大阪狭山市域の須恵器窯跡一覧,,,,,,, No.,窯跡名,所在地,立地,現況,出土遺物,須恵器型式,備考1,太満池北窯(太満池A窯),東池尻四丁目,A主谷左岸の中位段丘崖,1990年に発掘調査実施。燃焼部が検出された。池底側の灰原と歯車工作所敷地内の焼成部は未検出。,杯蓋・杯身・甕・窯壁片,TK209型式,「太満池南窯・北窯発掘調査報告書」『大阪狭山市文化財報告書』5、1991年。町史に「窯が遺存」・「V期」と記載2,太満池南窯(太満池B窯),東池尻四丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,1990年に発掘調査実施。窯体の余熱による焼土層と灰原が検出された。窯体部分は未検出。,杯蓋・杯身・高杯・ハソウ・提瓶・脚付長頸壺・短頸壺・壺・甕・窯壁片,TK43型式〜TK209型式,「太満池南窯・北窯発掘調査報告書」『大阪狭山市文化財報告書』5、1991年。町史に「窯壁、土器片散乱」・「V期」と記載3,仮称 大鳥池東窯(大鳥池窯),東野中一丁目,B主谷右岸の中位段丘崖,大鳥池東岸中央付近に位置する。1990年に実施された大鳥池護岸工事直後の踏査では、須恵器片の散布が確認できた。,杯蓋・杯身・甕・窯壁片,TK209型式,町史に「窯壁、土器片散乱」・「V期」と記載4,仮称 へど池窯(ヘド池窯),東池尻六丁目,B主谷右岸の中位段丘崖,下水処理施設建設工事に先立つ試掘調査で池岸にトレンチを掘削するが、遺物・遺構等検出できず。,なし,-,町史に「土器片散乱」・「V期」と記載5,池尻新池北窯(新池西窯),狭山五丁目,B主谷左岸の中位段丘崖,池尻新池西岸中央付近に位置する。窯体が遺存すると考えられる段丘崖の上方はコンクリート擁壁で覆われており、表面観察を行うことができない。灰原は冬季の低水位時でも確認できない。,なし,-,町史に「灰原がよくのこる」・「V期」と記載6,狭山池2号窯(狭山池A窯),狭山二丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,狭山池東岸に位置する。1990年に灰原部分の発掘調査が実施された。灰原が広がる範囲は南北約50m・東西約4m。狭山池東堤より東側の宅地下に中位段丘崖があるため、窯体の遺存も想定される。,杯蓋・杯身・高杯・ハソウ・提瓶・短頸壺・甕,TK209型式,狭山池調査事務所『狭山池』埋蔵文化財篇、1998年。町史に「窯片、土器片散乱」・「U期」と記載7,陶器山42号窯(梶が浜窯),山本東,高位段丘崖,比高差約18mの東向き斜面に位置する。関西大学が試掘調査を実施して灰原を確認したようであるが詳細不明。1962年の分布調査時には崖面に厚い灰層断面の露出が確認されている。宅地造成に伴う試掘調査を1996年に実施したが、灰原層および原地形は破壊されており、わずかに灰層・遺物が整地層上に散在していた。,杯蓋・杯身・甕,TK10型式〜TK43型式,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年。町史に「土取工事で消滅」・「U期」と記載8,(オノガ池窯),山本南,C主谷に合流する高位段丘開析谷斜面,小野ヶ池南端の流入路右岸に位置する。岸部の段差は約2m。段差周辺に遺物の散布がみられる。,甕・窯壁片,TK43型式〜TK209型式,町史に「灰原がよくのこる」・「V期」と記載9,(上今熊窯),不明,不明,不明,不明,-,町史に「昭和26年開墾」・「V期」と記載10,陶器山46号窯(アゼガ谷窯),今熊七丁目,高位段丘開析谷の西側斜面,二本木池を堰き止める堤の西端に位置する。現在は池全体が埋められたため、位置確認すら困難である。分布調査時は、岸の崖面から池内側にかけて遺物の散布が確認された。1962年の分布調査では、幅2mの焼成部床面2層が岸近くの池底に遺存するとされている。,壺・甕・窯壁片,TK43型式〜TK209型式,町史に「3基露出」・「V期」と記載11,陶器山45号窯(陶器山A窯),今熊七丁目,丘陵斜面,マンション敷地内に位置するため、遺存状況不明。1962年の分布調査では、梨園と雑木林の境にある崖面に窯壁片・須恵器片の包含が確認されている。,なし,-,町史に「灰原が遺存」・「V期」と記載12,陶器山44号窯(陶器山B窯),今熊七丁目,丘陵斜面,原地形をとどめていないため、所在の見当もつかない。1962年の分布調査時には窯壁片・須恵器片の散布が確認されている。