大阪府立狭山池博物館研究報告1
大阪府立狭山池博物館の遺構移築展示
植田隆司
狭山池の発掘調査は1990年から1997年までの8年間にわたって実施した。調査対象は、狭山池の内外にあって、ダム化工事およびその付帯工事によって影響を受ける遺跡・遺構である。狭山池内においては、6世紀後葉から7世紀前葉にかけて操業された須恵器窯跡群、狭山池築造工事に関連する6世紀後葉以後の遺構等のほか、古代から現代に至るまでの狭山池の治水・灌漑施設が数多く出土した。また、狭山池の水を貯水する構造物である北堤は、飛鳥時代に築かれたのち、古代・中世・近世にわたって補修や嵩上げ・腹付けを幾度となく繰り返し、現代までその貯水機能を維持してきた。これらの狭山池から出土した遺構のうち、北堤については、堤断面を101個のブロックに分割してPEG水溶液の含浸による保存処理をおこない、
大阪府立狭山池博物館内へ移築した。また、本博物館では、飛鳥時代から近代に至るまでの間に継続的に補修・利用・再構築がおこなわれ、発掘調査によって出土した治水・灌漑施設である中樋・東樋・西樋・木製枠工を館内へ移築復元、あるいは収蔵保管している。本稿では、大阪府土木部ダム砂防課狭山池ダム資料館開設準備室(当時)および大阪府富田林土木事務所狭山池博物館グループが2001年3月の当博物館オープンまでの開設準備期間に実施した、遺構移築展示工事の概要をご紹介する。
- 図1 館内における移築展示等の配置, 図2 中樋移築展示における架台の配置, 図3 石棺4架台断面図, 図4 石棺5架台断面図, 図5 石棺1架台平断面図, 図6 ボルト式圧着金具, 図7 扇形架台断面図, 図8 下層東樋樋管固定用の枕木形架台, 図9 上層東樋樋管固定用の枕木形架台, 図10 下層東樋展示ケース兼上層東樋ベース架台断面図:opsmrr1u.pdf (PDFファイル 11.5MB)
博物館内で移築展示を実施した狭山池の治水・灌漑遺構について、発掘調査時の記録とその後の保存処理がどのようになされてきたかを概述する。なお、詳細については
『狭山池 埋蔵文化財編』註1)を参照されたい。なお、発掘調査と出土遺構の保存処理は、大阪狭山市教育委員会の協力のもとで狭山池調査事務所が実施した。
北堤の中央付近から出土した中樋は、慶長の改修時に埋設された導水管である。大正・昭和の改修直前まで、補修を継続的に繰り返しながら使用されてきたが、発掘調査ではその最下段部分が出土した。遺構の中心部分は4段構造の尺八樋の形態をとる取水部で、その左右に整水と土留の機能を担う扇板と石組が存在する。この石組は6世紀から7世紀にかけて古墳で使用されていた刳抜式家形石棺の身と横口式石槨材が転用されている。これらは、鎌倉時代の僧、重源によって埋設された中世の中樋「石樋」の樋管へ転用された石棺材・石槨材が、近世の中樋にて再度転用されたものである。また、扇板には近世初頭の構造船材の転用も確認できる。発掘調査では、測量ののち、木製部材は取上番号を記載したパウチングラベルを貼付して取り上げ、小石材は保存処理中の消失を考慮して墨で取上番号を直接記入した。石棺等の取り上げに際しては、専用の木製仮置き台を作成した。なお、石棺等の実測は、調査終了直後から展示用レプリカ製作までの間に実施した。取水部本体は解体せずにそのままポリエチレン・グリコール(以下、PEGと略記)水溶液に含浸し、扇板は解体してPEG含浸した。約5年間、PEG濃度39%で常温含浸した。含浸処理は1994年3月から1999年1月まで実施した。以後、狭山池の北西側に仮設した乾燥ヤード内へ移送し、乾燥・清掃作業を行った。石組部材である石棺1と重源狭山池改修碑については、エポキシ樹脂による石質強化処理を施した。
北堤の東端からは、飛鳥時代に埋設されたのちに奈良時代に増設され、平安時代の補修痕も確認されている下層東樋と、慶長の改修時に埋設された上層東樋が出土した。下層東樋には櫓状の取水部の基底部分が遺存していた。上層東樋では1段構造の取水部がほぼ完存していた。下層東樋のコウヤマキ製の樋管は年輪年代測定の結果、その伐採年が西暦616年であることが判明、狭山池の築造時期を特定する資料となった。下層東樋については取上番号を記載したパウチングラベルを各部材に貼付、現地で部材ごとに解体して取り上げた。解体した樋管については、運搬・保存時の補強のために樋管を包むように角材で枠を作り、出土位置からトレーラーへ、トレーラーから保存処理施設への移動の際には、この枠ごとクレーンで吊り上げた。上層樋管は刳抜式の樋管を連結して構成される下層樋管とは異なり、板材を交互に組み合わせて樋管全体が一体として構築されている。これを部材ごとに解体して取り上げることは不可能であり、樋管全体をそのまま取り上げることも不可能である。このため、樋管部材を接続するための鉄釘などがない部位を選んで、その部位の樋蓋を取り外し、鋸で樋管を切断した。切断は約10m間隔で実施し、樋管を11分割した(うち1つは取水部基底部)。保存処理は、狭山池南側のダム工事用地内に設置した専用のPEG水溶液含浸処理施設にて実施した。この施設は、幅6m・全長60m・深さ1mの含浸用プールに、レール式で開閉するビニール製テントを備えた巨大なものである。PEG濃度は39%とした。遺構部材が巨大であり、保存に必要なPEG水溶液の量も膨大であったので、保存処理は中樋と同様に常温で実施せざるをえなかった。含浸処理は1995年6月から1999年1月まで実施した。のち乾燥ヤードへ移送、乾燥・清掃作業をおこなった。
狭山池北西端からは、中樋・上層東樋と同じく慶長の改修時に埋設された西樋が出土した。取水部は4段構造の尺八樋の形態をとる。調査ではこの最下段部分が出土した。取水部の周囲には、土留等の施設も遺存していた。遺構には近世初頭の構造船部材が数多く転用されていた。西樋材については、博物館内への移築復元は困難と判断してすべてを解体し、取上番号を記載したパウチングラベルを貼付して取り上げた。保存処理は、1995年6月に東樋部材と一緒に含浸用プールへ搬入し、PEG水溶液による含浸処理を開始、1999年1月には乾燥作業を開始した。
