古墳時代における乗馬の風習の受容は、「初期の導入段階→有力者層への導入段階→有力者層への普及段階→古墳築造が可能な階層全体への普及段階」といったような過程を経て進行したと考えられる。
乗馬の風習が日本列島内の中央権力者層と地方の首長者層に受容されたであろう5世紀前葉〜5世紀中葉になると、滋賀県新開1号墳註1)・大阪府鞍塚古墳註2)・大阪府誉田丸山古墳註3)・大阪府御獅子塚古墳註4)では鏡板轡の馬具セットが出土し、大阪府七観山古墳註5)では円環轡の一種である素環鏡板付轡が出土し、福岡県瑞王寺古墳註6)・岡山県随庵古墳註7)等では轡の馬具が出土している。この時期の乗馬風習の受容は「有力者層への導入段階」として位置づけられよう。
5世紀後葉になると、日本国内における乗馬の風習の浸透度は顕著に高まる。それは、f 字形鏡板付轡と剣菱形杏葉の組み合わせによる馬装が成立し、国内各地の有力者層がこれを保有する状況が、当該期の古墳副葬遺物から看取されるからである。この時期の乗馬風習の受容は「有力者層への普及段階」として位置づけられよう。
小野山節氏は、その著作註8)の中で「伽耶・百済に含まれる地域の古墳で出土する『f 字形鏡板付轡+剣菱形杏葉の組合せによる馬装』を輸入して、この時期の有力者層が保有していたことは想像に難くない。この馬装の模作を通じて、国内に馬具製作技術が定着し、さらに『f 字鏡板付轡+剣菱形杏葉の組合せによる馬装』が単なる馬を制御する道具としての役割を超えて、政治的な意義をもち、中央政治勢力から各地の首長へ配布されたのではないか」と述べられている。はたして、この馬装に政治的な意義が存在したかどうかは綿密な検証作業を経た上で判定できることであり、単純に肯定することはできない。とはいえ、5世紀後葉以後の段階で、国内有力者層にf 字形鏡板付轡と剣菱形杏葉の組み合わせによる馬装が受け入れられている現象は、本稿にて後述するように、概ね認めることができよう。
また、小野山氏が「f 字形鏡板付轡と剣菱形杏葉の組合せおよび楕円形鏡板付轡と剣菱形杏葉の組合せを特徴とする馬具が新式の馬具として輸入され、その模作をつうじて日本に馬具の製作技術が定着した」の述べられている註9)ように、大阪府長持山古墳註10)の馬具セットにみられるf 字形鏡板付轡・剣菱形杏葉の馬具一式と「内彎楕円形鏡板付轡」と剣菱形杏葉の馬具一式の共伴例註11)は、当該期以後の日本国内における馬装と密接な関連性を有している可能性がある。
本稿では、従来「鉄製楕円形鏡板付轡」、あるいは「楕円形鏡板付轡」と呼ばれていた鏡板下縁部が弧状に抉れた形態の鏡板をもつ轡を、鉄製のものと鉄地金銅張等のものの双方を含めて「内彎楕円形鏡板付轡」と呼称する註12)。これは「鉄製」と限定すると同種の形態をもつ鉄地金銅張のものが除外されることになり、型式学的分類に不都合を来すおそれがあり、単に「楕円形」と称すると6世紀初頭から盛行する十字文楕円形に代表されるような通有の楕円形鏡板付轡と混同するおそれがあるため、形態上の特徴をもって呼ぶことが適当であると考えたためである。ただし、後述するように、この分類中に含んでいる轡には鏡板下縁部が内彎せず、単に直線をなす轡も含めている。
この種の轡の分類研究は以外に少なく、せいぜい他の記述中において数行ふれる程度の扱われかたがほとんどであったといえよう。唯一、細分類をおこなった坂本美夫氏の研究については、今一度確認しておく必要があろう。坂本美夫氏は『馬具 考古学ライブラリー34』註13)の中で、「鉄製楕円形鏡板付轡」という項目で細分類を試みておられる。鉄製楕円形鏡板付轡の概要を記述する文中において、引手の連結方法や鏡板の形態変化について記述され、I期〜IV期までに時期区分された。その後、「鉄製楕円形鏡板付轡の分布とその特性」註14)では、内彎楕円形鏡板付轡をAa〜Dcまでの9種に細分類された。氏の分類は、本稿がおこなっている分類の基準よりも、さらに詳細なものである。第三者には確認が困難なほどの微細な差異に着目しておられるためか、氏の詳細な分類を十分に活用することは容易でなかろう。また、この轡を「ヤマト政権の東国支配の政策に基づく馬具」として性格付けされておられる結論とその検証過程については、個別資料の年代観も含めて、異論もあるところであろう。
