南河内考古学研究所「内彎楕円形鏡板付轡の馬装」page2
Back Next

[はじめに]
[1.内彎楕円形鏡板付轡の類型分類とその副葬時期]
[2.内彎楕円形鏡板付轡の馬装]
[3.内彎楕円形鏡板付轡出土墳の類型ごとの比較]
[4.f 字形鏡板付轡の馬装との比較]
[5.f 字形鏡板付轡出土墳との比較]
[6.内彎楕円形鏡板付轡の馬装を採用した古墳被葬者層]
[註記]

2.内彎楕円形鏡板付轡の馬装

ここでは、主に内彎楕円形鏡板付轡の馬装、つまり馬具セット関係について言及したい(表2)。

従来の研究のおいては、内彎楕円形鏡板付轡剣菱形杏葉とセット関係をなす轡として、もしくは、杏葉を伴わない轡として認識されていた。では、その二者の馬装の違いは他の要素において何らかの傾向を示しているのであろうか。この問題については、内彎楕円形鏡板付轡を一括りにして捉えられていたためか、いままで曖昧なまま放置されていたかのような感がある。

本稿では先述のように、内彎楕円形鏡板付轡をその形状から5つの類型に分類した。それに即して馬具セット関係を確認すると、次のような明らかな傾向が看取された。

まず、A1類の内彎楕円形鏡板付轡を保有する古墳においては、TK208型式期の長持山古墳とTK23型式期の穀塚古墳註19)の資料において剣菱形杏葉とのセット関係が確認できる。ところが、同じA1類の経ヶ峰1号墳註20)・寺口忍海D27号墳註21)・新沢千塚312号墳註22)・古海原前1号墳註23)・諏訪山1号墳註24)・上洞3号墳註25)の諸例では杏葉が出土せず、轡単体での副葬と理解される。つまり、TK23型式以前の、内彎楕円形鏡板付轡の使用が開始された段階における副葬例においては剣菱形杏葉と組み合う「A1類内彎剣菱」の馬装が確認できるのであるが、TK47型式以後の出土例においては「A1類内彎剣菱」の馬装は成立していないのである。

A2類に分類されるMT15型式期の巨勢山75号墳註26)・どうまん塚古墳註27)・十善の森古墳註28)、TK10型式期の芝塚2号墳註29)・西大塚1号墳註30)・久保田1号墳註31)の諸例では剣菱形杏葉とのセット関係が確認できる。二子山3号墳註32)・馬頭地下式横穴5号墳註33)では杏葉が伴出せず、郭2号墳註34)・丁3号墳註35)では楕円形の杏葉が伴出しているので、完全とはいえないものの、A2類内彎楕円形鏡板付轡剣菱形杏葉のセット関係は概ね成立しているといえよう。「A2類内彎剣菱」の馬装が成立している出土例には鐙を伴うものが多く、基本的な馬具一式をほぼ取りそろえた馬装が採用されているといえよう。

B1類の斎院茶臼山古墳註36)・新沢千塚112号墳註37)、B2類の上ノ原35号横穴墓註38)・塚原丸山26号墳註39)の諸例では、杏葉の出土が認められない。B1類・B2類の内彎楕円形鏡板付轡の馬装は杏葉を伴わない馬装であるといえよう。

C類に分類されるTK47型式期の寺口忍海H16号墳註40)、TK47型式期〜MT15型式期の小木原地下式横穴2号墳註41)・雲座D1号墳註42)、TK10型式期の忍坂4号墳・立石105号墳・大荻地下式横穴27号墳・脇田山古墳・岩橋千塚寺内18号墳・きよしの2号墳・北谷5号墳、TK43型式期の一須賀W15号墳・釘崎3号墳・ドドメキ1号墳・治平谷3号墳の諸例においては、杏葉の伴出が確認されていない。例外的に寛弘寺75号墳例のみ三葉文楕円形杏葉が搬出しているものの、C類の内彎楕円形鏡板付轡には杏葉が伴わないと理解される。また、鐙等の他の馬具を伴出する例も少なく、C類の内彎楕円形鏡板付轡の馬装はきわめて簡素なものといえよう。

以上のように各類型毎に馬具セット関係を概観した結果、次のようにまとめることができる。

では、内彎楕円形鏡板付轡剣菱形杏葉がセット関係をなし、当時、何故にひとつの馬装として認識されているのであろうか。

日本国内においてTK208型式期以後に成立したのち盛行した、f 字形鏡板付轡剣菱形杏葉の組合せによる馬装こそ、剣菱形杏葉の主流をなす用いられ方であることに疑いはない。おそらく、f 字形鏡板付轡剣菱形杏葉内彎楕円形鏡板付轡剣菱形杏葉という組合せの馬装の原型は、朝鮮半島東南部の伽耶地域を中心とする地域で成立していた馬装のひとつであったのであろう。そうした馬具セットが日本へごく少数搬入され、製作技法の模倣を行いつつ同様の馬具を国内で生産し、「f 字剣菱」と「内彎剣菱」の馬具セットが国内において流行したと考えるのが自然である。