北堤の内側裾部から出土した木製枠工は木材を組み合わせてその中に土を充填し、表面に竹や石を並べた構造である。発掘調査では、遺構の全長28.8mのうちの2区画分(幅8.3m・奥行2.5m・高さ2.5m)のみをそのまま取り上げて保存処理を実施した。まず、木製枠工の背後と側面を機械で掘削し、側面・上面をウレタンで梱包した。底部にH鋼と鉄板を差し込んで遺構をその下面と切り離した。その後、大型クレーンと大型トレーラーで搬出・搬送した。遺構の高さは2m以上もあるためにPEG水溶液含浸用のプールを作ることは困難であった。と同時に、木や土や竹の複合体である木製枠工の表面を浸食しない方式で処理を実施する必要がある。よって、シャワーによるPEG水溶液撒布方式を採用した。なお、解体した木製部材についてはPEG水溶液含浸による保存処理をおこなった。PEG濃度は当初39%で開始し、徐々に濃度をあげて最終的には45%とした。PEG撒布は1997年7月から1998年3月まで実施した。その後、遺構全体を約1ヶ月間自然乾燥し、再度遺構全体をウレタンフォームで梱包、1998年4月に、建設途中の博物館へトレーラーで搬送し、まだ建物外壁や屋根ができていない博物館内の展示箇所へ、外部からクレーンで搬入した。
狭山池から出土した治水・灌漑遺構を館内で展示保存するに際して、選択される展示方法は2つある。1つは各遺構が構築された当初の姿を推定し、実物資料に復元資料や演示具を付加して復元的に展示する方法である。もう1つは発掘調査によって出土した状態そのままに、各遺構を移築して展示する方法である。これらの遺構の特徴としては、単に朽ち果てた状態で出土したのではなく、その遺構が施設として機能していた最終段階の姿をある程度保持したまま出土した点が指摘される。この資料としての特徴は最大限活用されねばならない。よって、我々は、出土状態を可能なかぎり保ったまま、遺構を移築展示するのが最良であると考えた。各遺構の構築当初の状態、つまりその施設の構造や機能を来館者に伝達するのは復元模型等で充分に可能であり、原寸大の実物展示となる遺構の展示は、実物そのままの存在感の伝達を第一義とすべきと判断したのである。
博物館内における遺構の移築展示といえば想起するのが、遺構をウレタンフォーム等でそのまま固定化して館内へ運び込む、完全移設型の移築展示である。これに近い方法で移築展示をおこなったのが木製枠工である。だが、その他の治水・灌漑遺構をこれらと同様に、そのまま保存処理を施工し、館内へ搬入するのは不可能であった。よって、中樋・下層東樋・上層東樋などについては発掘現場にて解体したのち、前述のような保存処理を施し、部材の状態で館内へ搬入して再度組み上げるという工程を伴う、再構築型の移築展示をおこなう必要があった。
単純に遺構部材を組み上げて展示箇所に据え置くだけでは、出土状態を保持した移築展示とはなり得ない。調査時の写真測量による遺構図面や、遺構部材の実物の形状調査に基づいて、移築展示のために必要な支持具を設計・製作し、展示箇所において出土時の相対位置・相対高・傾き等を精密に復元した再構築を行い、完全移設型の移築展示に可能な限り近づけることを目標とした。これに近似した展示手法を用いた遺構展示として挙げられるのが、奈良文化財研究所飛鳥資料館の山田寺回廊の復元展示である。この展示では鉄製の支持具と回廊の構造部材を組み合わせて、回廊が倒壊する以前の壁体として機能していた状態を再現している。こうした示具を用いた再構築展示の手法は、狭山池の遺構移築展示の設計思想に少なからぬ影響を与えている。ただし、山田寺回廊の展示は、出土状態を復元するのではなく、構造物が機能していたであろう状態に近づけることを目的としたものであって、狭山池の遺構移築展示は、その構造物が機能していた最終段階のあり様を不完全ながらも保持していた出土状態に復元するものでなくてはならない。遺構部材の保存を最優先するのであれば、山田寺回廊の復元展示のように、各部材に自重以外の重量がかからないような構造で支持具を設計する必要がある。ところが、出土状態に限りなく近い展示を指向するのであれば、できうる限りその存在を主張しない支持具を設計しなければならない。今回の移築展示は、遺構の保存とその活用を両立するため、保存に適していながらも復元的な展示効果の高い展示手法を模索し続けた展示工事であったといえよう。
ところで、狭山池から出土した治水・灌漑遺構は、木・土・石で構成されている。石製部材については室内での通常の展示に充分耐えうる遺存状況であるが、木製部材や土については保存処理を施しているとはいえ、本来ならば密閉式のエアタイト展示ケース内で展示するのが望ましい。とはいえ、それぞれの遺構全体が巨大な構造物であるため、ケース内での展示はほぼ困難である。さらにいえば、来館者にその存在感を体感してもらうには、遺存状態がもっとも心配される下層東樋のみは気密式ケース内での展示が必要であるが、その他の遺構については露出展示が望ましい。これらの条件を可能なかぎり満たすために、館内のすべての常設展示室では、展示ゾーンごとに専用の空調設備を配し、原則として24時間空調を実施して室内の温湿度が常時一定に保持されるように管理を実施することとした。つまり、展示室全体が巨大なエアタイトケースであり、観覧者はその中で展示を観覧するというコンセプトである。
さて、狭山池出土遺構移築の展示設計段階においては、各遺構の木製部材は保存処理工程にあって支持具設計のための詳細な調査を実施することが不可能であった。また、当然ながら保存処理後の木製部材にはある程度の歪みが発生しているものと推測された。このため、設計から移築展示施工にいたるまでの大まかなフローは次のようなものとなった。
- Step 1. 遺構図面調査
- Step 2. 展示設計(移築遺構の配置計画と支持具の設計)
- Step 3. 遺構部材調査(遺構部材の個別同定・欠損および歪み部位の確定)
- Step 4. 施工図面作成(具体的な再構築方法決定・支持具の再設計)
- Step 5. 支持具製作
- Step 6. 支持具設置と遺構再構築
- Step 7. 移築遺構の修景と保存処理作業