ところで、内彎楕円形鏡板付轡は、5世紀後葉以後、国内各地の古墳で副葬され、あるものは剣菱形杏葉とセットで首長墓級の古墳に副葬され、あるものは轡単体で小規模な古墳の副葬品となっている状況が存在するようであるが、従来の研究においては、この轡の副葬状況を整理して考察し、この轡に明確な定義付けを与えるような論考はいまだなされていないようである。
鹿野吉則氏はその論著「大和における馬具の様相」註15)において、奈良県下の古墳出土例をもとに、6世紀前半までの馬具セットの違いに反映される、馬具所有者の階層差を論じておられる。その論中において、奈良県下における「鉄製楕円形鏡板付轡」の検出例の多さに注目し、同時にこの轡について「5世紀代には剣菱形杏葉などを伴う例も存在するが、これ以降については轡+辻金具(中略)+具という構成で出土する例が大半を占め(後略)」ると記述されている。また、5世紀代の資料については「f 字・剣菱と鉄製楕円形鏡板付轡を伴う馬具を副葬する古墳に規模の違いは認められず、構成においても長持山古墳例や京都府穀塚古墳例のように明確なセット関係は成立していない」と述べられ、5世紀末〜6世紀の資料については「御所市石光山8号墳や芝塚2号墳のように群集墳中の小型前方後円墳や中規模墳からもf 字・剣菱が出土するようになり、同時に鉄製楕円形鏡板付轡が群集墳中を中心に出土する。しかしこうした例の多くは杏葉を伴わない」とされ、こうした状況を「馬具を持たなかった群集墳の被葬者にまで所有者層の拡大が図られたことを意味し、これに呼応するようにf 字・剣菱と鉄製楕円形鏡板付轡のセットとの間には出土する古墳に明確な階層差が現れる」と結論づけておられる。
木許守氏は「f 字形鏡板では前方後円墳が多く、概して規模が大きい、各地域の首長墓的位置を占めるものが多い。一方、鉄製楕円形鏡板出土古墳は規模が小さく円墳が多く、その古墳各差は明瞭である」と述べられ註16)、両者の馬装の差異が古墳の規模に反映されていることを示しておられる。
宮代栄一氏は「古墳時代における馬具の暦年代」註17)の中で、6世紀代の内彎楕円形鏡板付轡の時期の下限についてふれられており、「鉄製楕円形鏡板付轡、f 字形鏡板付轡、剣菱形杏葉などはTK43型式期に一気に消滅するのではなく、出土数としてはむしろその前段階にあたるTK10型式期(新)がピークであり、TK43型式期にはごく少数が残るにすぎない」と述べられている。
本稿では、内彎楕円形鏡板付轡の分類をおこない、その馬装について考察をおこなうとともに各類型の副葬時期を把握し、どのような古墳に副葬されているかを確認したい。また、同時並存する他型式の轡の馬装およびその出土古墳との比較検討をおこない、内彎楕円形鏡板付轡の馬装について一定の理解をえるとともに、内彎楕円形鏡板付轡出土墳と、主としてf 字形鏡板付轡出土墳・楕円形鏡板付轡出土墳との間にどのような階層差が存在するのかを明らかにしたいと考える。
内彎楕円形鏡板付轡の分類基準として次の2点を重視した。第1の分類基準は鏡板下縁部の抉れ込み方である。他の型式の鏡板と最も相違する要素が、この鏡板下縁部の抉れであることはいうまでもない。この轡を他の楕円形鏡板付轡と別の型式として認識する根拠としているこの要素を、細分類に際して最重要視することは妥当といえよう。第2点の分類基準は鏡板の縦横比である。内彎楕円形鏡板付轡導入期の鏡板のプロポーションと、他の型式の轡も広く普及した段階のそれとは、その縦横比率にかなりの差異を認められるような感がある。よって、鏡板下縁部の抉れ込み方を主要な分類基準とし、鏡板縦横率を第2の分類基準とした。この2つの基準によって内彎楕円形鏡板付轡は図1のように5類型に分類できる。