,なし,-,町史に「道路で破壊」・森編年「V期」と記載13,陶器山66号窯(陶器山C窯),今熊五丁目,丘陵斜面,腐植土層の堆積が厚く、遺存状況不明。1962年の分布調査では道路上に灰原の露出がみられ、付近に窯壁片・須恵器片の散布が確認されている。,なし,-,町史に「灰原の一部のこる」・森編年「V期」と記載14,陶器山73号窯(陶器山D窯),今熊五丁目,丘陵斜面,陶器山丘陵主尾根南東斜面に位置するが、腐植土層の堆積が厚く、遺存状況不明。1963年の分布調査では、地表下50cm〜70cmに厚さ約10cmの灰層が検出され、周辺に遺物の散布が確認されている。,なし,-,町史に「窯壁、土器が散布」・「V期」と記載 15,(三都小学校東北の窯),不明,不明,不明,不明,-,町史に「府道工事で破壊」・「V期」と記載 16,(壺焼窯),茱萸木三丁目,D主谷右岸の中位段丘崖,畑地にある比高差約3mの段差に窯体が遺存していると思われる。崖面流出土中に遺物が検出された。段差下の水田においてマンションが建設されたため、これに先立つ試掘調査を1990年に実施。地表下80cmで地山面に達し、灰原等の遺存は確認できなかった。窯体は崖面より北側に遺存していると推定される。,杯蓋・杯身・甕・窯壁片,TK209型式,町史に「窯壁・土器片散布」・「V期」と記載 17,仮称 西山1号窯(西山窯),今熊二丁目・茱萸木四丁目,高位段丘斜面,帝塚山学院大学敷地となっている西山の東向き斜面および斜面下の住宅地に位置する。1958年に発掘調査が実施され、斜面裾部分に焚口がある長さ11.2mの窯体が検出された。灰原は茱萸木新池内に及んでおり、1990年にトレンチによる試掘調査を実施した。池堆積物上面から約80cmで地山面に達し、この調査時には灰原を確認することはできなかった。,杯蓋・杯身・高杯・ハソウ・壺・横瓶・甕(1958年調査時)。杯蓋・杯身・高杯・提瓶・長頸壺・壺・甕(第4図、1990年調査時),TK10型式・TK43型式・TK217型式,町史に報告あり。 18,(東野の窯),東野中三丁目,B主谷左岸の中位段丘崖,新池北側の畑地にある比高差約2mの段差に遺存していたと推定される。,なし,-,町史に「融着土器片散乱」と記載 19,(西池尻南窯),池尻中一丁目,A主谷左岸の中位段丘崖,完全に宅地化されているため遺存状況不明。,なし,-,町史に「窯断面が露出」・森編年「V期」と記載 20,ひつ池西窯(ヒツ池西窯),金剛二丁目,B主谷左岸の中位段丘崖,ひつ池西岸の南端付近に位置する。1991年に池内で発掘調査を実施。南北13m・東西10mの灰原が検出された。段丘上面は住宅が建っているが、窯体の一部が遺存する可能性を残す。,杯蓋・杯身・杯・ハソウ・平瓶・長頸壺・短頸壺・壺・甕,TK217型式第2類,「ひつ池西窯」『大阪狭山市文化財報告書』1993年。町史に「灰原がよくのこる」・「V期末〜W期前半」と記載 21,(ヒツ池西北の窯),金剛二丁目,B主谷左岸の中位段丘崖,集合住宅の敷地と駐車場の間に比高差約2mの段差があり、そこに遺存すると想定されるが、コンクリート擁壁・アスファルト舗装で覆われているため、遺存状況は不明。,なし,-,町史に「土器片散布」・「V期?」と記載 22,(狭山神社南窯),半田一丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,狭山神社南側の西向き斜面に位置する。踏査時には腐植土の堆積が厚く、遺物散布を確認することができなかったが、狭山神社遺跡の発掘調査の際に、斜面および斜面下の平坦部において須恵器が多量に出土しており、窯跡が遺存する可能性はきわめて高い。,杯蓋・杯身・甕(周辺地区),TK43型式〜TK209型式,町史に「土器片散乱」と記載 23,狭山池4号窯(狭山池B窯),狭山二丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,狭山池東岸中央付近に位置する。1997年に池岸部分に遺存していた灰原を発掘調査。灰原は南北20m・東西12mの範囲に及ぶが、2次堆積層の可能性が高い。窯体は現在の狭山遊園敷地内に遺存する可能性も残すが、遊園地各遊技施設設置時の立会調査では確認できていない。,杯蓋・杯身・杯・高杯・平瓶・長頸壺・短頸壺,TK217型式第1類〜第2類,狭山池調査事務所『狭山池』埋蔵文化財篇、1998年。町史に「窯壁片散乱」・「V期前半」と記載 24,(狭山池C窯),岩室,A主谷右岸の中位段丘崖,1990年の発掘調査の結果、当該地点に窯跡は存在せず、池岸に、大溝・建物跡・ピット群などの遺構が検出された。