各遺構部材の遺存状況、施工時の段取りによって、Step3からStep6までは順序通り進行するケースもあれば、各段階が併行するケースもあった。最悪の場合、Step3からStep6までを幾度も循環することもあるのではないかと心配されたが、設計・施工担当者の適確な業務遂行によってそのような事態は免れた。なお、中樋・東樋等の遺構の移築展示および一般収蔵庫内における収蔵展示作業に際しては、各遺構部材が非常に重く、1tを超える部材も多いため、重量物の取扱いに関する専門的知識と技術を必要とする。このため、遺構部材の搬送、館内における移動、展示位置での位置微調整など、移築展示工事において遺構部材の移動を伴うすべての作業については、普段の業務として新幹線や地下鉄車両の陸上輸送等に携わっている、
運輸業者の重量物専門斑がこれを担当した註2)。
それでは次に、各遺構の移築展示の具体的な方法について記述する。
北堤中央付近で中樋の真後ろに聳え立っていたコンクリート製の取水塔は、大正・昭和の改修で設置されたものである。館内にはこの高さ約20mを測る取水塔をも含めて展示することとなったため、あらかじめ3分割して保管されていた取水塔の約11m分を博物館建設工事中に建設工事の一部として館内展示箇所へ搬入し、建設工事であらかじめ構築しておいたコンクリート製の台の上に設置した。なお、取水塔壁面には円形の取水口が螺旋状に配置されているが、移築展示では種々の条件によって、この1段分に相当する約2mの高さだけ移築前の取水塔よりも低く設置している。壁面や屋根等にはモルタルが剥離しかけた箇所が多数あり、窓や出入り口として設けられている鉄製扉や取水口での錆の進行が著しいことが判明した。このため、館内設置後、周囲に工事用仮設足場を設置し、屋根・壁面のモルタル剥離箇所の修復と、鉄製部品の修復を実施した。完全に剥離したモルタルについては除去し、剥離が進行しつつある部位については表面からドリルで穴を開けて、モルタルとコンクリートとの間にエポキシ樹脂を注入した。鉄製扉等の錆は、完全に剥離した部位を削除し、エポキシ樹脂を薄めたもの等を塗布して防腐処理をおこなった。また、窓枠や扉の腐食が進行した場合の落下を防ぐために、必要に応じて、ビスや針金等で鉄製部品の固定措置を講じた。さらに、モルタル剥片等の万一の落下に備えて、充分な耐久試験を実施したのちに、スチールロッドのネットフェンスを庇状に設置し、取水塔下部壁面をナイロン製ネットで被覆した。
発掘調査現場での出土状態をそのまま展示室内に再現することを目標とする中樋の移築展示においてもっとも重要な課題は、取水部両側に配置されている扇板と石組遺構をいかに正確に復元配置するかであった。とくに古墳時代の刳抜式家形石棺等を上下2段に積む石組遺構は、遺構面上で水平に置かれたものではなく、鉛直方向から外側へ約20°の傾きをもって組み上げられており、かつ石棺の重量も最大のもので約3.5tに達するため、それらを支える架台の設計・仕様が移築展示の成否を分ける要因となった。また、上下2段に積み上げられていた石棺と重源狭山池改修碑は、石材の劣化度合からみて、出土時と同様に組み上げて上段の石材の荷重を下段の石材でそのまま受けるのは到底無理であると判断され、その荷重を分散して支える架台が存在したとしても、出土時とまったく同じ状態で復元配置することは構造上不可能であると判断された。このため、上段の石棺と重源狭山池改修碑については、原寸大のレプリカを製作し、これを上段の石材の代用とした。上段に用いられていた石棺および取水部に用いられていた石槨材の原資料については
「重源の石樋」の復元展示において註3)、重源狭山池改修碑の原資料についてはこれを個体で展示活用することとした。なお、中樋の移築展示は
図1の箇所において実施し、現場における工程は次のようなものとなった。
展示室コンクリートスラブでの方眼軸の設定(墨書) → 中樋取水部の配置 → 石組遺構下段の配置 → 扇板の配置 → 石組遺構上段(レプリカ)の配置 → 石組遺構・扇板部材の配置位置微調整 → 石組遺構小石材の配置 → 石組遺構・扇板の固定 → 遺構各部位における地表レベルの確定 → 観覧用ステージの架構 → 裏込め石の配置 → 土風造形施工 → 観覧用ステージの土風舗装 → 観覧用手摺りの設置 → 遺構の保存処理・清掃
取水部の配置は、遺構平面図とコンクリートスラブ上に設定した方眼軸に従って位置決めをおこなった。取水部の各部材を組み込み、仮設材で固定したのち、遺構図を参照して展示室で設定している擬似的な標高(発掘現場での測量数値に対応)にその計測値を合わせた。また、取水部導水部分に転用されていた花崗岩の横口式石槨材については取水部の荷重がかかるため、原寸大のレプリカを製作し、内部を補強して展示に使用することとした。
ところで、展示設計段階において当初考えられていた石組の架台は、中樋の背後に位置する観覧用ステージの前面で、雛壇状に組み上げた固定式のフレーム棚のようなものであった。設置段階で、石組全体の相対座標位置を決めて、あとは補助的な支持具や緩衝材で位置と高さの微調整をしようと考えていたのである。だが、施工直前の遺構部材調査の段階において、石棺の表面が平滑ではなく、鑿痕によって微妙な凹凸が連続した面であり、石棺そのものの形状も完全な長方体ではないため、この方法での厳密な復元配置は不可能であると判断した。すなわち、石棺を配置する際に、個々の石棺の相対位置と高さと傾きをあらゆる方向へ微調整可能な架台が必要であった。
図3・図4は実際に使用している石棺架台の施工図である。鋼製のベース架台のフレームの四隅に取り付けた、垂直方向にのびるシリンダーの内部に雌ネジを切り、そこへ高さ調節ボルトを挿入しジャッキとして用いる。ジャッキ先端には角度を自由に調節可能なユニバーサルジョイントを取り付け、その先に石棺重量を支える受部を接続する。ベース架台自身は、展示室の任意の位置へ自由に配置することができる。また、ジャッキの調整限度を超えて高さ調整をする必要がある場合は、ベース架台とコンクリート床との間にシム板をかませることにより、さらに高さ調整の実行が可能である。石棺の内部には、梯子形の支持フレームを固定する。この金物を石棺内部に固定する際に、圧着固定が必要な箇所を現場で判断し、
必要な数だけのボルト式圧着金具註4)を配置した。このボルト式圧着金具で石棺内面の底部・側部に突っ張ることによって、支持フレームは石棺内に固定されている。ボルト式圧着金具は