鏡板下縁部がほぼ曲線的に緩く内彎するものを「A類」、鏡板下縁部が内彎せずにほぼ直線をなすものを「B類」、鏡板下縁部が明瞭に角をなして抉れ込むものを「C類」に大きく分けることができる。さらに、「A類」は、鏡板の縦横比率が1:2で、やや横方向に長いものが「A1類」に細分され、鏡板の縦横比率が3:4で、縦方向の長さがあるものが「A2類」に細分できる。「B類」は、鏡板縦横比率が2:3のものを「B1類」に、鏡板縦横比率が1:2のものを「B2類」に細分できる。「C類」は、個々の資料間における鏡板縦横比率の差が少ないようであり、2:3〜3:4の幅におさまる。よって、「C類」は細分を行わないこととした。
このように内彎楕円形鏡板付轡はA1類・A2類・B1類・B2類・C類の5類型に分類可能である。
類型 | 鏡板外形 | 鏡板の特徴 |
---|---|---|
A1類 | ![]() | 下縁部が緩く抉れ込む。 縦横比率は1:2。 鉄製のもののみ確認されている。 縁金具が付く例と付かない例がある。 |
A2類 | ![]() | 下縁部が緩く抉れ込む。 縦横比率は3:4。 鉄製もしくは鉄地金属張。 縁金具が付く例と付かない例がある。 |
B1類 | ![]() | 下縁部はほぼ直線をなす。 縦横比率は2:3。 鉄製。 縁金具は付かない。 |
B2類 | ![]() | 下縁部はほぼ直線をなす。 縦横比率は1:2。 鉄製。 縁金具は付かない。 |
C類 | ![]() | 下縁部が鋭角をなして抉れ込む。 縦横比率は2:3〜3:4。 鉄製もしくは鉄地金銅張。 |
日本国内の古墳から出土した内彎楕円形鏡板付轡のうち、馬具の組み合わせ状態・出土状況・古墳の概要がわかる比較的良好な資料として、表2・表3に掲げた37点を把握している。A1類は8点、A2類は10点、B1類は2点、B2類は2点、C類は15点の資料を確認することができる。
各類型の消長を把握するに際して、各個別資料の古墳への副葬時期を把握する必要がある。基本としては、馬具に共伴して出土した須恵器の型式を比定し、これによって各資料の副葬時期を考察した(表1)。ただし、須恵器が共伴しない資料については、他の副葬遺物・遺構等から推定される古墳築造時期を、須恵器型式併行期として捉えた。また、須恵器編年には、陶邑田辺編年註18)を用い、特に型式比定に際しては、蓋杯の法量と形態、および高杯の脚高を重視した。この確認作業で得られた時期幅を図化すると、図2のようになる。
表1 内彎楕円形鏡板付轡出土墳の須恵器型式期 |
No. | 古墳名 | 須恵器型式期 | 須恵器型式期の特定要素 |
---|---|---|---|
1 | 大阪府 長持山古墳 | TK208 | 伝允恭陵古墳の築造時期、輪鐙の形式 |
2 | 愛知県 経ヶ峰1号墳 | TK208 | 墳丘上出土の蓋杯・器台 |
3 | 京都府 穀塚古墳 | TK23 | 鈴杏葉の編年的位置づけ |
4 | 奈良県 寺口忍海D27号墳 | TK85 | 石室内出土の杯蓋・杯身 |
5 | 奈良県 新沢千塚312号墳 | MT15 | 墓壙内出土の高杯・壺 |
6 | 群馬県 古海原前1号墳第4主体部 | MT15 | 第1主体部出土の鉄製f字形鏡板付轡の編年的位置づけ |
7 | 埼玉県 諏訪山1号墳第2主体部 | MT15 | 墳頂部出土の須恵器片 |
8 | 長野県 上洞第3号墳 | MT15 | - |
9 | 奈良県 巨勢山75号墳 | MT15 | 石室内出土の須恵器 |
10 | 埼玉県 どうまん塚古墳 | MT15 | 剣菱形杏葉の編年的位置づけ |
11 | 福井県 十善の森古墳 | MT15 | 前方部石室出土の蓋杯 |
12 | 奈良県 芝塚2号墳 | TK10 | 石室内出土の須恵器 |
13 | 福井県 二子山3号墳 | TK10 | - |
14 | 茨城県 西大塚1号墳 | TK10 | 墳丘出土の埴輪 |
15 | 宮崎県 馬頭地下式横穴5号墳 | TK10 | 長頸式鉄鏃の編年的位置づけ、近接する地下式横穴の築造時期 |
16 | 長野県 久保田1号墳 | TK10 | 伴出の素環鏡板付轡と三葉文楕円形杏葉のセットを出土する古墳の築造時期 |