,-,-,町史に「窯壁片、土器片散乱」・「V期」と記載 25,(狭山池D窯),岩室,A主谷右岸の中位段丘崖,同上,-,-,町史に「窯壁片、土器片散乱」・「V期」と記載 26,(狭山池E窯),岩室,A主谷右岸の中位段丘崖,狭山池北堤の東端に接する池岸に窯跡の遺存が想定されていたが、1995年の東樋遺構発掘調査で当該地点には須恵器窯跡は存在しないことが判明した。他の箇所の窯跡から灰層を運び、北堤盛土に用いているため、これが誤認されたものと思われる。,なし,-,町史に「窯壁片、土器片、灰原がある」・「V期」と記載 27,東池尻1号窯(狭山池北方の窯),狭山三丁目・東池尻三丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,1992年〜1993年に発掘調査実施。分布調査時、現地は比高差約7mの西向き斜面に竹林が繁茂していたため、腐葉土の堆積が激しく、表面採集遺物は皆無であった。発掘調査の結果、焼成部の一部と灰原が検出された。,杯身・杯蓋・杯・高杯・ハソウ・提瓶・平瓶・長頸壺・短頸壺・壺・甕・器台,TK217型式第1類,狭山池調査事務所『狭山池』埋蔵文化財篇、1998年。町史に「窯壁片、土器片散乱」・「V期」と記載 28,(狭山池北方の窯),狭山三丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,比高差約4mの斜面上端には住宅が建ち、斜面下端は畑地と児童公園になっている。斜面もコンクリート擁壁で覆われているため、遺存状況は不明。,なし,-,町史に「大規模な灰原」・「V期」と記載 29,(東幼稚園南西の窯),東池尻三丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,比高差約5mの北西向き斜面に窯体が遺存する可能性がある。,なし,-,町史に「窯壁片、土器片散乱」・「V期」と記載 30,(蓮光寺東方の窯),東野中二丁目,B主谷左岸の中位段丘崖,東野公園東側の東向き斜面は雑木林となっており、ある程度の遺存が想定される。,-,-,町史に「窯壁散乱(字壺焼の西)」・「V期」と記載 31,山本1号窯陶器山252号窯(大野東方の窯),山本北,高位段丘開析谷の斜面,1987年に焼成部の一部を発掘調査。,杯蓋・杯身・高杯・ハソウ・甕・器台,TK85型式・MT15型式・TK10型式,大阪狭山市教育委員会「山本1号窯(MT252)発掘調査報告書」『大阪狭山市文化財報告書』1、1988年。町史に「灰原がよくのこる」・「T期後半」と記載 32,(北池北西の窯),山本南,高位段丘開析谷の斜面,現在は食品会社敷地内の駐車場となっており、アスファルト舗装で覆われている。,なし,-,町史に「開墾で破片散乱」・「V期」と記載 33,陶器山14号窯(北池北岸の窯),岩室二丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,北池北岸西寄りに位置する。1962年に分布調査・試掘調査が行われ、岸部で灰原が検出された。灰原は2層あり、炭を多量に含む上層からは長脚2段スカシの高杯が、炭の少ない下層からは1段スカシの高杯が出土している。灰原の規模は、幅14m・厚さ1.5m以上。今回の踏査では、岸部外側の畑地での遺物散布を確認した。,壺・甕,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年。町史に「灰原がのこる」・「V期」と記載 34,陶器山13号窯(北池北岸の窯),岩室二丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,北池北岸中央付近に位置する。1962年の分布調査では、岸部に灰層が確認された。現在も遺物散布が確認できるが、腐葉土堆積のため、遺存状況は不明。,甕・窯壁片,MT15型式・TK10型式,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年。町史に「灰原がのこる」・「V期」と記載 35,陶器山12号窯(北池北岸の窯),岩室二丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,北池北岸東寄りに位置する。1962年の分布調査時には、焼成部横断面の露出が確認されている。焼成部幅は1.7m。現在も岸部斜面に遺物散布が確認できるが、腐葉土堆積のため、焼成部の露頭は確認できない。