南河内考古学研究所「内彎楕円形鏡板付轡の馬装」page3
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[はじめに]
[1.内彎楕円形鏡板付轡の類型分類とその副葬時期]
[2.内彎楕円形鏡板付轡の馬装]
[3.内彎楕円形鏡板付轡出土墳の類型ごとの比較]
[4.f 字形鏡板付轡の馬装との比較]
[5.f 字形鏡板付轡出土墳との比較]
[6.内彎楕円形鏡板付轡の馬装を採用した古墳被葬者層]
[註記]

4.f 字形鏡板付轡の馬装との比較

ここでは、主にf 字形鏡板付轡の馬装について、古墳出土資料からその馬具セットの組合せ傾向を把握しておきたい。なお、各古墳への馬具の副葬時期については、先に同じく、伴出した須恵器の型式期であらわすこととし、須恵器を伴出しない資料については主体部の形態や他の副葬遺物から想定される時期を須恵器型式期に置き換えて考えることにした。

まず、f 字形鏡板付轡の馬装について概観する(表4)。

最初に述べておかなければならないことは、従来のf 字形鏡板付轡に関する型式学的編年研究における年代観と表3で示している相対的な年代観が、個別の資料では異なっている場合があることである。これは、従来の研究においては、型式学的に古く考えることの可能な資料があった場合、それに比べて伴出する他の遺物の組成が新しく、古墳への副葬時期がf 字形鏡板付轡の型式から考えうる年代より下る状況にあっても、f 字形鏡板付轡の伝世を想定して、馬具そのものには古い年代を与える傾向があったためと思量する。本稿は、f 字形鏡板付轡の型式学的研究を行うものではないため、たとえ、このような状況が生じても、あえて古墳の造営時期や古墳への副葬時期を優先して考えた。

TK208型式期以後、TK209型式期までの古墳で37点の古墳出土資料を挙げてその馬具セット関係を確認したが、最も顕著にあらわれたことは、f 字形鏡板付轡の馬具セットが良好な組合せを保っているという事実である。37点の資料のうち、杏葉を伴うものは28点に達し、そのなかでも、剣菱形の形状を呈する杏葉と組み合うものは23点を数える。これは「f 字剣菱」セットとして従来から認識されてきたことであり、当然のことではあるが、日本国内にf 字形鏡板付轡剣菱形杏葉がセットをなす馬装が持ち込まれて以後、このセット関係が終始強く意識されていたことの現れであろう。また、鐙の伴出例も比較的多く、16点を数えることができる。f 字形鏡板付轡と剣菱形杏葉のセット関係が保たれており、轡・杏葉・鐙といった各馬具の保有率も高いことから、やはり、当然のことながら、f 字形鏡板付轡の馬装は非常に整備された馬装であるという印象を強く受ける。

ところで、馬具の国内生産開始期に、舶載の優品を模倣して鉄製の鏡板付轡や鉄製の杏葉が製作されたと考えられているが、表3においてTK23型式期に編年している資料は、まさにその状況を如実に示しており、舶載品と考えられている優品をもつ馬具セットと鉄製のものが混在している。これに対して、TK47型式期以後の資料では、鉄製の「f 字剣菱」セットは確認できず、一部の舶載品と国産の鉄地金銅張「f 字剣菱」セットで占められていると考えられる。伽耶地域では、6世紀に入ってもf 字形鏡板付轡剣菱状の杏葉が組み合う馬具セットは、数多くある馬装の中の一種類にすぎない状況にあるといえようが、日本国内においては、5世紀後葉に伝えられた舶載品の「f 字剣菱」セットを同時期に模倣し始め、5世紀末葉6世紀中葉にはそれを国産化して恒常的に生産し、定型化した馬装として「f 字剣菱」セットは長期間存続していたと理解することができよう。

また、これも既に広く知られていることではあるが、f 字形鏡板付轡の引手元環と銜先の連結方法は、TK47型式期とMT15型式期の端境期を前後して、鏡板外側での連結から鏡板内側での連結へと明瞭に変化しており、これは表3においても一目瞭然にあらわれている。これはやはり、同時期に新しく伝えられた楕円形鏡板付轡の馬装の影響と理解され、より装飾的効果を追求して鏡板を見せることを意図したものと考えられる。