図6に示したような形状で、圧着部とボルト部とは内部が中空になったドーム型の間接部を介して連結されている。圧着面には緩衝材としてウレタンスポンジないしゴム製パッキングを接着している。圧着角度を自在に設定可能なこの金具を用いることにより、微妙な凹凸がある石棺内面に柔軟に対応して固定することができる。梯子形支持フレームを石棺内部に固定したのち、背負子形の上部架台へ石棺を載せる。この金物と石棺との間には緩衝材としてウレタンフォームを挟み込んだ。背負子形上部架台と石棺内部の梯子形支持フレームとを溶接で固定したのち、これらをクレーンで吊り上げ、ベース架台受部の上へ降ろす。
この手順で5点の石棺を架台上へセッティングした註5)。なお、石棺1については破砕された石棺の一部分であるため、他の固定方法とは若干異なる。
図5に示したように、背負子形上部架台へ載せたのち、石棺1の上下2箇所を鉄製の帯状金具で固定、背面からボルト式圧着金具で加圧して固定した。これらすべての石棺架台は、その上に載る石棺の相対高が展示室内の擬似的な標高におおむね合致するように設計されているため、すでにこの段階で石組遺構下段の石棺は、遺構前面の地表高TP+68.80m〜68.85m、背面の地表高TP+69.60m〜70.00mの疑似標高にほぼ対応した高さにセッティングされていることになる。
つぎに展示室のコンクリート床面に設定した方眼軸に従い、下段の石棺を架台ごと所定の位置へと移動。各測点の位置・疑似標高が、遺構平面図・立面図の数値との誤差目標値5mm以内に収まるように調整を試みた。ところが、建築工事であらかじめ設定されていた中樋展示スペースは、取水部から展示室中央方向をみて右側では日光を遮蔽するコンクリート製パーティションが、左側では観覧用階段に伴う同様のパーティションが存在しているため、出土した遺構の配置をそのまま復元した場合、左右どちらかの石組の一部がこのパーティションと完全に干渉する事実が判明した。このため、石組の石材を一部使用せずに移築をおこなうか、移築する遺構全体の配置をわずかに改変するかの二者択一が迫られた。検討の結果、石材を撤去するよりは遺構の配置をわずかに改変するほうが、より出土状況に近い再現展示となるであろうとの結論に達した。この遮蔽塀を回避するために我々が選択した解決策は、取水部から展示室中央方向をみて左側の扇板と石組の配置全体(以後、石組左列と記述。反対側の配置を石組右列と記述)を、取水部接続部分を起点として遺構内側へ1°移動するといったものである。よって、石組左列は相対高と相対位置を誤差5mm以内で保持したまま、全体が手前へ1°振った状態で移築されることになった。
下段石組の位置決めが完了したのち、上段の石棺と重源狭山池改修碑のレプリカを1点ずつクレーンで吊り上げて、所定の空間位置へ移動。下段と同様に各測点の位置・疑似標高計測値を誤差5mm以内に調整し、仮設材で仮留めした。下段と上段の主要な石材およびレプリカをすべて配置し終えたのちに、遺構写真との照合をおこない、遺構全体、各部位における見え懸かりを確認した。わずかに違和感を感じる部位については、写真照合しつつ位置と高さの微調整を実施し、計測数値も誤差5mm以内に収まるように位置と高さを補正した。その後、石材の間に充填されていたグリ石を配置し、下段・上段の石組とグリ石の位置・高さを補正し、
写真照合をおこなって最終的な位置を決定した註6)。その後、石棺架台のボルト止め箇所などの可動部位を溶接処理し、下段石組の裾部を鉄製圧着金具で固定処理した。上段石組のレプリカについては、レプリカ内部に鉄製L型フレームの支持材を組み込み、石棺架台等とボルト連結・溶接等で固定した。石組左列上段の背面には石組の裏込めとして遺構面上に石礫を充填した箇所があり、石組右列先端部の石棺1背面にも同様の裏込め石が存在した。これらの配置復元については、鉄製パイプフレームで骨組みを作り、その上にベニヤ板を敷き、ウレタンフォームを吹き付けて整形し、遺構と同一の微地形を再現し、遺構図に従って各石材を配置した。石材はエポキシ樹脂で固定した。これらの石材の相対位置・疑似標高や、遺構面の疑似標高についても測量と写真照合をおこなって精密な復元を心がけた。
展示設計段階において当初考えられていた扇板の架台は、扇板を構成する各部材の重量が下方の部材にかからないように、部材を個々に支える棚状の支持材を備えた仕様であった。だが、この場合、個々の部材間にかなり幅広い間隙が生じてしまい、出土状態の移築復元とは言い難い展示となってしまうことが判明した。保存処理が完了した各木製部材を観察すると、充分な強度と硬度を保っており、出土時と同様の構築をおこなった結果、上方の材の重量を下方の材が長期間にわたって受けたとしても、変形・破断などの問題は発生しないであろうと判断できた。よって、微妙な位置・高さ・傾きの調整をおこないつつ部材を配置するために、
図7に示した架台を採用した。扇板の架台は、L型フレームを断面直角三角形状に組み、そこから前方へ扇板部材を支持するフレーム等を取り付けたものである。扇板全体の微妙な傾きを再現する際の補正を容易とするため、架台の下面にはボルト式のアジャスターを取り付けた。
扇板の配置復元は次のような工程で実施した。まず、展示室床面に設定した方眼軸に従い、架台を概ねの位置へ移動。材を受けるL型の棚状金具の上に最下段の横材を置く。扇板全体は鉛直方向から約18°後方へ傾斜しているため、これに合わせて横材を傾け、後方からボルト式圧着金具を当て、仮設材も併用して仮留めする。このボルト式圧着金具は、石棺の支持に用いた金具と同様のものである。遺構図に従って最下段の横材の位置と測点の疑似標高値と傾きを補正し、見えがかりを写真でチェックする。そして、その上に配置する横材を同様の方法で仮留めし、同じく位置と高さと傾きの補正をおこなう。これを繰り返してすべての横材を配置した。その後、先端にウレタンスポンジの緩衝材を接着したステンレス製のベルト式圧着金具を横材間のわずかな間隙へ挿入して架台と連結し、横材が前方へ移動するのを防いだ。材を後方から押さえるボルト式圧着金具とこのベルト式圧着金具の圧力を調整したのち、仮設材等を撤去して横材の完全な固定を完了した。つぎに、横材の前面に位置する柱材を所定の位置へ置き、位置と高さと傾きの補正をおこなったのち、仮設材で仮留めした。柱材の固定用金物は、厳密な計測値を必要としたため、現場での移築復元作業と併行して製作した。柱材の下端を支え、前方への跳ね上がりを防止する押さえ金具は、柱がすっぽり収まる平面円形を呈した深皿形状の鉄製金具で、押さえネジで柱材を固定し、これをコンクリートスラブへボルト止めして固定した。柱上部では、方形の柱材断面に合わせたステンレス製のバンド金具を用意し、内側にウレタンスポンジの緩衝材を接着、これを寸切りボルトで架台と連結して固定した。こうした配置復元作業を取水部両側の扇板ともに実施し、取水部・石組との相対位置・相対高を遺構図・写真と照合して部材の配置を完了した。