,杯蓋,MT15型式〜TK10型式?,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年。町史に「灰原がのこる」・「V期」と記載 36,陶器山54号窯(北池南岸の窯),岩室二丁目,高位段丘開析谷の南側斜面,北池南岸東端に位置する。コンクリート擁壁で覆われている箇所が多いため、遺存状況は不明。1962年の分布調査では須恵器片の散布が確認されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年。町史に「灰原がのこる」・「V期」と記載 37,陶器山31号窯(岩室新池の窯),今熊七丁目,丘陵斜面,新池南岸中央付近に位置する。池岸部は護岸擁壁で被覆されており、遺存状況不明。1962年の分布調査時には、岸部崖面に幅2mの窯体断面が露出し、前方の池底にはこれに続く床面が6m程度露出していたようである。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年。町史に「窯の天井露出」と記載 38,(今熊北方の窯),不明,不明,不明,不明,-,町史に「土取工事で消滅」・「W期前半」と記載 39,陶器山74号窯(今熊西方の窯),今熊四丁目,丘陵斜面,陶器山丘陵主尾根より派生する支尾根の頂部付近の北斜面に位置する。腐植土の堆積が厚く、遺存状況不明。1963年の分布調査では、主尾根上を通る天野街道から支尾根に沿ってのびる道路の切り通し崖面に、厚さ20cm〜30cmの灰層が確認されている。この時、蓋杯・高杯・ハソウ・甕などの遺物散布も確認されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年。町史に「広範囲に窯壁、土器片散布」・「T期後半」と記載 40,(洞谷池北西の窯),今熊四丁目,丘陵斜面,陶器山丘陵主尾根斜面中腹に位置する。雑木の繁茂が激しいため、踏査不能。,なし,-,町史に「灰原露出」・「T期後半」と記載 41,(洞谷池北西の窯),今熊四丁目,丘陵斜面,陶器山丘陵主尾根より派生する支尾根の斜面中腹に位置する。雑木の繁茂が激しいため踏査不能。,なし,-,町史に「窯壁、土器片散乱」・「T期後半」と記載 42,(黒目池北西の窯),大野台七丁目,丘陵斜面,陶器山丘陵主尾根斜面裾もしくは主尾根から北東に派生する支尾根の斜面裾に位置したと推定されるが、宅地造成のためにほとんど原地形をとどめない。,なし,-,町史に「灰原がのこる」・「Y期」と記載 43,(西池尻の北窯),池尻中一丁目,A主谷左岸の中位段丘崖,道路と駐車場の間に比高差約3mの崖があるが、コンクリート擁壁で被覆されているため遺存状況不明。,なし,-,町史に「住居地となる」・「V期」と記載 44,陶器山2号窯(洞谷池北西の窯),今熊四丁目,丘陵斜面,陶器山丘陵主尾根付近の斜面に位置する。尾根頂部で砂質土が赤橙色に変色した層が露出しているのが確認できる。1962年の分布調査では、天野街道が窯の焚口付近を横断し、尾根頂部の地山の赤変箇所周辺に遺物が散布していたようである。赤変箇所が奥壁付近に相当して、窯体は北西に開口するようである。,なし,-,町史に「窯壁、土器片・灰原」・「T期後半」と記載 45,(東池尻北西の窯),東池尻四丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,宅地と駐車場の間にある比高差約4mの西向き斜面に位置する。斜面部分は宅地造成に伴って整形されており、斜面上面もアスファルト舗装されているため、遺存状況不明。,なし,-,町史に「窯壁、土器片散乱」・「V期」と記載 46,(東池尻北西の窯),東池尻四丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,45号窯の南側に位置し、畑地と駐車場の間の比高差約4mの斜面に、須恵器片・窯壁片が散布。旧地形が保たれているため、窯跡の遺存状況は良好と想定される。,杯身・甕・窯壁片,TK209型式,町史に「窯壁、土器片散乱」・「V期」と記載 47,(新池東窯),東池尻一丁目,B主谷左岸の中位段丘崖,新池北堤の北側、東除川左岸の畑地にある比高差約3mの南東向き斜面に位置する。斜面中腹の平坦部から斜面下端にかけて、明橙色の焼土が広がり、この箇所から斜面下にわたって、須恵器片・窯壁片が散布する。