いまひとつ、f 字形鏡板付轡の馬装の特徴として確認しておきたいことがある。それは古墳に副葬される際に、もう一組の馬具セットが共伴する事例が多いことである。表3に挙げた資料中では17点の資料で2組目の馬具セットが確認される。これについては、6世紀には古墳の内部主体が横穴式石室が中心となり、追葬に伴う場合を想定する必要もあるため、厳密にはそれと区分しなければならないのであろうが、単一埋葬に伴う馬具セットとして2組保有する例も多いのではなかろうか。

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表4 f 字形鏡板付轡と主要伴出遺物
須恵器型式No.古墳名f 字形鏡板引手の連結杏葉雲珠二組めの馬具武器武具
TK2081大阪府 長持山古墳長さ16cm鏡板外側剣菱形木輪内彎楕円刀・鏃・鉾
TK232福岡県 塚堂古墳1号石室一部遺存不明剣菱形木輪××
TK233熊本県 江田船山古墳異形・長さ19cm鏡板外側×鉄輪?素環
TK234京都府 宇治二子山古墳南墳 鉄製・長さ15cm鏡板外側剣菱形木輪×
TK235岡山県 天狗山古墳長さ15cm鏡板外側剣菱形木輪×
TK236香川県 川上古墳鉄製・長さ13cm鏡板外側×××
TK237長野県 新井原12号墳4号馬坑長さ13cm鏡板外側剣菱形×××
TK238岡山県 正崎2号墳第2主体部鉄製・長さ17cm鏡板外側××××
TK479岡山県 築山古墳長さ17cm鏡板外側異形剣菱形×?×
TK4710和歌山県 大谷古墳鈴付S字・長さ16cm鏡板外側鈴付剣菱形杓子×
TK4711茨城県 三昧塚古墳長さ18cm鏡板外側××××
TK4712宮崎県 小木原地下式横穴3号墳鉄製・長さ16cm鏡板外側××××
TK4713長野県 権現3号墳 鈴付・長さ8.2cm 不明不明不明?×・?
TK4714愛知県 大須二子山古墳格子文・長さ24cm鏡板外側格子文剣菱形?楕円形・?
TK4715大阪府 軽里4号墳長さ21cm鏡板外側異形剣菱×××不明不明
TK47〜MT1516埼玉県 埼玉稲荷山古墳第1主体部長さ17cm鏡板外側鈴杏葉剣菱形杓子×
TK47〜MT1517福岡県 番塚古墳長さ19cm鏡板外側剣菱形杓子×刀・鏃・鉾
TK8518三重県 井田川茶臼山古墳長さ20cm鏡板内側剣菱形杓子楕円形
MT1519長野県 若宮2号墳異形・長さ25cm鏡板内側心葉形××素環×
MT1520大阪府 七ノ坪古墳長さ24cm鏡板内側剣菱形杓子×刀・鏃・鉾
MT1521島根県 めんぐろ古墳不明鏡板内側××××刀・鉾×
MT1522島根県 上島古墳長さ20cm鏡板内側剣菱形×素環刀・鏃・鉾×
MT1523静岡県 甑塚古墳長さ23cm鏡板内側剣菱形杓子,鉄輪×f字・内彎楕円刀・鏃・鉾
MT1524千葉県 禅昌寺山古墳 長さ21cm鏡板内側剣菱形不明?×刀・鏃・鉾
MT1525福岡県 寿命王塚古墳 長さ19cm鏡板内側子持ち剣菱鉄輪楕円形刀・鏃・鉾
MT1526千葉県 江子田金環塚古墳長さ22cm鏡板内側鐘形××刀・鏃×
MT1527愛知県 白鳥古墳長さ20cm鏡板内側剣菱形不明?内彎楕円刀・?・鉾×
TK1028静岡県 大門大塚古墳 長さ22cm鏡板内側剣菱形××楕円形不明不明
TK1029岐阜県 虎渓山1号墳長さ18cm鏡板内側---×--
TK1030奈良県 芝塚2号墳詳細未報告詳細未報告剣菱・異形剣菱××内彎楕円剣・刀・鏃×
TK1031岡山県 中宮1号墳長さ19cm鏡板内側×三角××刀・鏃×
TK1032京都府 物集女車塚古墳長さ23cm鏡板内側剣菱形杓子素環刀・鏃・鉾×
TK1033愛媛県 経ヶ岡古墳長さ23cm鏡板内側楕円形××f字・鐘形・素環刀・鏃・鉾×
TK4334大阪府 牛石7号墳長さ20cm?剣菱形-?内彎楕円?・素環?刀・鏃・鉾×
TK4335奈良県 新沢千塚178号墳長さ20cm鏡板内側剣菱形××××
TK4336香川県 王墓山古墳 長さ21cm鏡板内側鉄輪楕円形刀・鏃・鉾
TK20937福井県 春日山古墳長さ17cm鏡板内側楕円形三角×素環--
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5.f 字形鏡板付轡出土墳との比較

