今熊1号窯 Page3


(4)遺 物

1.第1次焼成床面出土遺物[IK1−1](第13図、図版9−1〜6、第2表)
第1次焼成床面上およびその被覆土中から検出された遺物は、須恵器蓋杯の杯蓋9点・杯身9点・無蓋高杯1点である。
杯蓋1の天井部と体部の境界付近に鈍い凹線がみられ、この杯蓋1を含めた5点の杯蓋口縁部内面にあまい段の形成がみられるなど、やや古い特色を残した須恵器が目立つ。
また、杯蓋2の口縁部外面には、ハケ状工具による調整痕が確認できる。このハケ目は上下2段にナナメ方向に施され、上段を右下がりに施したのち、下段を左下がりに施している。このハケ目調整ののちに回転ナデ調整を施しており、ハケ目の一部はこのためにナデ消されている。このように、成形・調整段階においてロクロ回転を用いない工程が、陶邑窯跡群中のこの時期の窯においても採られている(註2)。この事実は、陶邑の拡大化にともなって、土師器を製作しうる在地の人間を須恵器製作工人集団に組み入れていった状況を示す証拠の一つではなかろうか。
総数19点のうち、16点の資料が1/2未満の残存であり、この床面の最終使用段階の片付けが徹底的に行われたものと思われる。

2.第2次焼成床面出土遺物[IK1−2](第14・15図、図版9・10−7〜14、第3表)
第2次焼成床面上およびその被覆土中から検出された遺物は、須恵器の杯蓋17点・杯身13点・高杯蓋2点・高杯1点である。
杯蓋の口縁部内面にあまい段を成するものが3点あり、杯身の底部内面中央に同心円文を残すものがみられるなど、第1次焼成床面と同様にやや古い特色を有する須恵器が存在する。と同時に、底部ヘラ切り未調整の杯身や、いわゆる乳首形のつまみを付して口縁部にかえりを有する杯蓋なども存在するため、この床面資料が有する型式幅は広いように思われる。
総数33点のうち、残存が1/2未満の個体は17点であり、床面における遺物の遺存率は第1次焼成床面よりも高いようである。

3.第3次焼成床面出土遺物[IK1−3](第16図、図版10・11−15〜26、第4表)
第3次焼成床面上から検出した遺物は、杯蓋4点・杯身17点・高杯蓋1点である。
杯身64・杯身65・杯身66は底部がヘラ切り未調整であり、杯蓋・杯身ともに口径の縮小化が総体としてみられることから、第2次焼成床面資料との型式差の存在が感じられる。また、その型式幅もきわめて限定しうるものといえよう。
総数22点のうち、残存が1/2未満の個体は6点であり、ほぼ完形に近いものもしくはほぼ完形のものは15点を数える。よって、床面における遺物の遺存率は先の2枚の焼成床面に較べて著しく高く、遺物出土状況にも顕れているように、最終焼成ののちに取り残されたまま放棄もしくは天井の崩壊等により、この床面が結果としてそのまま保存された可能性が強い。すなわち、第3次焼成床面の資料は、単一回の焼成に伴う一括資料として扱うことができうる、型式編年において有為性の高い窯体資料である。

4.焼成部撹乱坑内出土遺物(第17図、図版11−28〜30、第5表)
焼成床面および右側壁を奥側において破壊する撹乱坑内からも、コンテナ約1箱分の遺物が出土した。この撹乱坑のほぼ1層の埋土である暗黄褐色砂質土層中から出土した遺物のうちで図化しえたものは、須恵器の杯蓋13点・杯身7点・有蓋高杯1点、陶器鉢1点の計22点である。
杯蓋75・76・78・79・80・81・86の口縁部内面にはあまい段が形成されており、杯身76の口縁部外面にはハケ状工具による調整が左下がりのナナメ方向に施されている。
陶器の鉢と思われる96は口縁部付近のみを残存する。全体に乳白色の釉を施し、口縁部体部境界の内面に段を成して受部とし、この部分は無釉であることから、有蓋の鉢であると考えられる。この鉢は瀬戸美濃系の陶器と推定され、近世以降の時期が与えられるようである。この撹乱坑の掘削時期を示すであろう唯一の資料である。

5.焼成部流入土内出土遺物(第18図、第6表)
焼成部の流入土内、土層番号8・9の層内に包含されていた遺物はごく少数量であったが、須恵器杯蓋4点・杯身3点・提瓶1点を図化しえた。