少し、朝鮮半島内での出土例について触れておく。高霊の池山洞44号墳主石室からは、A1類内彎鏡板付轡と若干異形の剣菱形杏葉がセットで出土している。また、同墳の第25槨からは、A1類の内彎楕円形鏡板付轡が杏葉を伴わずに出土している。陜川郡にある玉田M3号墳においては、亀甲文を施したA2類内彎楕円形鏡板付轡剣菱形杏葉、無文のA1類内彎楕円形鏡板付轡剣菱形杏葉が二組共伴しており、もうひと組の馬具として変形f 字形鏡板付轡剣菱形杏葉の馬具セットを保有している。この玉田M3号墳から出土した剣菱形杏葉は、初期的な剣菱形杏葉のひとつに数えられており、日本における剣菱形杏葉の馬装の成立を考える上で、きわめて興味深い資料である。玉田M2号墳では十字文のA2類内彎楕円形鏡板付轡と扁円魚尾形杏葉が組み合って出土している。渓堤あA号墳ではA1類とB2類の内彎楕円形鏡板付轡が出土しており、扁円魚尾形杏葉らしき鉄板も出土している。玉田72号墳・玉田82号墳・月山里M1A号墳・白川里1号墳・礼安里39号墳ではA1類内彎楕円形鏡板付轡が、玉田70号墳ではB1類内彎楕円形鏡板付轡が、各々杏葉を伴わずに出土している。

これらの朝鮮半島内出土資料について、日本国内の古墳との時期的な併行関係を厳密に確定することはきわめて難しい。長持山古墳よりも相対的に古い時期か、もしくはほぼ同時期に編年される可能性が高い古墳は池山洞44号墳のみであり、他の古墳はあえて陶邑須恵器編年の型式期でいえば、TK23型式併行期・TK47型式併行期の造営が考えられよう。また、伽耶地域を中心とした地域における「f 字剣菱」の馬具セットを保有する古墳は意外と少なく、型式的に古いと考えられるf 字形鏡板付轡には剣菱形杏葉とのセット関係は確認できず、むしろ比較的新しい時期に編年されるものにそれが確認されるようである。

A1類・A2類の内彎楕円形鏡板付轡と剣菱形もしくはそれに類する杏葉がセット関係をなす馬装と、杏葉をもたない馬装が混在した伽耶地域を中心とした地域の状況、そして、f 字形鏡板付轡剣菱形杏葉がセット関係をなす馬装が意外に少ないこの地域の当該期における様相はむしろ自然であると考える。なぜならば、日本国内においては、後述するように「f 字剣菱」の馬装を積極的に採用するようになるのは、TK47型式期以後のことであり、「A2類内彎剣菱」の馬装が普及するのもMT15型式期以後のことである。TK23型式期以前の5世紀後半でも比較的早い段階においては、日本においては「剣菱セット」の馬装はまだ完全には定着しておらず、いまだこの馬装の波及段階にある。伽耶地域においては全期間を通じて、定型化した「剣菱セット」的な馬装は成立せず、そのような馬装はあくまでも多くある馬装のひとつにすぎない存在なのではなかろうか。日本列島内においては「f 字剣菱」の馬装にある特定の意味付けをおこない、それを尊重したがために、「剣菱セット」の馬装が流行するのであり、彼地においては「f 字剣菱」の馬装に特定の意味付けをおこなうことがなかったため、「剣菱セット」の馬装は多くの馬装の種類のひとつに過ぎないものとなったのであろう。

TK23型式期以前に「f 字剣菱」と「内彎剣菱」の馬装が日本国内へ持ち込まれ、それ以後「f 字剣菱」の馬装は馬具の国産化が進んでいくとともに普及する。「剣菱セット」の需要が高まったある時点で、「内彎剣菱」の馬装も「剣菱セット」であることが再認識されたために、内彎楕円形鏡板付轡剣菱形杏葉が組み合う馬具セットが普及していったのだと推測される。そのある時点とは、TK47型式期〜MT15型式期であると考える。この時期になると、新式の馬装である楕円形鏡板付轡楕円形杏葉の馬具セットが普及しはじめている。そのため、内彎楕円形鏡板の地板には、楕円形鏡板付轡の地板と同じような縦横比率の鉄板が使用され、A2類の類型に属するプロポーションの鏡板が製作されたのであろう。ゆえに、「A2類内彎剣菱」の馬装が成立したのだと考える。