なお、遺構には柱材を固定するための木製アンカーが存在したが、これの一部は腐敗・崩壊等によって失われている。遺存した部材については、扇板背後の遺構面復元時にこれを配置し、柱材と連結して固定した。
中樋の移築復元では、先にも述べたように、発掘調査現場の状態を可能な限りそのまま展示室内に再現することを目標とした。このため、石組・扇板の前面と背面では遺構面を再現する必要があった。また、立面では石組の間隙や扇板と石組との間隙、取水部と扇板の間隙に存在した土壁状の面も再現する必要があった。このため、発掘調査現場であらかじめ採取・保存していた土を用いて、これらの箇所に土風造形を施すことにした。
土風造形の施工はつぎの手順で実施した。まず、遺構と同一の微地形を再現するため、鉄製パイプフレーム・ベニヤ板で構成されるベースの上にウレタンフォームを吹き付けて整形し、各部位における疑似標高計測値を遺構図と照合し、高さが不足している部位にはウレタンフォームを追加し、過剰な部位では削り込む。写真照合ののち、付近の遺構部材にマスキングを施す。発掘調査現場で採取した数種類の土をブレンドし、これをエポキシ樹脂と混合。ウレタンフォームを吹き付けたベニヤ板をテスト用に別途用意しておき、これに塗布をおこなって、土風造形の土色と土質を、発掘調査時の所定の箇所を撮影したリバーサルカラー写真資料と照合し、違和感がある場合は再度テストをおこなった。その後、復元遺構面へエポキシ樹脂を吹き付け、土とエポキシ樹脂を混合して塗布して乾燥させる。再度、表面に濃度が薄めのエポキシ樹脂を噴霧し、篩をかけて混合土を撒布した。
東樋の発掘調査を実施した1994年〜1995年時点においては、博物館の建築計画がすでに進行しており、また、東樋の保存処理についてもどの程度まで成果を上げうるか不明であった。保存処理期間中に、博物館内での展示・保存方法を検討した結果、北堤断面を展示するコンクリート製免震架台上において、北堤断面と平行する位置に上下の樋管を展示することが可能と判断され、ここに専用の展示架台を設置し、移築展示を実施することになった。ただし、北堤免震架台の全長が約60mであるのに対して、下層東樋の全長は72.65m、上層東樋の全長は72.80mを測るため、それぞれの樋管の一部については別途に展示・保存をおこなう必要が生じた。中樋では出土状態をそのまま再現する展示を目指したが、東樋においてこれを志向したとしても、中樋付近で採取した北堤断面との関係は整合性を欠くものとならざるを得ない。また、上層樋管は下層樋管を基礎とするかのように近接して埋設されていたため、この出土状況を再現すると下層樋管の保存・展示効果に重大な支障を来すおそれがある。北堤と東樋の位置・高さ関係を復元的に整合し、かつ、下層東樋と上層東樋との相対的関係も復元して館内で展示することは不可能と結論づけられる。よって、東樋の移築展示では、下層東樋・上層東樋の個々における出土時の位置・高さ・傾きを保存した移築を目標とし、
同時にそれぞれに適した保存措置を講じて展示をおこなうこととした註7)。
下層東樋の展示では、全長13.2mを測るヒノキの樋管とその先に構築された取水部の痕跡が、奈良時代の遺構である。この部位は、奈良時代の展示を扱う「古代の土地開発と狭山池」の展示ゾーンに移築展示し、飛鳥時代の遺構について、免震架台上で移築展示することとした。なお、飛鳥時代の樋管は、気密式の展示ケース内に展示し、ケースには専用の空調機器を備えて24時間の空調管理を実施し、展示ケース内の温湿度を常に一定に保持可能な仕様とした。上層東樋の展示では、樋管のほぼ中央部分に相当する取り上げ部位(長さ6.89m)を収蔵庫内にて展示し、取水部と残りの樋管を免震架台上で移築展示することとした。このように一部を分割した東樋の移築展示は、
図1の箇所で実施した。なお、東樋移築展示の現場における実際の工程は次のようなものとなった。
館内での樋管等部材の最終調査(採寸) → 展示箇所での上層取水部の配置(仮組み) → 架台ほか示具の製作 → 下層東樋展示ケース兼上層東樋ベース架台の構築 → 上層東樋取水部架台の構築 → 下層樋管枕木形架台の設置 → 下層樋管(身)の配置・微調整 → 下層樋管(蓋)用支持材の配置 → 下層樋管(蓋)の配置・微調整 → 下層樋管付属部材の配置 → 上層樋管枕木形架台の設置 → 上層樋管の配置・微調整 → 上層取水部の固定 → 下層放水部の出土状態復元 → 下層樋管(奈良時代)枕木形架台の設置 → 下層樋管(奈良時代)の配置 → 下層取水部の出土状態復元 → 上層樋管(一部)の収蔵展示
展示設計段階において当初想定していた下層東樋樋管の展示箇所における固定方法は、ウレタンフォームなどによって出土時における樋管埋設面を概ね再現し、その上に樋管を配置するといったものであった。ところが、樋管は丸太を刳り抜いて作られているため、その形状は単純な円筒形ではなく、一方が若干細く一方が太い形状を呈するものが多い。また樋管表面も微妙な凹凸面で構成されている。こうした樋管の詳細な形状を確認することが可能となったのは、これらの部材の保存処理が完了し、乾燥・清掃工程に入ってからのことであった。個々の樋管の形状を確認した結果、当初想定していた移築方法では、樋管を出土状態と同一の位置・高さ・傾きで展示箇所に配置することは不可能であり、とりあえず展示箇所において樋管を連結し、安定する傾きを選んで固定して展示せざるをえなくなってしまうと判明した。これを解決するために、樋管の固定方法は、次に述べるように専用の枕木形架台を製作し、この架台で位置・高さ・傾きの微調整をおこなって固定することになった。