ここではf 字形鏡板付轡を副葬する古墳の概要を把握し、内彎楕円形鏡板付轡を副葬する古墳との比較を試みる(表5)。

まず、f 字形鏡板付轡が出土した古墳のうち、主体部に横穴式石室をもつ古墳を選び、その玄室規模の把握につとめた(図4)。なお、複室構造の横穴式石室があった場合は、便宜上、奥室部分の規模のみを対象とした。

f 字形鏡板付轡出土墳のうち、内部主体に横穴式石室をもつ古墳は13例を確認することができた。これらの計測数値を、玄室長を横軸にとり、玄室幅を縦軸にとったグラフにドットすると、図4のような分布域を形成していることがわかる。これらの例の玄室規模は、玄室長3.5m〜4.0m以上を測り、最大規模の石室をもつ静岡県甑塚古墳では玄室長6.0mに達する。牛石7号墳を石材調達が困難なゆえの例外と考えると、f 字形鏡板付轡を副葬する横穴式石室墳の玄室規模は、一般的には玄室長3.5m〜4.0m以上を測る規模を最低限度として考えて支障ないであろう。であるならば、図4におけるf 字形鏡板付轡出土墳の玄室規模の分布域は、C類内彎楕円形鏡板付轡出土墳の分布域を上回り、A2類内彎楕円形鏡板付轡出土墳の分布域を含みながら、かつ規模の大きな資料を含むものと理解されよう。

すなわち、f 字形鏡板付轡--A2類内彎楕円形鏡板付轡--C類内彎楕円形鏡板付轡の順に、出土古墳の石室規模の大小が確認でき、これを馬装から確認することのできる古墳被葬者の階層差異と認識することも可能であろう。

図7図8に、f 字形鏡板付轡出土墳の墳丘長を示した。前方後円墳の墳丘長は30m〜120mを測り、円墳の墳丘長は20m以上を測る。この円墳の墳丘長はA2類内彎楕円形鏡板付轡出土墳のそれと同規模以上のものであるといえよう。

いまひとつ、f 字型鏡板付轡出土墳の内彎楕円形鏡板付轡出土墳等に対する優位性を示す資料として、副葬品内容の差異があげられる。これは、表1表3の武器の項を見比べると明瞭にわかるように、f 字形鏡板付轡出土墳は、TK47型式期とMT15型式期の端境期以前のほとんどの例では、鉄剣・鉄刀・鉄鏃・鉄鉾の4種類の武器類を副葬品として保有している。ところが、同時期の内彎楕円形鏡板付轡出土墳では、鉄剣を副葬品のなかに含む事例がきわめて稀である。おそらく、鉄剣を副葬品として保有できる古墳被葬者とそうでないものとの差異が顕在化しているのであろう。