,杯蓋・杯身・甕・窯壁片,TK43型式・TK209型式,町史に「窯壁片散乱」・「V期」と記載 48,(48号窯),池尻中一丁目,A主谷左岸の中位段丘崖,1962年に狭山町史編纂委員会によって発掘調査が実施された。窯体は、長さ14.0m・幅2.4〜2.9m・高さ1.4mで、4層の焼成床面が確認されている。,杯身・杯蓋・高杯・ハソウ・壺・甕・窯道具,TK10型式〜TK209型式,- 49,-,山本東,高位段丘崖,現在は工場が建っており、遺存状況不明。,なし,-,- 50,陶器山43号窯,山本東,高位段丘崖,現在、当該地点周辺に柵がめぐっており、踏査不能。原地形をほとんどとどめていないように見受けられる。1962年の分布調査では、人鍬池西岸に薄い灰層断面が露出し、窯壁片・土器片の散布が認められたようである。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 51,陶器山69号窯,池之原四丁目,高位段丘崖,ごも池を堰き止める東岸の堤の北端に遺物の散布が確認できた。1962年の分布調査では南西岸の崖面に包含層断面の露出が確認されている。,杯身・壺・甕,TK43型式?,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 52,-,池之原四丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,東向きの段丘斜面はコンクリート擁壁で覆われており、遺存状況は不明。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 53,陶器山49号窯,岩室二丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,芦池北岸に位置する。現在、芦池北岸はコンクリート擁壁で覆われており、遺存状況不明。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 54,陶器山15号窯,岩室二丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,北池北岸西端に位置する。1962年に池岸部分で分布調査・試掘調査が行われた。分布調査では、灰層断面の露出と窯壁片・須恵器片の散布が確認され、試掘調査では須恵器片を多量に含む赤褐色の包含層が検出された。試掘調査で出土した遺物は、陶邑田辺編年MT15型式の標式資料となっている。,杯蓋・杯身・高杯・ハソウ・提瓶・短頸壺・甕(1962年試掘調査時),MT15型式,田辺昭三「陶邑古窯址群T」『平安学園考古学クラブ研究論集』第10号、1966年 55,陶器山37号窯,山本南,C主谷に合流する高位段丘開析谷斜面,小野ヶ池東岸に位置する。池の水位が高いため踏査不能。1962年の分布調査では少量の土器片散布が認められた。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 56,陶器山11号窯,岩室三丁目,高位段丘開析谷の南側斜面,濁り池南岸に位置する。池岸がコンクリート擁壁で護岸されているため、遺存状況不明。1962年の分布調査では岸部崖面に須恵器片・窯壁片の包含が確認されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 57,陶器山10号窯,岩室三丁目,高位段丘開析谷の東側斜面,現在、府道堺狭山線上にドットされるが、元は乙女池東岸に位置していた。1962年の分布調査では岸部の崖に焼成部上半の横断面が露出し、池底部分に燃焼部が長さ2mにわたって露出し、その先に灰原が一部露出している状況が確認された。焼成部の幅は1.7mで窯体主軸はN-5°-NW。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 58,陶器山60号窯,岩室三丁目,高位段丘崖,現在、アスファルト舗装されている業者敷地内にドットがあるため、遺存状況を確認できない。1962年の分布調査では、畑地と雑木林の境にある崖面に灰層の横断面が露出し、付近一帯に須恵器片の散布がみられた。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 59,陶器山59号窯,岩室三丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,長谷池北岸に位置する。護岸擁壁で覆われているため遺存状況不明。