北堤断面展示用の免震架台上における飛鳥時代の下層東樋の移築は、次のような工程で実施した。まず、
図8に示した樋管固定用の金物である枕木形架台60台を製作。この枕木形架台は、両端部に取り付けた高さ調整用ボルトによって左右別々に架台の高さを微調整可能で、樋管固定位置についても、上面に取り付けた2つの可倒式圧着金具を左右別々にスライドすることによって微調整が可能となっている。可倒式圧着金具の樋管接触面には厚さ5mmの軟質ゴムを、枕木形架台上面の樋管接地部位には厚さ10mmの軟質ゴムを取り付けている。なお、可倒式圧着金具の固定は、樋管の位置決めの後の作業となる。よって、展示ケース奥壁と樋管との間には隙間がほとんどなく、奥側の圧着金具を固定するために手を差し込むことが物理的に不可能となる。このため、展示ケース奥側の可倒式圧着金具については、枕木形架台の内部横方向に通したボルトを介して、枕木形架台の手前端部側からスライド位置を調整可能な仕様とした。つぎに、
図10にその断面を示した下層東樋展示ケース兼上層東樋ベース架台を現地で組み立てる。この段階では、展示ケースには高透過ガラス板をまだ取り付けていない。H鋼をフレームとするこの展示ケース兼ベース架台の全長は、58.12mに達する。このフレームはそのベースである北堤断面展示用免震架台のコンクリート床にアンカーボルトを打ち込んで固定している。展示ケース床面にコンクリートを増し打ちしたのち、その表面をコーティング加工し、ケース内の専用空調ダクトおよびケース内照明機器、演示用パンチングパネル等の取り付けを実施。そののち、枕木形架台をケース内に設置し、コンクリート床へアンカーボルトで固定した。展示ケース内の直上には樋管搬入用のトロリーレールを全域にわたって設置しており、飛鳥時代の樋管はこれに懸架してケース内へ搬入した。樋管搬入は、東樋放水部側(堤体断面展示に正対して左側)から、1本ずつ人力でおこなった。最初にもっとも取水部側に位置する樋管2から搬入し、所定の位置へ仮置きしたのち、つぎの樋管を搬入、全部で7本の飛鳥時代の樋管をケース内へ仮置きした。つぎに、下層樋管の中軸線上にセオドライトを立て、中軸線から左右への出幅を計測して取水部側の樋管の相対位置を補正、樋管各部の相対高を疑似標高値に補正。各々の計測点における誤差許容値は5mm以内を目標とした。つぎに、樋管2の放水部側に連結する樋管3の相対位置・相対高を補正した。出土時における樋管と樋管の連結箇所は、そのソケット状の継ぎ手部分がほぼ密着した状態であったが、これをそのまま再現して樋管を固定すると、一方の樋管の継ぎ手部分に荷重がかかり、将来的に樋管材が変形した場合、それぞれの樋管に悪影響を及ぼすのではないかと危惧される。このため、双方の継ぎ手部分の上下間(取水部側が上・放水部側が下)には手指が入る間隙(1.5cm程度)を意図的に残して位置決めをおこなった。よって、各樋管連結部位においては、取水部側の樋管が7mm程度高く、放水部側の樋管が7mm程度低い計測値で固定している。こうした要領で、もっとも放水部側に位置する樋管8までの相対位置と相対高を補正し、これらを固定した。
飛鳥時代の下層東樋樋管の樋蓋には、刳抜材と板材のものとがある。取水部側に7本の刳抜式の樋蓋が、放水部側に板状の蓋が配置されていた。これらの樋蓋を移築展示する際に、樋管へ負荷をかけずに配置するには、樋管との間に棚状の示具が必要となる。展示ケース背面よりこうした棚状の示具を前方へ突き出し、その上へ樋蓋を置くこととなると、この移築展示の目標としている、出土時の位置・高さ・傾きを保存した移築は不可能となり、樋管材を延々と陳列するかのような展示となってしまう。そのため、ここでは次のような展示手法を採用した。樋管内面と樋蓋内面の要所において事前に型取りをおこない、樋管と樋蓋に密着するウレタンフォーム製の充填式支持材を製作する。これを樋管内に置き、その上へ刳抜式の樋蓋を配置する。板状の樋蓋の箇所についても同様に、樋管・樋蓋内面の型取りとウレタンフォーム製支持材を作成するが、蓋と樋管のウレタンフォームの間には、透明アクリル板で中空の柱状支持材を製作してこれを挟み込んだ。このように、樋蓋のすべての重量が樋管内部へかかる状態で樋蓋を配置することは、保存の観点からすれば最善の展示方法とはいえない。だが、保存処理後の樋管の状態はきわめて良好で、木質の硬度も充分保たれている。ウレタンフォーム製の支持材で樋管内面において面的に重量を受けることによって、樋管が受ける負荷は分散されている。よって、樋管が変形・破損する可能性は現況では極めて低いものである。ところで、土中において劣化したために縦方向に2分割してしまった刳抜式樋蓋が3個体存在する。これらについては、内側に軟質ゴムを取り付けたステンレス製のスリングベルトを用意し、樋蓋内側のウレタンフォーム製支持材ごと樋蓋を外側から括り付ける形で固定した。樋蓋すべての配置を終えたのち、各測点において相対位置と相対高の補正を実施した。ただし、刳抜式樋蓋同士の連結部位においては、樋管連結部位と同様に1.5cm程度の間隙を設けた。
その後、樋管接続部位・放水部桝形等の小部材を配置した。樋管接続部位の部材については、鉄製の専用支持具で固定した。飛鳥時代の下層東樋では、放水部桝形付近のみ出土時の地形復元をおこない、土風造形を施した。
その手法は中樋のそれと同様である註8)。飛鳥時代の下層東樋移築が完了したのち、展示ケースのガラス板を取り付け、全体に気密処理を施した。その後、ケース内の換気を一定期間実施し、毎日24時間運転で展示ケース内の空調を実施している。その結果、ケース内の温度は20℃、湿度は55%で常時一定の計測値を保持している。
