯狭山池3号窯狭山池4号窯東池尻1号窯がある。これらの窯跡から出土した遺物の報告は、本書に掲載しているとおりである。

狭山池1号窯[SI1]灰原から出土した杯身のたちあがりは、たちあがり高0.3cm〜1.0cmを測り、0.4cm〜0.8cmに集中している。たちあがり角度は15°〜60°を測り、30°〜60°に集中しており、TG10-I分布域におさまる数値分布を示している(図309〜図311)。SI1の杯身法量は、TK43集中域とTG11-II集中域にも若干の数値分布がみられるが、概ねTG10-I集中域を中心とした数値分布を示している(図306〜図308)。狭山池2号窯[SI2]灰原から出土した杯身のたちあがりは、たちあがり高0.6cm〜1.1cmを測り、たちあがり角度20°〜45°を測る。たちあがり角度が大きい、つまり内傾の度合いが大きいために、TK43分布域からはずれた計測値を示す個体が多い。概して、TK230-II号窯資料に近い分布状況であるといえよう。SI2の杯身法量は、TK43集中域からTG10-I集中域にかけて分布しており、TK43集中域内での分布は口径8cm前後に中心がある。SI2の杯身の法量とたちあがりは、TK209型式の典型的な数値分布をあらわしていると考える。

狭山池3号窯[SI3]灰原から出土した杯身のたちあがりは、たちあがり高0.6cm〜1.4cmを測り、たちあがり角度14°〜45°を測る。SI2と同様に内傾度が大きく、TK43分布域からはずれた計測値を示す個体が多いため、TK230-II号窯資料に近い分布状況を示している。SI3の杯身法量は、TK43集中域内においてほぼ均等な分布が認められるが、TG10-I集中域に入る計測値を示す個体も認められる。SI3の杯身の法量は、TK43型式の資料の数値分布として、概ね把握することができるが、たちあがりはTK209型式の数値分布として把握されるものである。

狭山池4号窯[SI4]灰原から出土した杯身のたちあがりは、たちあがり高0.3cm〜0.6cmを測り、たちあがり角度31°〜66°を測る。TG10-I分布域からTG11-II分布域にかけて分布しており、ひつ池西窯[HTW]と同様の数値分布状況であるといえる。SI4の杯身法量は、口径8.8cm〜11.8cm・器高2.1cm〜3.3cmを測り、TG10-I集中域からTG11-II集中域にかけて分布しており、これもひつ池西窯と同様の数値分布状況である。

東池尻1号窯[HI1]灰原から出土した杯身のたちあがりは、たちあがり高0.4cm〜0.8cmを測り、たちあがり角度25°〜52°を測る。たちあがり高はTG10-I集中域におさまる数値であるが、たちあがり角度が若干立ち気味であるので、参考として図のようにHI1集中域を設定した(図316)。HI1の杯身法量は、ほぼTG10-I集中域内に数値分布が認められる。

以上のデーターから、各窯跡資料の型式は以下のように考えるのが妥当であろう。

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6 まとめ

今回の発掘調査において、操業期間が短期間と考えられる須恵器窯跡が確認され、この窯跡の操業時期の上限を実年代で示すことが可能であったのは、きわめて重要な成果であろう。TK217型式の古段階に位置付けられる窯跡資料を生産した狭山池1号窯は、その窯が構築された基盤層の下層にある東樋樋管材の伐採年代A.D.616年を遡行する操業開始時期を想定できない。また、狭山池1号窯が生産した須恵器は型式的なまとまりが高い資料であると評価できる。つまり、TK217型式の古段階に位置付けられる陶邑窯跡群中の窯跡資料として、狭山池1号窯資料は、実年代が判明した有用性の高い基準資料であるといえよう。

ところで、東池尻1号窯で生産された須恵器は、狭山池1号窯のそれと同一型式に細分類されるものである。狭山池の築造過程の中で考えれば、東池尻1号窯東樋設置と第1次堤体築造に先行する可能性がある。しかし、その場合においても、TK217型式の細分類内におさまる時間差しか考えられないため、狭山池北堤築造に関する一連の工程はきわめて短期間に実行されたと考えられよう。

狭山池4号窯から出土した須恵器は、狭山池1号窯よりも後出の要素をもった資料である。狭山池北堤斜面にを造営したのち、狭山池の築造工事が完了していたであろう時期(おそらく7世紀中葉)に、池内の最高水位以上に位置する斜面において、なおもを造営していたのである。

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註)
1)陶邑窯跡群中の基準資料については、下記の文献を参照した。
田辺昭三『陶邑古窯址群I』平安学園考古学クラブ研究論集第10号 1968
田辺昭三『須恵器大成』1981
中村浩『陶邑II』大阪府文化財調査報告書第29集 1979
野上丈助『陶邑V』大阪府文化財調査報告書第33集 1982
2)大阪狭山市教育委員会『ひつ池西窯』大阪狭山市文化財報告書10 1993
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※当文書は狭山池調査事務所が編集・刊行した発掘調査報告書『狭山池 埋蔵文化財編』(1998年3月31日発行)をHTMLファイル化したものである。
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南河内考古学研究所