この時期にはC類の内彎楕円形鏡板付轡も製作されている。C類の轡は朝鮮半島での発掘調査資料に見あたらず、おそらく日本国内で独自に生み出されたタイプの轡であると考えられる。

A2類と同様に鏡板の高さ方向が長い縦横比率のプロポーションをもったこの鏡板は、やはり新式の馬具である楕円形鏡板付轡の地板と同じ鉄板を使用しているように思える。であるにも関わらず、C類の内彎楕円形鏡板付轡には剣菱形杏葉を伴う例が見受けられない。おそらく、これは鏡板下縁部の抉れを形作る際に角を丸めて曲線に整形したA2類と、角をそのままに残したC類とでは差別化が図られいて、まったく別の轡として扱われていたため、馬装を形成するに際しても、「剣菱形セット」の一部品であるA2類の轡と、杏葉をもたない馬装のC類の轡は明確に別の馬装を形成しているのであろう。

ただ、鏡板製作時の差別化に関して、単にC類は工程が省略され、A2類は工程が省略されていないと解釈するか、あるいは、f 字鏡板の下縁部にみられる彎曲を意識して曲線化したものがA類であり、その形状に差異をもたせたものがC類であると考えるかべきかは俄には断じがたい。

ところで、内彎楕円形鏡板付轡の特色としていまひとつ取り上げておきたいことは、引手元環と銜先との連結が、全時期を通じて鏡板の外側で行われていることである。後述するようにf 字形鏡板付轡の場合、TK47型式期とMT15型式期の端境を前後して、外側連結から内側連結へ変化するように、他の轡では6世紀に入ると引手の銜への連結が鏡板内側でおこなうようになるのが主流である。これに対して、内彎楕円形鏡板付轡ではMT15型式期以後においても、依然として鏡板外側で引手が連結されており、新式の連結方式による装飾的効果はまったく取り入れられていない。この轡を用いた馬装の重要な特色のひとつといえよう。

以上の考察の結果をまとめると、内彎楕円形鏡板付轡の馬装は、次の3種類に分類可能である。

この3種類の馬装には、鉄地金銅張の鏡板と鉄製の鏡板の双方の轡が存在するが、引手の連結は鏡板の外側でおこなわれており、装飾的効果を徹底しきれていない馬装ということができよう。

[back] [top]
表2 内彎楕円形鏡板付轡と主要伴出遺物
轡類型須恵器型式No.古墳名鏡板引手の連結杏葉雲珠武器武具
A1TK2081大阪府 長持山古墳鏡板外側剣菱形××
A1TK2082愛知県経ヶ峰1号墳鏡板外側×××
A1TK233京都府 穀塚古墳鏡板外側剣菱形××-
A1TK854奈良県 寺口忍海D27号墳鏡板外側××× ×
A1MT155奈良県 新沢千塚312号墳鏡板外側××××
A1MT156群馬県 古海原前1号墳第4主体部鏡板外側××××
A1MT157埼玉県 諏訪山1号墳第2主体部鏡板外側××××
A1MT158長野県 上洞第3号墳鏡板外側××××
A2MT159奈良県 巨勢山75号墳鉄金鏡板外側剣菱形杓子×
A2MT1510埼玉県 どうまん塚古墳鏡板外側剣菱形--
A2MT1511福井県 十善の森古墳鉄金不明異形剣菱形木輪×
A2TK1012奈良県 芝塚2号墳鏡板外側剣菱形杓子××
A2TK1013福井県 二子山3号墳鏡板外側×××××
A2TK1014茨城県 西大塚1号墳鏡板外側剣菱形××
A2TK1015宮崎県 馬頭地下式横穴5号墳鏡板外側××××
A2TK1016長野県 久保田1号墳鉄金不明剣菱形三角××
A2TK1017長野県 郭2号墳鉄金不明楕円形心葉形×××
A2TK4318兵庫県 丁3号墳鏡板内側内彎楕円×××
B1TK4719愛媛県 斎院茶臼山古墳鏡板外側×××
B1TK1020奈良県 新沢千塚112号墳鏡板外側×木輪××
B2TK4721大分県 上ノ原35号横穴墓 鏡板外側×××
B2?22熊本県 塚原丸山26号墳鏡板外側×××××
CTK4723奈良県 寺口忍海H16号墳鏡板外側××××
CTK47〜MT1524宮崎県 小木原地下式横穴2号墳鏡板外側×××
CMT1525静岡県 雲座D1号墳鏡板外側××××
CTK1026奈良県 忍坂4号墳第2主体部鏡板外側××××
CTK1027大阪府 寛弘寺75号墳鉄金鏡板内側楕円形×
CTK1028兵庫県 立石105号墳鏡板外側××××
CTK1029宮崎県 大荻地下式横穴27号墳 鏡板外側×××
CTK1030福岡県 脇田山古墳鏡板外側×鉄輪××
CTK1031和歌山県 岩瀬千塚寺内18号墳前方部主体部不明×××××
CTK1032福井県 きよしの2号墳鏡板外側××××
CTK1033滋賀県 北谷5号墳鏡板外側××××
CTK4334大阪府 一須賀W15号墳鉄金不明×××?×
CTK4335福岡県 釘崎3号墳鏡板外側×木輪×
CTK4336長野県 ドドメキ1号墳鏡板外側××××
CTK4337愛媛県 治平谷3号墳第1主体不明××××