奈良時代の下層東樋は、飛鳥時代の下層東樋とは別に「古代の土地開発と狭山池」の展示ゾーンにて移築展示を実施した。飛鳥時代の樋管固定に用いている枕木形架台とほぼ同様のものを用意し、これを展示室のコンクリート床へアンカーボルトで固定、その上に全長13.2mを測るヒノキの樋管を置き、位置・高さ・傾きを補正して固定した。その後、板状の樋蓋を先述と同様の方法で配置した。ところでこの樋管には樋蓋を押さえるための架構部材が4箇所に存在する。枕木を兼ねる板材を樋管と直交する角度で配置してその上に樋管を載せ、枕木両端部のホゾに角材の立柱を立てる。樋蓋を一括して上から押さえこむ角材を樋管端部に沿って2本ずつ配置し、これを押さえる形で樋管直交方向に板材を配し、両端の立柱を板材のホゾに差し込む。上下の板材両端のホゾにクサビを打ち込んで部材を固定する。こうした樋管埋設時と同様の手順で架構部材を組み上げ、仮設材で固定し、架構部材各部位の詳細な計測をおこない、固定用の支持具を設計・製作した。支持具を取り付けたのち、各計測点の位置・高さを再度補正した。樋管先端の取水部についても、櫓状取水部の柱や土留材などの木製部材の固定をこれと同様の手法で実施した。取水部付近については、飛鳥時代東樋の放水部と同様に出土時の地形復元をおこない、土風造形を施した。
東樋の移築展示では下層東樋・上層東樋の個々における出土時の位置・高さ・傾きの保存を目標として遺構を再構築した。また、展示物を観察しやすいよう配慮をおこなう必要があるため、下層樋管のほぼ直上に埋設されていた上層樋管を、展示では
図10に示した下層東樋展示ケース兼上層東樋ベース架台の樋管配置のように、樋管の中軸線を後方に平行移動した位置へ移築した。また、移築後における樋管の比高差も、出土時とは異なる。出土状態での下層樋管樋蓋の頂部における標高はTP+70.50m前後であった。上層樋管下端の出土時における標高はTP+70.80m〜70.85mであるので、上下間の樋管の間隙は30cm前後であった。移築後における下層樋管の天端と上層樋管の下端との比高差は70cm〜80cm程度で、本来よりも約50cmほど高い位置に上層樋管を構築したことになる。
上層東樋の取水部は、保存処理工程においてPEG含浸プールの水深以下にその高さを収める必要があったため、調査時に解体をおこない、取水部の基底部となっている樋管先端部分と4本の立柱部分を切断し、柱に釘止めされていた横板材も取り外した。移築展示ではまず、展示箇所において構成材の仮組みを実施した。保存処理中に発生した部材の歪みは僅少であった。遺構図・写真資料と照合しつつ、展示位置における取水部の展示位置・疑似標高・傾きを補正したのち、仮設材で固定しておき、取水部固定に必要な支持具の施工図製作・支持具の製作を実施した。その後、取水部の架台を架構し、取水部の基底部を固定した。取水部架台は、太さ12.5cmのH鋼の柱6本と太さ10.0cmのH鋼の梁から構成される。上層樋管の配置が完了したのち、取水部上部構造の部材を固定した。部材の固定は、鉄製フレームを柱と壁面両面に配置し、圧着金具で挟み込む方式である。
下層東樋の配置が完了後、
図9に示した上層樋管固定用金物の枕木形架台57台をベース架台上に装着した。この枕木形架台は下層樋管のそれと同じく、両端部の高さ調整用ボルトによって左右別々に架台高を微調整可能であるが、圧着金具の仕様が異なる。下層樋管は丸太刳抜式であるため、その断面形状が不整形の楕円であり、かつ樋管の部位によって形状・寸法が一様でなかった。これに対応するよう、樋管と圧着金具が接する角度を状況に応じて変更可能な可倒式の圧着金具を採用した。ところが、上層樋管は板材組合式のため、各部位における断面形状はほぼ同一の逆台形である。よって、上層樋管用の枕木形架台では、取り付け角度を105°に固定した圧着金具を採用した。ただし、樋管寸法は部位によって若干異なるため、圧着金具は左右別々にスライド可能とした。
ところで今回の展示工事では、分割された上層樋管のうち、取上番号36番の樋管部分のみ一般収蔵庫内において収蔵展示をおこない、その他の樋管部分を対象として移築展示を実施した。樋管の展示位置への搬入は、北堤断面ピースの搬入・保存管理のために展示棟の天井部分に設置されている移動式クレーンを利用して実施した。取水部側の樋管から順に吊り上げ、常設展示室第1ゾーン「狭山池への招待」・第2ゾーン「狭山池の誕生」の床上へ一時仮置きし、その後、ベース架台上に取り付けた枕木形架台上へと配置した。つぎに、樋管の中軸線上にセオドライトを立て、中軸線から左右への出幅を計測し、樋管の相対位置と相対高を補正。各々の計測点における誤差許容値は5mm以内を目標とした。樋管取り上げ時の切断箇所は、すべて密着して接続をおこなう予定であったが、発掘現場で切断時に取り外した樋蓋をあらためて取り付けたところ、保存処理後の木質の収縮度合いが樋蓋と樋管では若干異なっているために、樋管切断面が密着しないケースが数箇所で発生した。この場合は、樋蓋の取り付けを優先し、樋管切断箇所に1cm程度の間隙を残した。なお、樋管を展示から除外した箇所にあたる取上番号35番と37番の樋管の間は、断面形状・寸法も異なり、切断面を密着することは難しい。この箇所では約10cmの間隙を残した。また、切断箇所の直上に位置している樋蓋と樋管とを固定する鉄釘は、再度打ち込むことが困難であったため、一般収蔵庫で保管することとした。年輪年代測定のサンプリングを実施した樋蓋についても同じ理由で展示から除外した。
西樋については、移築展示の対象から除外したが、船材の一部および、西樋取水部の一部の部材については、常設展示室内で展示することとなった。他の遺構部材については一般収蔵庫にて保管することになったが、それらが持つ情報はきわめて貴重であるため、単に収蔵・保管するだけではなく、研究が常に可能な状態で収蔵展示をおこなうことになった。一般収蔵庫の約半分のスペースに、大形の遺構部材を収納・展示するための2階立ての架台を構築し、壁面には小部材用の収納・展示棚を設けた。この架台と棚には、総数約140点を数える西樋部材のほか、移築展示に組み込むことができなかった東樋・中樋の部材も保管されている。西樋取水部の主要部材1点については、その観察を容易とし、かつ館外貸出にも対応可能とするため、専用の台車を製作してその上に固定している。
木製枠工は、博物館内へ移築した遺構の中でもとくにその保存状態に注意を払うべき遺構である。極端に乾燥が進行した場合は部分的な崩落も起こりうる。このため、保存・展示作業を慎重に実施していった。