17 | 長野県 郭2号墳 | TK10 | - |
18 | 兵庫県 丁3号墳 | - | - |
19 | 愛媛県 斎院茶臼山古墳 | TK47 | 石室内出土の杯身・杯蓋・![]() |
20 | 奈良県 新沢千塚112号墳 | TK10 | 木棺直上出土の杯身・高杯・提瓶・![]() |
21 | 大分県 上ノ原35号横穴墓 | TK47 | 玄室内出土の初葬に伴う![]() |
22 | 熊本県 塚原丸山26号墳 | ? | - |
23 | 奈良県 寺口忍海H16号墳 | TK47 | 石室内出土の杯身・杯蓋・高杯・壺・器台 |
24 | 宮崎県 小木原地下式横穴2号墳 | TK47〜MT15 | 主体部・墳丘封土内出土の須恵器 |
25 | 静岡県 雲座D1号墳 | MT15 | 出土した須恵器 |
26 | 奈良県 忍坂4号墳第2主体部 | TK10 | 墓壙内出土の杯身・杯蓋・短頸壺・長頸壺・![]() |
27 | 大阪府 寛弘寺75号墳 | TK10 | 玄室内出土の初葬に伴う須恵器 |
28 | 兵庫県 立石105号墳 | TK10 | 木棺内・墓壙内出土の杯身・杯蓋 |
29 | 宮崎県 大荻地下式横穴27号墳 | TK10 | 近接する地下式横穴の築造時期 |
30 | 福岡県 脇田山古墳 | TK10 | 石室内出土の初葬に伴う須恵器 |
31 | 和歌山県 岩瀬千塚寺内18号墳前方部主体部 | TK10 | 石室内出土の初葬に伴う須恵器 |
32 | 福井県 きよしの2号墳 | TK10 | 石室内出土の初葬に伴う須恵器 |
33 | 滋賀県 北谷5号墳 | TK10 | 石室内出土の初葬に伴う須恵器 |
34 | 大阪府 一須賀W15号墳 | TK43 | 石室内出土の初葬に伴う須恵器 |
35 | 福岡県 釘崎3号墳 | TK43 | 石室内出土の提瓶 |
36 | 長野県 ドドメキ1号墳 | TK43 | - |
37 | 愛媛県 治平谷3号墳第1主体 | TK43 | - |
西暦 | . | 450 | 500 | 550 | 600 |
須恵器型式 | TK73 | TK216 | TK208 | TK23 | TK47 | MT15 | TK10 | TK43 | TK209 | TK217 |
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内彎楕円形鏡板付轡A1類 | . | . | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | . | . | . | . |
内彎楕円形鏡板付轡A2類 | . | . | . | . | ![]() | ![]() | ![]() | . | . | . |
内彎楕円形鏡板付轡B1類 | . | . | . | . | ![]() | ![]() | ![]() | . | . | . |
内彎楕円形鏡板付轡B2類 | . | . | . | . | ![]() | ![]() | ![]() | . | . | . |
内彎楕円形鏡板付轡C類 | . | . | . | . | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | . | . |
f 字形鏡板付轡 | . | . | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | . |
素環鏡板付轡 | . | . | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |
楕円形鏡板付轡 | . | . | . | . | . | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | . |
心葉形鏡板付轡 | . | . | . | . | . | . | . | ![]() | ![]() | ![]() |