1962年の分布調査では岸部崖面の灰層露出と須恵器片・窯壁片の散布が確認された。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 60,陶器山58号窯,岩室三丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,長谷池北岸に位置する。護岸擁壁で覆われているため遺存状況不明。1962年の分布調査では岸部崖面に須恵器片・窯壁片の包含が確認された。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 61,陶器山3号窯,岩室一丁目,高位段丘開析谷の西側斜面,もとは尻屋池の西岸中央付近に位置したが、現在は池南半分が埋め立てられており、遺存状況不明。1962年の分布調査では岸部崖面での灰層断面の露出と池底での須恵器片・窯壁片の散布が確認された。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 62,-,岩室一丁目,高位段丘開析谷の西側斜面,尻屋池の西岸南端付近に位置したが、現在は池南半分が埋め立てられており、遺存状況不明。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 63,陶器山4号窯,岩室一丁目,高位段丘開析谷の東側斜面,尻屋池の東岸に位置したが、現在は池南半分が埋め立てられており、遺存状況不明。1962年の分布調査では岸から3m北西の池底に焼成部奥壁の一部が確認された。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 64,陶器山57号窯,岩室三丁目,高位段丘開析谷の南側斜面,長谷池南岸に位置する。護岸擁壁で覆われているため遺存状況不明。1962年の分布調査では岸部に北東へ開口する焼成部床面の一部の遺存と須恵器片・窯壁片の散布が確認された。焼成部幅は約2mで、床面傾斜角は約20°。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 65,陶器山9号窯,岩室一丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,現在、ガスタンク用地内の比高差約4mの斜面にドットされている。1962年の分布調査では斜面に窯体と灰原断面の露出が確認され、灰原のみ試掘調査が行われた。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 66,-,今熊一丁目,高位段丘開析谷の西端斜面,個人住宅が建ち、原地形をとどめていないため遺存状況不明。,なし,-,- 67,陶器山56号窯,今熊一丁目,高位段丘開析谷の南側斜面,スッポン池南岸に位置する。腐植土の堆積が厚く詳細は不明であるが、原地形を残しているため、良好な遺存状況を示す可能性がある。1962年の分布調査では、岸部崖面に灰層の断面が露出し、周辺に須恵器片の散布が確認されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 68,陶器山47号窯,今熊七丁目,高位段丘開析谷の北側斜面,当該地点は現在駐車場になっており、舗装で完全に被覆されているために遺存状況は不明。1962年の分布調査では、水田の畦に灰層断面の露出があり、須恵器片・窯壁片の包含が確認されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 69,陶器山30号窯,今熊六丁目,丘陵斜面,新池南岸東端付近に位置する。堤護岸改修時に立会調査を実施したが、窯跡に関連する遺構は検出できなかった。1962年の分布調査では須恵器片・窯壁片の散布が確認されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 70,陶器山78号窯,今熊六丁目・今熊七丁目,丘陵斜面,現在マンションが建っている敷地内か、その南西側斜面に相当すると思われる。斜面は雑木の繁茂が激しく踏査不能。1963年の分布調査・試掘調査では、斜面頂部から中腹にかけて果樹園内に須恵器片・窯壁片が多量に散布し、頂部から一段下の平坦面では地表下25cmに灰原が検出されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 71,陶器山76号窯,今熊五丁目,丘陵斜面,丘陵支尾根先端の東斜面裾に位置する。