博物館建設途中に展示位置へ搬入した木製枠工は、建設工事完了後、梱包していたウレタンフォームを構造上必要不可欠な部位を除いて取り外し、乾燥工程をおこなった。垂直面となっている遺構の左右両端部で土の部分崩落が認められたため、PEGと土を混合して塗布し、またひび割れが顕著な部位にはエポキシ樹脂の注入を実施した。その後、ウレタンフォームの整形・追加、PEG水溶液の塗布等をおこなった。遺構前面の杭3本は、取り上げの際に池底面より下方を切断したが、展示ではこれを連結した。切断箇所が劣化しており、接合することは不可能であった。杭の中心に2本の支持材を埋め込み、この支持材を介して部材を連結した。また、杭が温湿度の変化によって伸縮する可能性を考慮して、連結箇所には10mmの間隙を残した。杭の両側にはステンレス製の支持具を配置し、その間に半円形のステンレス製リングを取り付け、その下面を受けている。杭先端部も支持具で下方から支持をおこなった。遺構前面の杭を横方向に連結する横木は、下方へずり落ちている箇所もあった。これは傾斜面に横木材の下端部を支持する金具を打ち込んで対処した。仕上げとして床面より下方の杭両側と遺構裾部の床面に土風造形を施した。なお、移築できなかった部位の木製部材については、博物館2階学芸員室に隣接する外部収蔵庫内にて保管している。
大阪府立狭山池博物館の展示工事で実施した狭山池出土遺構の移築展示は、遺構を発掘調査地から丸ごと運び込んで館内へ展示しているかのような錯覚を覚えるほどの完成度であると自負している。これは、出土状態における構築状態の精密な復元を実行し、土風造形でも発掘時に採取した土を用いるなど、遺構が持っていた独特の雰囲気をも追求した成果であろう。だが、この移築展示にも課題点が存在する。まず、飛鳥時代の下層東樋を保存していく上での管理面での問題である。現在の環境を維持するかぎり、部材の急激な劣化は起こりえないであろうが、将来的に保存処理が再度必要とされる場合、ケース内の限られた空間に展示しているがゆえに、PEGの塗布等にも困難が予想される。研究目的で樋管を観察することも不可能ではないが、
その自由度は限定される註9)。さらに、樋管を搬出しての保存処理は、物理的にほぼ不可能に近く、その際は本稿で述べたような移築展示を再度実施せねばならないであろう。また、展示室内では24時間空調を実施しているとはいうものの、露出展示している奈良時代の下層東樋・上層東樋・中樋・木製枠工の保存状況には充分注意を払い、PEGの塗布等を適宜実施していく必要があろう。
(大阪狭山市教育委員会)
<付記>
今回の移築展示において共に展示・保存・製作に携わって頂いた各位、また、御指導・御教示を賜った方々に、末筆ながら御礼申し上げます。
(敬称略・順不同)
小山田宏一・有井宏子・中山潔・白江人智・峯寿浩・市川秀之・安田好孝(株式会社乃村工藝社)・富林健二(株式会社乃村工藝社)・梅田辰也・中宿泰(株式会社京都科学)・左野勝司(飛鳥建設株式会社)・林政行(株式会社近畿ウレタン工事)
- 註
- 1)
- 狭山池調査事務所『狭山池 埋蔵文化財編』、1998年↑
- 2)
- 株式会社日本通運神戸重機支店の重量物専門斑が遺構運搬・設置を担当した。↑
- 3)
- 「重源の石樋」の復元展示では、横口式石槨材「石棺10」の直上に、樋管取水部として機能していた時の円孔がある石棺7を伏せて配置し、これに石棺2と石棺3を連結して、中世の中樋樋管の一部を再現している。近世中樋出土時には石棺10の表面でわずかながら変色域が認められ、この範囲が石棺7上端の平面形とほぼ一致していた。また、近世中樋取水部・放水部で出土したすべての石棺の内寸を検討した結果、中世の樋管では石棺7−石棺2−石棺3が連結されていた可能性はきわめて高いと推定される。「重源の石樋」復元展示では、この復元案に従った石棺配置をおこなった。さらに、北堤との位置関係や大正・昭和の改修以後でその所在が不明となった石棺の存在も考慮して模型「重源の石樋」を製作した。この縮尺1/30の模型では、石棺10の位置が中世と近世の中樋でほぼ同一で取水部がほぼ同じ場所に構築されていたと仮定し、また、中世の北堤の高さから満水時の水位を推定して取水部の規模を算定、樋管全長65mの中樋を想定復元した。↑
- 4)
- 本稿ではそれ単体が保有する機能で一定の大目的(展示物の固定等)を実現する構造体たる器具を「金物」、その金物の構成要素であってそれ単体の機能では一定の大目的を実現しえない部品を「金具」と呼び分けている。図中では施工図を用いているために施工時の呼称が混在している。↑
- 5)
- 各々のベース架台・梯子形支持フレーム・背負子形上部架台等は個々の石棺の寸法に合わせて設計したため、形状・寸法がすべて異なっている。↑
- 6)
- グリ石や石礫などで取上番号が対照できなかったものについては、出土した石礫から形状・寸法・石質が近似したものを選定して代用した。↑
- 7)
- 中樋付近で採取した北堤断面と下層・上層東樋との上下・延伸方向における相対位置関係については、座標軸と標高を厳密に照合して製作した縮尺1/30の模型「堤と東樋」で展示している。↑
- 8)
- 桝形内部で出土した石礫については、取り上げ時に番号を記入していたが消失し、各石礫の個体識別が不可能となってしまった。このため、遺構図・遺構写真と逐次照合して形状が近似したものを選定して展示の中に組み込んでいった。また、放水部桝形の移築については完存していた1区画分のみとした。部分的に遺存していた1区画分の部材は一般収蔵庫にて収蔵展示している。↑
- 9)
- これにある程度対応する措置として、放水部の樋管8については、樋管外面が土風造形で覆われてしまうこともあり、原寸大のレプリカを製作し、上層樋管取上番号36番と同様に一般収蔵庫内にて収蔵展示している。↑

※当文書は、大阪府立狭山池博物館が編集・刊行した『大阪府立狭山池博物館研究報告1』(2004年12月発行)に掲載した拙稿をHTMLファイル化したものである。
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