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表5 f 字形鏡板付轡出土墳の概要
須恵器型式No.古墳名主体部主体部規模墳形墳丘全長
TK2081大阪府 長持山古墳竪穴式石室-円墳約40m
TK232福岡県 塚堂古墳1号石室横穴式石室玄室4.5m×2.1m前方後円墳約91m
TK233熊本県 江田船山古墳家形石棺直葬棺2.2m×1.1m(内寸)前方後円墳62m
TK234京都府 宇治二子山古墳南墳 木棺直葬墓壙5.1m×1.6m方墳約34m
TK235岡山県 天狗山古墳竪穴式石室3.9m×1.0m円墳28m
TK236香川県 川上古墳竪穴式石室3.1m×0.7m円墳15m
TK237長野県 新井原12号墳4号馬坑土壙墓・竪穴式石室土壙1.8m×1.1m、石室2.3m×1.9m--
TK238岡山県 正崎2号墳第2主体部木棺直葬墓壙2.4m×0.7m--
TK479岡山県 築山古墳竪穴式石室2.4m×1.5m前方後円墳82m
TK4710和歌山県 大谷古墳家形石棺直葬棺3.0m×1.6m前方後円墳70m
TK4711茨城県 三昧塚古墳箱形石棺直葬棺2.5m×0.9m前方後円墳85m
TK4712宮崎県 小木原地下式横穴3号墳地下式横穴詳細不明--
TK4713長野県 権現3号墳 横穴式石室詳細不明--
TK4714愛知県 大須二子山古墳竪穴式石室石室約2.0m×2.0m前方後円墳75m
TK4715大阪府 軽里4号墳不明詳細不明--
TK47〜MT1516埼玉県 埼玉稲荷山古墳第1主体部礫槨棺5.7m×1.2m前方後円墳120m
TK47〜MT1517福岡県 番塚古墳両袖式横穴式石室玄室3.7m×2.0m前方後円墳約40m
TK8518三重県 井田川茶臼山古墳横穴式石室玄室5.5m×2.5m前方後円墳?40m前後
MT1519長野県 若宮2号墳横穴式石室詳細不明--
MT1520大阪府 七ノ坪古墳  右片袖式横穴式石室玄室3.6m×2.5m帆立貝式前方後円墳約31m
MT1521島根県 めんぐろ古墳両袖式横穴式石室玄室約4.0m×3.0m円墳不明
MT1522島根県 上島古墳刳抜式家形石棺直葬詳細不明--
MT1523静岡県 甑塚古墳右片袖式横穴式石室玄室6.0m×3.0m円墳26m
MT1524千葉県 禅昌寺山古墳 木棺直葬?詳細不明--
MT1525福岡県 寿命王塚古墳 両袖式横穴式石室玄室4.6m×3.3m前方後円墳約70m
MT1526千葉県 江子田金環塚古墳木棺直葬墓壙4.0m×0.7m前方後円墳約60m
MT1527愛知県 白鳥古墳?詳細不明--
TK1028静岡県 大門大塚古墳 無袖式横穴式石室玄室3.8m×1.8m円墳40m前後
TK1029岐阜県 虎渓山1号墳----
TK1030奈良県 芝塚2号墳右片袖式横穴式石室玄室5.1m×2.5m円墳25m
TK1031岡山県 中宮1号墳右片袖式横穴式石室玄室4.3m×2.6m造り出し付円墳23m
TK1032京都府 物集女車塚古墳右片袖式横穴式石室玄室5.1m×2.8m前方後円墳48m
TK1033愛媛県 経ヶ岡古墳左片袖式横穴式石室玄室3.8m×1.9m前方後円墳29m
TK4334大阪府 牛石7号墳両袖式横穴式石室玄室2.8m×2.1m前方後円墳40m
TK4335奈良県 新沢千塚178号墳木棺直葬墓壙4.4m×2.0m円墳26m
TK4336香川県 王墓山古墳 横穴式石室---
TK20937福井県 春日山古墳----
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図4 f 字形鏡板付轡の横穴式石室玄室規模
f 字形鏡板付轡の横穴式石室玄室規模
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図7 f 字形鏡板付轡出土墳の墳丘長(1)
f 字形鏡板付轡出土墳の墳丘長(1)
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図8 f 字形鏡板付轡出土墳の墳丘長(2)
f 字形鏡板付轡出土墳の墳丘長(2)
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※当文書は『龍谷史談』第111号(1999年3月5日発行)所収の研究論文である。
※当文書に含まれるテキスト・画像を他の出版物や Web Page へ無断転載することを禁止する。転載の際は必ず発行者・著作者の許可を得ること。
植田隆司
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