斜面裾に住宅があるため、当該地点はコンクリート擁壁で被覆されている。1963年の分布調査では須恵器片・窯壁片の散布が確認されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 72,-,今熊五丁目,丘陵斜面,丘陵主尾根東斜面に位置する。尾根上から斜面裾まで踏査を実施したが、腐植土の堆積が厚く、遺存状況不明。,なし,-,- 73,-,今熊四丁目,丘陵斜面,丘陵主尾根から東北東に派生する支尾根先端付近の北側斜面に位置する。遺物散布等は確認できなかった。,なし,-,- 74,陶器山75号窯,今熊四丁目,丘陵斜面,丘陵主尾根から北東に派生する支尾根先端付近の東側斜面に位置する。斜面裾と水田との境にある溝の底に青灰色粘土層が露出しているが、1963年の分布調査時に確認された窯体床面や須恵器片・窯壁片の散布は確認できなかった。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 75,陶器山79号窯,西山台五丁目,丘陵斜面,丘陵主尾根から北東に派生する支尾根の南斜面中腹に位置する。現在、団地敷地内となっている。1963年の分布調査では陶棺片の散布が確認され、杯身が採集されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 76,陶器山80号窯,西山台五丁目,丘陵斜面,丘陵主尾根から北東に派生する支尾根の先端、南斜面裾に位置する。現在、団地敷地内となっている。1963年の分布調査では、窯体断面が0.75mの幅で露出し、付近に灰層の露出が確認されている。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 77,-,大野西,丘陵斜面,丘陵主尾根から北東へ派生する支尾根の北西斜面中腹に位置する。支尾根頂部より斜面裾まで踏査をおこなったが、腐植土の堆積が厚く遺存状況不明。,なし,-,- 78,-,池之原一丁目,C主谷左岸の中位段丘崖,副池西岸の北端に位置する。かつて須恵器片が採取されたことがあるようだが遺存状況等不明。,なし,-,- 79,-,池之原二丁目,D主谷左岸の中位段丘崖,三津屋川の狭山池流入口の北西にある水田に位置する。当該箇所の段丘崖は、すでに地表面では観察できない。遺存状況等不明。,なし,-,- 80,-,池之原三丁目,D主谷左岸の中位段丘崖,三津屋川の左岸、亀の甲交差点の北西に位置する。比高差約3mの南東向き斜面には竹林が繁茂しているため、腐植土の堆積が厚く、遺存状況不明。ただし、原地形は保たれているため、窯体が遺存する可能性は高いと思われる。,なし,-,- 81,今熊1号窯,今熊一丁目,D主谷左岸の中位段丘崖,西小学校のプール東側の住宅地内に位置する。個人住宅建て替え時に新規発見され、1994年に発掘調査を実施。焼成部の幅は1.6m、現存高は0.8m。焼成床面は3枚あり、第1次焼成床面の角度は22°。当該地点南西側には燃焼部・灰原が遺存する可能性がきわめて高い。,杯蓋・杯身・高杯・提瓶,TK43型式・TK209型式,大阪狭山市教育委員会「大阪狭山市内遺跡群発掘調査概要報告書4」『大阪狭山市文化財報告書』12、1994年 82,陶器山51号窯,今熊一丁目,D主谷左岸の中位段丘崖,西小学校南側の畑地境界にある比高差約3mの斜面に位置する。今回の踏査では遺物の散布を確認できなかったが、狭山高校の分布調査時には11点の須恵器が採集されている。また、1962年の分布調査時には、この斜面に灰層断面が確認されている。現在も、地形改変が行われていないため、良好な遺存状況が想定される。,杯蓋・杯身・短頸壺・壺(第5図、狭山高校分布調査時採集),TK209型式,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 83,陶器山48号窯,茱萸木三丁目,D主谷右岸の中位段丘崖,[16号窯]の南東側に位置する。畑地にある比高差約3mの段差に窯体が遺存していると思われる。崖面流出土中に遺物が検出された。段差下の水田における試掘調査では、灰原等の遺存は確認できなかった。窯体は崖面より東側に遺存していると推定される。,杯蓋・杯身・甕・器台・窯壁片,TK43型式・TK209型式,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 84,陶器山52号窯,茱萸木三丁目,D主谷右岸の中位段丘崖,陶器山48号窯の南西側に位置する。