※鉄:鉄製、鉄金:鉄地金銅張、木輪:木心鉄板張輪鐙、鉄輪:鉄製輪鐙、三角:三角垂形壺鐙、杓子:木心鉄板張杓子形壺鐙

[back] [top]

3.内彎楕円形鏡板付轡出土墳の類型ごとの比較

ここでは、内彎楕円形鏡板付轡を出土した古墳を類型単位での比較を試みる(表3)。 まず、各古墳のうち、主体部に横穴式石室を採用した古墳を選び、その玄室規模の比較検討をおこなった(図3)。なお、複室構造をとるような横穴式石室については、便宜上、奥室部分の規模のみを対象とした。

A1類の寺口忍海D27号墳の玄室規模は長さ3.4m、幅1.7mにとどまる比較的小さなものである。A1類の内彎楕円形鏡板付轡を副葬する古墳で主体部に横穴式石室をもつものは、この古墳のみしか現在知ることができないため、この数値は参考として扱わざるをえない。

A2類では、巨勢山75号墳・十善の森古墳・芝塚2号墳・丁3号墳が横穴式石室墳である。このうち、最大の玄室規模をもつ古墳は芝塚2号墳で、玄室長5.1m、幅2.5mを計測する。

C類の内彎楕円形鏡板付轡出土墳では、資料数が多いこともあり、主体部に横穴式石室をもつ例が多く認められる。玄室長が最も長い古墳はドドメキ古墳で、長さ3.9m、幅1.4mを測る。玄室規模が最も小さい部類に入る古墳には、寺口忍海H16号墳がある。長さ2.8m、幅1.1mを測る。

これらの計測数値を、玄室長を横軸にとり、玄室幅を縦軸にとったグラフにドットすると、図3のような分布域を形成して、A2類とC類の集合が確認できる。つまり、C類の轡を副葬する古墳は玄室長3.5m〜4.0m以下の領域にドットされ、A2類の轡を副葬する古墳は玄室長3.5m〜4.0m以上の領域にドットされるという傾向がみられる。つまり、A2類とC類の轡をもつ古墳の玄室規模は、玄室長3.5m〜4.0m前後の値を境にして、大小の差異を示している可能性が高い。

次に、内彎楕円形鏡板付轡出土墳の墳丘長を比較する。表3における墳丘長の項目の数値を、棒グラフに置き換えたものが図5図6である。図5に示した前方後円墳の墳丘長は60m以下にとどまっているが、これはMT15型式期以後の資料が主体となっているための傾向と理解される。図6に示した円墳の墳丘長では、ひとつの傾向が看取できる。長持山古墳を除外すれば、A2類の轡を副葬するどうまん塚古墳と芝塚2号墳の墳丘長が20mを超えるのに対して、他の類型の轡を副葬する古墳の墳丘長は20m未満にとどまっていることがわかる。

このように、内彎楕円形鏡板付轡を保有する古墳被葬者のなかでも、A2類の内彎楕円形鏡板付轡を保有する古墳被葬者は、他の類型の轡を保有する古墳被葬者よりも、相対的に規模の大きな古墳を造営できた可能性がある。