畑地にある比高差約3mの段差に窯体が遺存している可能性が高い。崖面流出土中に遺物が検出された。段差下の水田における試掘調査では、灰原等の遺存は確認できなかった。,杯蓋・杯身・長頸壺(第6図、狭山高校分布調査時採集),TK47型式・TK209型式・TK217型式,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 85,陶器山53号窯,茱萸木三丁目,D主谷右岸の中位段丘崖,陶器山52号窯の南西に位置する。畑地にある比高差約3mの段差に窯体が遺存している可能性が高い。崖面流出土中に遺物が検出された。1962年の分布調査では崖面で灰層の露出が確認されている。,杯蓋・杯身・高杯(第7図、狭山高校分布調査時採集),TK43型式・TK209型式,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 86,陶器山65号窯,今熊六丁目,D主谷左岸の中位段丘崖,ミノルタカメラ敷地の南西に位置する。道路と住宅の間に比高差約5mの斜面があり、ここに遺存したと想定されるが、擁壁で被覆されているため、遺存状況不明。1962年の分布調査時、当該地点周辺は採土場として利用されており、ブルドーザーで削平された箇所に窯体が露出していたという。燃焼部と焚口が遺存し、南東向きに開口していたようである。焚口幅2.4m、窯体現存長3.5m。,なし,-,大阪府教育委員会『陶器山周辺地域窯跡調査概報』1963年 87,-,池尻中一丁目,A主谷左岸の中位段丘崖,共同住宅下に比高差約2mの斜面が残っており、付近にわずかながら遺物の散布が確認できる。,杯蓋・杯身・甕・窯壁片,TK43型式〜TK209型式,- 88,狭山池1号窯,岩室,狭山池北堤第1次堤体の北側斜面,狭山池北堤の中央よりやや東側に位置する。1994年の発掘調査で、南北約30m・東西最大30mの灰原を検出。窯体は遺存していない。,杯蓋・杯身・杯・高杯・椀・ハソウ・平瓶・長頸壺・短頸壺・横瓶・甕,TK217型式第1類,狭山池調査事務所『狭山池』埋蔵文化財篇、1998年 89,狭山池3号窯,狭山二丁目,A主谷右岸の中位段丘崖,狭山池東岸に位置する。1990年・1991年に灰原部分の発掘調査が実施された。灰原が広がる範囲は南北約7m・東西約11m。狭山池東堤よりも東側の宅地と狭山遊園地スケートリンク場の下に中位段丘崖があるため、窯体の遺存も想定される。,杯蓋・杯身・高杯・ハソウ・提瓶・広口壺・短頸壺・甕・器台,TK43型式〜TK209型式,狭山池調査事務所『狭山池』埋蔵文化財篇、1998年 90,-,半田三丁目,A主谷左岸の中位段丘崖,西除川左岸の竹林に比高差約5mの斜面があり、斜面裾に遺物の散布が確認できる。,杯蓋・甕,TK43型式〜TK209型式,- 91,-,半田三丁目,A主谷左岸の中位段丘崖,西除川左岸の畑地と住宅地の間の斜面に位置する。コンクリート擁壁で覆われているため、遺存状況不明。,なし,-,- 92,仮称 西山2号窯,今熊二丁目・茱萸木四丁目,高位段丘斜面,帝塚山学院大学敷地となっている西山の東向き斜面および斜面下の住宅地に位置する。斜面部分は雑木の繁茂が激しいため踏査が難しい。斜面下において遺物の散布が確認されている。,杯蓋・杯身・高杯・ハソウ(第3図),TK47型式,- 93,-,茱萸木八丁目,A主谷に合流する中位段丘開析谷斜面,二与門池東岸中央よりやや南寄りに位置する。踏査時は池の水位が高く、現況不明。,-,-,- 94,仮称 大鳥池西窯,東池尻五丁目,B主谷左岸の中位段丘崖,大鳥池西岸の中央より南寄りに位置する。池岸は擁壁で護岸されているため遺存状況不明。池岸上方で遺物1点を採集した。,甕,TK43型式〜TK209型式?,- 95,池尻新池南窯,狭山五丁目,B主谷左岸の中位段丘崖,現況では池尻新池西岸の南端付近に位置する。1989年に池岸部分で発掘調査を実施。南北12.5m・東西1.7mの灰原が検出された。,杯蓋・杯身・高杯・脚付椀・椀・提瓶・短頸壺・甕,TK43型式,大阪狭山市教育委員会「池尻新池南窯発掘調査報告書」『大阪狭山市文化財報告書』7、1992年 96,ひつ池東窯,金剛二丁目,B主谷右岸の中位段丘崖,ひつ池東岸の中央付近に位置する。比高差約1.5mの池岸斜面に焼土が露出。周辺での遺物散布を確認した。狭山高校の分布調査時にも須恵器が採集されている。,杯蓋・杯身・高杯・壺蓋(第8図、狭山高校分布調査時採集),TK209型式,-