[back] [top]
表3 内彎楕円形鏡板付轡出土墳の概要
轡類型須恵器型式No.古墳名主体部主体部規模墳形墳丘長
A1TK2081大阪府 長持山古墳竪穴式石室-円墳約40m
A1TK2082愛知県経ヶ峰1号墳竪穴式石室3.8m×1.8m帆立貝式前方後円墳35.0m
A1TK233京都府 穀塚古墳竪穴式石室-前方後円墳41m
A1TK854奈良県 寺口忍海D27号墳右片袖式横穴式石室玄室3.4m×1.7m造り出し付円墳16.5m
A1MT155奈良県 新沢千塚312号墳粘土槨墓壙3.9m×1.6m円墳18m
A1MT156群馬県 古海原前1号墳第4主体部粘土槨墓壙3.2m×0.6m帆立貝式前方後円墳約30m
A1MT157埼玉県 諏訪山1号墳第2主体部粘土槨墓壙3.4m×0.9m円墳19m
A1MT158長野県 上洞第3号墳横穴式石室詳細不明不明不明
A2MT159奈良県 巨勢山75号墳横穴式石室玄室3.8m×2.5m円墳-
A2MT1510埼玉県 どうまん塚古墳木棺直葬棺2.5m×0.6m円墳24.5m以上
A2MT1511福井県 十善の森古墳右片袖式横穴式石室玄室4.2m×2.0m前方後円墳約60m
A2TK1012奈良県 芝塚2号墳右片袖式横穴式石室玄室5.1m×2.5m円墳25m
A2TK1013福井県 二子山3号墳--前方後円墳26m
A2TK1014茨城県 西大塚1号墳小竪穴式石室1.5m×0.5m円墳?不明
A2TK1015宮崎県 馬頭地下式横穴5号墳地下式横穴玄室1.5m×0.6m不明不明
A2TK1016長野県 久保田1号墳横穴式石室詳細不明前方後円墳47m
A2TK1017長野県 郭2号墳?不明不明不明
A2TK1018兵庫県 丁3号墳右片袖式横穴式石室玄室3.0m×1.8m不明不明
B1TK4719愛媛県 斎院茶臼山古墳横穴式石室詳細不明円墳?約15m
B1TK1020奈良県 新沢千塚112号墳木棺直葬墓壙6.0m×2.8m円墳16.2m
B2TK4721大分県 上ノ原35号横穴墓横穴墓玄室2.5m×2.3mなしなし
B222熊本県 塚原丸山26号墳土壙墓土壙2.1m×1.4m円墳13.2m
CTK4723奈良県 寺口忍海H16号墳無袖式横穴式石室玄室2.8m×1.1m円墳?10m以上
CTK47〜MT1524宮崎県 小木原地下式横穴2号墳地下式横穴玄室1.7m×2.5m円墳16m
CTK47〜MT1525静岡県 雲座D1号墳木棺直葬墓壙3.8m×1.8m円墳約11m
CTK1026奈良県 忍坂4号墳第2主体部木棺直葬墓壙5.6m×2.2m円墳約14m
CTK1027大阪府 寛弘寺75号墳右片袖式横穴式石室玄室2.7m×1.7m円墳?15m
CTK1028兵庫県 立石105号墳木棺直葬墓壙4.7m×1.4m円墳15.5m
CTK1029宮崎県 大荻地下式横穴27号墳地下式横穴詳細不明不明不明
CTK1030福岡県 脇田山古墳両袖式横穴式石室玄室3.3m×2.0m円墳約19m
CTK1031和歌山県 岩瀬千塚寺内18号墳前方部主体部両袖式横穴式石室玄室2.6m×2.0m前方後円墳28.6m
CTK1032福井県 きよしの2号墳右片袖式横穴式石室玄室3.4m×2.3m円墳13m
CTK1033滋賀県 北谷5号墳右片袖式横穴式石室玄室3.3m×1.6m円墳?-
CTK4334大阪府 一須賀W15号墳両袖式横穴式石室玄室3.4m×2.4m円墳20.0m
CTK4335福岡県 釘崎3号墳横穴式石室詳細不明前方後円墳約35m
CTK4336長野県 ドドメキ1号墳横穴式石室玄室3.9m×1.4m円墳不明
CTK4337愛媛県 治平谷3号墳第1主体横穴式石室詳細不明円墳?-
[back] [top]

図3 内彎楕円形鏡板付轡の横穴式石室玄室規模
内彎楕円形鏡板付轡の横穴式石室玄室規模
[back] [top]

図5 内彎楕円形鏡板付轡出土墳の墳丘長(1)
内彎楕円形鏡板付轡出土墳の墳丘長(1)
[back] [top]

図6 内彎楕円形鏡板付轡出土墳の墳丘長(2)
内彎楕円形鏡板付轡出土墳の墳丘長(2)
[back]

top of this page


BackindexNext

※当文書は『龍谷史談』第111号(1999年3月5日発行)所収の研究論文である。
※当文書に含まれるテキスト・画像を他の出版物や Web Page へ無断転載することを禁止する。転載の際は必ず発行者・著作者の許可を得ること。
植田隆司
webadmin@skao.net